TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#1】ここから動くことができないから

執筆:熊谷充紘

2026年4月12日

 移動できない財産=不動産。まさに店はそういうものだなと、お客さんがひとりもいない店内を見ながら思う。

 三軒茶屋で本屋&ギャラリー&カフェ『twililight』(トワイライライト)を始めたのはたまたまだった。同じビルの2階でカフェをやっている友人から、上の物件が空いたからどう? と誘われたのだ。それまではフリーランスで全国を好きに飛び回っていたので一つの場所で店を営むことに現実感はあまりなかったけれど、コロナ禍で外出ができなくなった時に、家でも職場でもない場所で過ごす時間の大切さを身をもって体感したのが大きかった。

「こんにちは」やってきてくれたお客さんに挨拶をする。お客さんの返事や会釈によって、店と同一化していた自分が輪郭を得て「わたし」という形が立ち上がる。

 わたしがコロナ禍で部屋に閉じこもっていた時に求めていたのは、他者の存在だった。自分しかいない空間というものは、安全かもしれないが、自我ばかり肥大して何をどう考えていいか収拾がつかなくなってきて、怖かった。他者と触れ合いたいというより、自分の思い通りにはならない他者がいることで発動する思考や身振りというものが、わたしをわたしでいさせてくれると思い知った。

「こんにちは」だからお客さんがやってきてくれるたびに、わたしはわたしで居られる。お客さんがわたしの居場所を作ってくれる。

 店が移動できないからこそ、人がやってくることができる。あの店に行こう。店は、人に移動という自由をもたらしてくれる。それは物理的に移動できなくても、今日もあそこであの店が開いていると思えるだけで、心に別の行き先という自由を与えてくれるのではないか。

「こんにちは」「こんにちは。あの、3月末に上京してきて、この4月から三軒茶屋にある大学に通い始めたんですけど、これからうまくやっていけるか不安で。何かお守りになるような本ってありますか?」

「わたしのちっぽけな想像力ではお客さまがどんな本を喜ばれるか答えを出すことはできません。ただ、わたしも4年前、同じように、と言っていいのかはわからないけれど、とても不安だったことを思い出しました。愛知県から引っ越してきて、初めて店を始めて、お客さんは来てれくるんだろうかって。でも、お客さんが来てくれるかどうかは自分でどうにかできることではないと思った。自分にできるのは、この店で自分がどう生きていきたいかを考えて、実行していくことだけだと思ったんです」

「自分がどう生きていきたいかなんて、正直よくわかりません。周りの人たちがキラキラしているように見えて、浮かないようにしなきゃって思うけど、ついていけるか不安で、でもひとりぼっちになるのはつらいし」

「そう考えられてる時点で、自分がどう生きたいか考えてるってことだと思いますよ。」わたしはレジを離れて本棚から一冊の本を取り出す。

「梨木香歩さんの『僕は、そして僕たちはどう生きるか』という文庫の冒頭にこう書かれています。“群れが大きく激しく動くその一瞬前にも自分を保っているために”。新生活はまさに群れが大きく激しく動くその時だと思います。皆と同じにして、乗り遅れないようにしなきゃって思うけど、少しでも違和感があったら立ち止まることも必要だと、この本は教えてくれます。」

「でも立ち止まったら取り残されちゃうから」

「自分というものが無くなってしまうくらいなら、取り残されるほうがいいとわたしは思いました。店を始める時って、いろんな人がアドバイスをくれて、特に多かったのが、他の店にない強みがないとやっていけないよってことでした。でも店をやった経験のない自分にはそんなものはないって初めから思ってた。他の店にないものを無理に探すより、自分がやりたいことをとことんやったほうが楽しいって。やりたいことをやって、あとは待とうと思ったんです。店を始めた頃は、平日は特にお客さんが少なかったら一人でよく考えていました。こんなに自分自身とゆっくり向き合う時間ってこれまでなかった。わたし自身とても弱い人間なので、大勢の中にいるとついつい皆と同じような言動を取ったり同じように考えてしまう。でも一人になると、どうしてあの時違和感を覚えたのか、自分は何に引っ掛かっているのか、考えることができた。ああそうか、きっと他の人も、こうやって立ち止まって一人で考える時間が必要なんじゃないかと思った。ここはカフェもあるから、コーヒーでも飲みながらゆっくりひと息ついて、自分自身を見つめ直す、そんな場所になったらいいなと思ったんです」

「じゃあ、わたしも時々ここにきて、ぼんやりしていっていいですか?」

「もちろん。『僕は、そして僕たちはどう生きるか』の最後にはこう書かれています。“やあ。よかったら、ここにおいでよ。気に入ったら、ここが君の席だよ”。」

 店という他者がいる場所だからこそ、安心して一人になることができる。三軒茶屋に『twililight』があるとあなたが思った瞬間、わたしたちは独りじゃないんだと思う。

プロフィール

熊谷充紘

くまがい・みつひろ|1981年、愛知県生まれ。三軒茶屋で本屋&ギャラリー&カフェ『twililight』を営む。出版社としても、『体の贈り物』(レベッカ・ブラウン/柴田元幸訳)、『人といることの、すさまじさとすばらしさ』(きくちゆみこ著)などを刊行。本と出会う場を広げるべく、イベント企画や選書、執筆も行う。これまでに「SHIPS HAPPY HOLIDAYS」選書、渋谷PARCO「あいとあいまい」選書&出店、LUSH「BATHING & POETRY」選書&インタスレーションなど。屋上でぼんやりする時間が好き。

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