TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#4】私のためにはなかった光

執筆:うすいはるか

2026年10月3日

 スマートフォンのアルバムをスクロールしていたとき、夜空の写真が一枚、紛れ込んでいるのを見つけた。月も星も、イルミネーションも写っていない、ただ暗くなりはじめた空を撮っただけの写真だった。
 その夜、自分が何を考えていたのか。何に疲れていたのか。空を見上げたとき、どんな気持ちだったのか。写真には写っていない。
 けれど、その一枚をじっと見ていると、私には花火の音が聞こえてくる。

 七月の終わり、始点のバス停で、バスを待っているときだった。
 次のバスが来るまで、二十分ほどあった。珍しく遠出した日の帰り道で、足も気持ちも疲れていた。ぼんやりと立っていると、突然、打ち上げ花火の音が聞こえてきた。
 一発、二発ではない。間を置いて、次々に上がっていく。音がするたび、そこにいる人たちが少しずつ顔を上げていった。
 けれど、藍色に染まりはじめた空のどこを見ても、花火は見えなかった。私も、後ろに並ぶ男性も、近くを歩いていた人たちも、みんな何もない空を見上げていた。忘れていた約束を思い出したような顔で。
 私は家へ帰るためのバスを待っていて、後ろの男性も、そのほかの人たちも、それぞれ別の場所へ向かっていたはずだった。誰も花火を見るためにここにいたわけではなかった。それなのに、花火の音がするあいだ、みんな同じ方向を見ていた。あくまでも輪にはならず、同じものを探していた。

 花火がもし、花のような火ではなく、火でできた花ならば、花言葉を持つのだろうか。
 同じ打ち上げ花火でも、誰かと会場で歓声をあげながら見るものと、偶然居合わせた人たちと音だけを共有するものでは、違う言葉なのだろうか。
 たとえば、前者が「うつくしい思い出」だとしたら、後者は。
 後者は、なんだろうか。
 次のバスが来るまで、とりとめもなくそんなことを考えていた。

 夜空の写真には、写っていないことばかり残っている。音だけの花火が、過去から届くように聞こえたこと。
 ときどき、自分の日記を読み返す。日記には、当たり前だけれど、その日にあったことを書く。それなのに、書いたものではなく、書かなかったものが香り立つことがある。起こったことではなく、起こらなかったことが忘れられないことがある。

 小学生の頃、間取り図を考える授業があった。大きな一軒家のいっとういい部屋を、ねこの部屋にしたことを憶えている。
 キャットウォークがめぐる部屋には大きな窓が南にも北にもついていて、風通しも陽当たりもいい。エアコンも床暖房もあって、遊ぶ場所も、隠れる場所もある。たくさんのねこが、そこで自由に暮らしている。間取り図の真ん中には、大人になった笑顔の私が立っている。
 今でもときどき、あの間取り図を思い出す。そこで暮らしているたくさんのねこのことを考える。
 出会わなかったいとしいねこたち。出会わなかったから、いなくならない。

 見えなかった花火。出なかった答え。飼わなかったねこ。買ってもらったものより、買ってもらえなかったもののほうをよく憶えている。

 それでも、さびしかったことを拾い集めて、それだけで私という人間を語るのは、惜しいような気がしている。
 私のためにはなかった光も、光だった。

 いつか、うつくしいものとすれ違った。その感覚だけ憶えていられたら。

プロフィール

うすいはるか

1987年生まれ、東京都出身。2024年頃から、SNSを中心に生活をつづりはじめる。2026年に初書籍『すこやかなひとりぼっちの守り方』(KADOKAWA)を上梓。

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