CULTURE

a History of Horror Films ’80s(1/2)/文・平倉圭

クローネンバーグのヌチョヌチョした肉体。

2021.08.08(Sun)

text: Kei Hirakura
2021年9月 893号初出

 グロテスクな描写がホラー映画において最高潮に達した’80年代。肉体のヌチョヌチョ表現を、生命についての哲学の域に高めたのが、デヴィッド・クローネンバーグ監督だ。

『ザ・フライ』
デヴィッド・クローネンバーグ/1986年/アメリカ/97分
テレポーテーション装置を開発した天才物理学者のブランドル博士は、自分の体で実験してみる。すると、たまたま装置の中に入り込んだ蠅と遺伝子レベルで融合してしまい、みるみる蠅人間へと変容していくのだった。
『ザ・フライ』©Album/aflo

 ’80年代のホラー映画において、目立っていたのがヌチョヌチョした表現です。『死霊のはらわた』(1981)と『バタリアン』(1985)が、すぐに思い浮かびます。どちらもゾンビ映画ですが、前者に登場する極彩色のゾンビは、粘土のような肉体がまさにヌチョッと潰れて、絵の具のような血が噴き出す。とても物質的なんです。それは撮影現場に、俳優と実際の粘土や蝋や液体が同居していた時代だからこそ生まれた造形だと思います。デジタル合成とモーションキャプチャーが導入された’90年代以後のホラーでは、造形のテクスチャーはもっと視覚的に細かくシックになり、ヌチョヌチョした触覚性は減っていく印象があります。

 この’80年代ホラーのヌチョヌチョした「肉(flesh)」の表現を極限まで推し進めて、それを一種の思想に変えたのが、デヴィッド・クローネンバーグ監督です。一般にホラー映画は、異質な他者に「外」から襲われる恐怖を描きます。しかしクローネンバーグが描くのは、異質なものはこの肉体の「中」にいて取り出せないという恐怖です。自他が溶けて混ざり合う肉の中で、なんとか自己を分離しようとしてもがく。ヌチョヌチョした造形を通して描かれるこの肉の内部の争いこそ、クローネンバーグの大きなテーマです。

 ’80年代クローネンバーグのホラーというと、『スキャナーズ』(1981)、『ヴィデオドローム』(1983)、『ザ・フライ』(1986)がまず思い浮かびます。いずれも「肉」をめぐる映画です。なかでももっとも重要なのが、『ザ・フライ』。主人公のブランドル博士は、テレポーテーションを可能にする装置、テレポッドを開発します。動物を転送すると体の内と外がひっくり返ってしまうという欠陥を乗り越え、博士はついに、自分の肉体で初めての人体転送実験を行います。しかしそのとき、一匹の蠅が装置にまぎれ込んでいた。コンピューターは転送途中、そのふたつを遺伝子レベルで合成してしまいます。装置から出てきた博士は、超人的な身体能力を現したり、砂糖が異常に好きになったりという変化はありますが、最初は普通の人間の見た目をしているんです。しかし、だんだんと肉体も崩れていき、ついには蠅人間へと変容してしまう。

 興味深いのは、博士が恋人の科学記者ヴェロニカに「君もテレポッドに入ればめちゃくちゃ元気になるよ」と勧めて拒絶されるシーンです(ちなみに、2人を演じたジェフ・ゴールドブラムとジーナ・デイヴィスは当時、実生活でも恋人でした)。嫌がるヴェロニカに、博士は「君は社会の常識的な肉しか知らない。肉に対する社会の病んだ恐怖を貫けない。俺は肉のヴェールを貫くことについて話しているんだ!」と怒鳴って出ていく。“貫く”は英語で“penetration”です。これはセックスにおける挿入を意味する言葉ですが、ここでは通常の人間のセックスを超えて、自身の肉そのものを切り開いて、新しい肉へと変容する“penetration”が語られている。「新しい肉(the new flesh)」は、人間の体とビデオが一体化してしまう『ヴィデオドローム』でもキーワードです。クローネンバーグは映画を通して、肉の変容について一貫して考えているのです。

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