カルチャー

のみ歩きノート / 画・文 牧野伊三夫

マダガスカルの酒

2021年7月28日

text & artwork: Isao Makino
2021年3月 887号初出

 冬の寒い夜に、薄っぺらいアルミの小鍋を七輪にかけて湯豆腐を仕立て、やかんに沸かした湯で燗をして酒を飲むのは、このうえなく愉しい。豆腐のほかにタラやカキ、あるいは、豚肉やもやしなんかも入れたりする。豆腐はゆですぎず、ころあいのところをさっとすくって食うのがうまい。春菊なんかは、わずかに湯に通すだけの、しゃりしゃりした歯ごたえが残るくらいがいい。

 我が家では、鍋は寒い部屋で、白い湯気をたてながら食う方がうまいというので、真冬でも窓を開け放ってやる。一、二月ともなれば氷点下近い気温になり、たまに小雪がちらついたりすることもあるが、それでも褞袍(どてら)を着てマフラーを首に巻き、窓を開け放って鍋を囲む。妻などはぶるぶる震えながら、さらにスキー帽をかぶり、厚手の靴下を重ねてはいてカイロまで準備している。さすがに手袋まではしていない。寒さも味のうちと思ってのことで、生姜を大量におろし入れて熱い汁をすすり燗酒を飲んでいると、そのうちに体がポカポカしてきて、赤らんだ頬が冷気にあたるのが心地よくなってくる。白い息を吐きながら食っているから、家のなかにいるのか庭にいるのか、わからなくなる。つまり、屋台と同じなんである。湯豆腐は、冷たい唇で熱々をふいて、はふはふ口のなかで転がすように食うのがうまいのだ。燗酒も冷えた体にすうっと入ってくるとありがたく思えて、思わず舌鼓を打ってしまう。

 静かな東京郊外の家で、テレビもつけず音楽もかけずに裸電球をひとつ灯して飲んでいると、時折、雑木林の向こうから電車の走る音が北風にのって聞こえてくる。鍋が終わると、今度はウィスキーなどとり出して、夜更けまでストーヴの火の前で一人飲むのだが、こうして酒場へも行かずに家でばかり飲んでいると、ふと、懐かしいお酒の記憶が蘇ってきたりもする。

 アフリカのマダガスカルへは、もうずいぶん昔になるが、1998年と2006年にこれまで二度、旅したことがあった。モザンビークの海岸の沖に浮かぶ大きな島国だ。いずれも1か月ほどの滞在で、何度となくこの島国に通っていた写真家の堀内孝君の撮影旅行に同行してのことだった。彼の方は、この島国の人々の暮らしや、珍しい植物や動物の撮影というライフワークの延長であったが、僕の方はと言えば、とくにこれといった目的もなく画帳をかかえてスケッチに行っただけであった。

 ここで飲んだ酒はうまかった。アフリカとはいえ、この島の中央部の高地は涼しく、朝晩はセーターを着なければならぬほど冷え込む。稲作も行われ、かつてはフランスの植民地であったからだろう、ワインも製造されている。街の酒屋へ行くと、大きなプラスティックの貯蔵樽から、お客が持参する容器にボールですくって、なみなみに注いでくれる。ちなみに、この国では水でもガソリンでも液体のものはなんでも、この樽に入れて貯蔵する。木樽や瓶からでないのに大いに驚いたが、そこはお国の事情というもの、何しろ物資が乏しいから、その昔はプラスティック製のボディの車もあったと聞いたことがある。僕はコカ・コーラの空瓶に移してもらい、それを下げてホテルに戻る途中、道端で量り売りしている落花生をつまみに買って、部屋で飲んだ。少し変な苦みがあって決して上等なものではなかったが、現地の人たちの日々の暮らしに溶け込むような気分が愉快であった。何もすることがないので、あっという間に飲み干して、またふらふら歩いて酒屋へ行く。空瓶を差し出して「ドゥヴァイ(ワイン)」と言えば、おばさんがいくらでも貯蔵樽から注いでくれるのである。

 もちろん、こんな安酒ばかりではない。街のレストランへ行けば、ボトル入りのワインもあるし、フランス人たちがバカンスで泊まるような高級ホテルの食堂へ行けば、ちゃんとしたワインリストも出てくる。僕は、首都のアンタナナリボにあるホテル・コルベールの食堂で、白ワインを飲みながら生ガキを何皿もとって、一人黙々と食べているフランス人の男や、香水をプンプンにおわせてマダガスカル人の若い男を従えて贅沢に食事をするフランス人の年増女を見た。ここでは、デザートにバナナフランベを注文するとコックがうやうやしくワゴンにフライパンをのせてやってきて、バナナの皮をむいてバターで焼き、ラム酒の青い炎を燃やして調理してくれる。バナナをたった一本焼くのにここまでやるのかと驚いたが、おかげで僕は、その作り方を画帳にメモして、帰国後にバナナフランベが作れるようになった。これは、とてもうまい。

 スリーホースィズビールという、馬の顔が三つ並んだ絵がついた国産のビールもある。アジア風の醤油味が恋しくなると、中国人の経営する店へ行って鶏の唐揚げや焼きそばなど注文してよく飲んだが、日本のラガービールの味に近かった。この国の地鶏を使った唐揚げは絶品で、葱のような細い野菜をかじりながら「サカイ」という豆板醤の十倍くらい辛い薬味をつけて食べる。僕はしばらくやみつきになって、こればかり注文していた。もちろん、このビールは中国人の店以外にも置いてある。マダガスカルの大衆食堂では、テラピアという白身の川魚やコブ牛、子豚などを油で揚げて、トマトソースやカレーソースをかけて出すが、これにもよく合った。

プロフィール

牧野伊三夫

まきの・いさお|画家。1964年、福岡県生まれ。東京の広告制作会社でグラフィック・デザイナーとして勤めた後、画家として活動。酒好き、風呂好き、料理好きとしても知られる。近著にエッセイ『アトリエ雑記』(本の雑誌社)。