カルチャー
a History of Horror Films ’80s(2/2)/文・平倉圭
クローネンバーグのヌチョヌチョした肉体。
2021年8月8日
text: Kei Hirakura
2021年9月 893号初出
博士の肉体の変容の過程で、注目すべきポイントが3つあります。まずは、博士が蠅と融合してしまったと気づき、「コンピューターが僕たちを結合(splice us together)してたんだ」と言うところ。“splice”という動詞は、DNAの編集と同時に、フィルムの編集も意味する言葉です。つまり、映画を“splice”することと、生物のDNAを“splice”することの重なりが示唆されている。映画を編集することは、新しい肉を生み出すことなのです。
もうひとつは、変容途上の博士がドーナツを食べようとしたまさにそのとき、ドーナツに白い液体を吐いてしまうシーン。これは、蠅のように食物を体外で溶かして吸うためだとあとで説明されるのですが、食物という異質なものを自己に同化する、自他の区別をまさにヌチョヌチョに溶かしてしまう「肉」の姿です。
3つ目は、博士の印象が、ヌチョヌチョしてはいるけど、知的であり続けること。なぜなら、言葉が喋れるから。たしかに、まず唇が変化して、“FLY”の“F”がうまく言えなくなる。次に歯が抜けて、“TEETH”の“TH”が言えなくなる。そうやってどんどん言葉が崩れていくんだけど、それでも言語と、言語に象徴される理性は残っているんです。最後の変容が起こるのは、博士が自分の子供を妊娠している恋人に、3人でひとつに融合しよう、ひとつの肉の中で完全な家族になろうと、テレポッドに無理やり連れ込もうとして抵抗されるとき。恋人の手が博士の顎に当たって、顎がメキョッと取れてしまう。顎が取れちゃうともう喋れない。奇妙な音が漏れるだけ。と同時に、博士の顔がバリバリッと割れて、手の中から虫の鉤爪みたいなものが出てきて、博士は完全な蠅人間になってしまう。肉というヌチョヌチョしたものの中にある、言語というものの不思議さが、ここでは感じられます。
ラストシーンは本当に衝撃的です。完全な蠅人間となった博士が、恋人と融合しようとする途中で邪魔され、テレポッドの外に出ようとした瞬間、コンピューターが作動してしまう。その結果、蠅人間の肉体とテレポッド装置が融合してしまうんです。テレポッドの扉が開くと、ヌチョヌチョになった蠅人間の体に、さらに金属がめりこんだ新しい肉体がドーンと飛び出してくる。蠅+人間が融合するところからさらに進んで、蠅+人間+機械が融合する。これはつまり、クローネンバーグの思考においては、「肉」が生物の領域に閉じてないということ。生物も非生物も広い意味で「肉」であり、融合することができる。融合した生命がどれくらい生きられるかはわからない。だけど、人間もその一部であるところの肉の論理は、ある制約を解除すると、止めることができなくなる。その止めどない肉のドライブっていうのが、蠅も機械ものみ込んで進行していく。その止めどなさの、造形的であると同時に思想的な説得力が、『ザ・フライ』では行くところまで行っている。本当にパワフルな映画だと思います。
最後に、現在においてこうしたクローネンバーグの思想を受け継いでいる表現として、ニール・ブロムカンプ監督の『第9地区』(2009)を挙げたいと思います。この作品に登場する宇宙人の「声」がとにかくいい。手掛けたのは、サウンドデザイナーのデイヴ・ホワイトヘッド。どうやって作ったのかというと、まず自分の声で宇宙人の台詞を読む。そして、10%くらい人間の声を残しつつ、子音をいろいろな昆虫の立てる音に置き換え、母音は野菜の表面をこすったりする音に置き換えているんです。その音を聞いていると、自分の耳の中から未知の生物が生えてくる感じがする。音を介して別の生物と混ざり合うような感覚が、観客の肉体にも生々しく起こるんです。シックで細かい質感の視覚表現が全盛の21世紀映画において、ヌチョヌチョの美学は音響に引き継がれているんじゃないかと思います。
プロフィール
平倉 圭
ひらくら・けい|横浜国立大学准教授。1977年生まれ。専門は芸術学。著書に『かたちは思考する—芸術制作の分析』『ゴダール的方法』。共著に『オーバー・ザ・シネマ 映画「超」討議』『ディスポジション 配置としての世界』など。
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