TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#1】私が書かなかったある曲のこと

執筆:メイ・カーショウ (BC,NR)

2025年12月15日

ブラック・カントリー・ニュー・ロードのメイ・カーショウです。ピアノと歌、アコーディオン(少々)、今年から、オルガンも習い始めました。POPEYE さんから、曲作りについて4回にわたるブログを書いてみないかと声をかけてもらいました。以前、雑誌 NYLONのインタビューを受けたときに、これからの5年間でいい曲を10曲書いてみたいと話したことがきっかけです。

この大それた発言をしてから約1年、私がよく書けたなと思える曲を出してから1年が経ちました。「いい曲を書く」というスタンスは創作活動にはあまりよくなく、これからの4年でいい曲を10曲書けるとも思えません。今の時点では、いい曲でもそうでなくても10曲を書き上げること自体が目標です。

曲を書くことは、ツアーから戻った時の日課の一部です。

11月1日に、3週間のヨーロッパツアーから戻りました。ここ2年ほど、秋は寝台バスでヨーロッパを回っています。朝、目覚めると違う街に着いていて、秋の深まり方が街によって違うのを楽しんでいます。 ある街ではまだ緑色の葉なのに、翌日違う街ではすっかり落葉していて、そのまた次の街では、黄色に色づく葉に戻っている、そんな感じです。

家を離れているとき、何かに触発されていろんなプロジェクトを始めたり、楽曲のアイディアが浮かんできたりすることがあります。でも、家にもどると、これらのアイディアがしぼんでしまっています。

そんな中、あるアイディアが浮かんできたのは、ツアーの終盤、ブリュッセルにいた時でした。
カフェでコーヒーとサンドイッチを食べながら、アニー・エルノーの「歳月(The Years)」を読んでいました。1941年から2006年のフランスで暮らす語り手(著者)の時間の経過を軸に、自伝とフランス社会の変遷が混ざり合った作品です。ブリュッセルの朝は雨が降っていて、本を読んでいるうちに、自分が履いていた濡れた靴下のことを考え始めました。
ツアーに出る前、私は妹と靴下の山を整理していました。妹は、ロンドンに引っ越すために、私はツアーのために、できるだけたくさん靴下を持っていきたかったのです。二人で靴下を仕分けしているうちに、この青い靴下を見つけ、二人とも自分の靴下だと言い張り、取り合いになりました。なんとかその靴下を自分のスーツケースにしのばせ、ブリュッセルの雨の日にそれを履いていました。

この靴下には名前が縫い付けてあるのですが、糸で縫いつけられた「サミュエル・カーショウ」の名を目にするたびに、愛おしい気もちになるのでした。祖父の靴下だったのです。父親から息子へ、息子から娘に靴下が受け継がれるのは奇妙かもしれませんが、祖父は質のよい衣類を好む人だったので、この靴下も、いまだにいい状態です。 どちらにしてもこの本を読みながら、ある考えが浮かびました。

―― なんで、靴下に名前が縫いつけられているのだろう? 小さいものまで衣類すべてに名前を縫いつけるという、家族特有の習慣だったのか、それとも、若き祖父が、リバプールからニューヨークを航行する船で働いていたときのものなのか? そうだとしたら、この靴下は、65年間、時代の移り変わりを目にしてきたということか? それはエルノーの本で書かれた時代の移り変わりと同じ年数ということか・・・

これは曲になる予感がして、ノートに書き留めました。

それから1週間後、自宅に戻り、ピアノに座り、ノートのメモ「サミュエル・カーショーの靴下」と向き合いました。 その日、このブログについて母と話しているうちに、靴下に名前が縫い付けられていた本当の理由に気がつきました。それはおそらく、祖父が晩年、介護施設に入っていたときのものだったのでしょう。靴下から連想し、頭にうかんだ船乗り風のメロディは、適切ではなかったのです。そして、なぜ靴下がいい状態であったかということにも納得がいきました。
このアイディアは今のところ保留で、別の2つのアイディアに取り掛かり始めました。
このブログで今後共有できたらと思っています。

プロフィール

メイ・カーショウ

英国のケンブリッジを拠点とするミュージシャン。ブラック・カントリー・ニュー・ロードのメンバーで、キーボード、アコーディオン、そしてボーカルも務めている。

Instagram
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Black Country, New Road
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