ライフスタイル

【#1】口癖

2021年7月9日

「冗談じゃない!!」 バラエティ番組を主戦場とする放送作家、大井洋一の口癖だった。

「井上さん、いまどこですか? 飯行かないですか?」 夜中に大井からこんなLINEがきたときは、 かならず仕事でとんでもなく嫌なことがあった日だ。

(アナタってそんなときしか連絡してこないのね)

まるで私を都合のいいオンナのように扱う大井だが、 今宵は何発「冗談じゃない!!」が炸裂するのかと考えたら、 私はいくら腹がへっていなくても、ついその誘いに乗ってしまう。

「今日会議でこんなことがあったんですよ。冗談じゃない!!」 「◯◯さんがこんなLINEを送ってきたんですよ。冗談じゃない!!」 「ああ、朝までに台本1本書かなきゃ。冗談じゃない!!」

大井は煙草を吸うかわりに「冗談じゃない!!」と言うことでストレスを散らす。 どうやら本人はそれが自分の口癖であることに気づいていないようだった。

私が陰で「冗談じゃない!!」とモノマネをすると、 友人たちはみんな「あっ、それ大井さん? あの人『冗談じゃない!!』って言うー!」 とけらけら笑い、ひそかな人気を博していた。

ある日、大井が「井上さん、『KAMINOGE』で芸人をインタビューする連載をやらせてもらえないですか? 若くてイキのいい芸人たちと接する機会がほしいってのもあって」と、珍しく愚痴以外の連絡をしてきた。

この提案を快く受け入れた私は、 本人に相談をせずに『大井洋一の冗談じゃない!!』という連載タイトルをつけた。

記念すべき連載一回目が掲載された号の誌面を見た大井は、きっとこう思っただろうか。

「大井洋一の冗談じゃない? これ、ひょっとして俺の口癖か? からかいやがって、冗談 じゃ……ぐっ!」

それ以来、大井の口から「冗談じゃない!!」が聞かれることはなかった。

周囲からは「なんて余計なことをしたの」と責められた。 大井がまるでヘビースモーカーの禁煙始めたてのように日々イライラし、 口寂しそうにしているのだという。

 やがてコロナ禍となり、大井から深夜の飯の誘いはいっさいなくなった。

どうやらコロナがただの風邪ではないように、人の口癖はただの口癖ではない。

大井は大事なストレス発散の手段を失い、そして私は大切な友達をひとり失った。

プロフィール

井上崇宏

いのうえたかひろ|1972年生まれ。「世の中とプロレスする」ことを標榜する『KAMINOGE』の編集長。同雑誌の編集を行う編集プロダクション「THE PEHLWANS」の代表も務める。

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