TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#2】早朝、南禅寺まで

執筆:qp

2025年12月16日

わたしが住んでいるのは、京都の東のほうにある、大文字山のふもと。古い集合住宅のひとつです。

11月のある日。
その古い集合住宅の一室で眠っていたわたしは、はっと目を覚まし、新しい世界をぼんやりと認識しました。
自分が自分であることを思い出し、まだ暗い部屋を見つつ、早起きしたことを知りました。時間を確認すると、まだ5時半です。
散歩しよう、と瞬間ひらめいて起き上がり、すぐに着替えをして、最小限の物を持って、外へ飛び出しました。

朝起きて、歩こうと思ったとき、どこを歩くかは、大体すぐに頭におりてくることが多いです。とはいえ、お馴染みの道はそんなにたくさんあるわけでもなく、なかでも最もよく歩いているのが、哲学の道沿い。
今日もやはり、哲学の道を歩き、南禅寺まで行くことに決めました。

住んでいる場所から近いので、白川通今出川の、哲学の道入口から歩き始めます。
まっすぐに伸びた一直線の石畳の先には、まだ薄暗い大文字山があり、それを眺めつつゆっくりと歩を進めます。

さいわい空気はそれほど冷たくはありませんが、手袋をして、上着のフードもかぶっています。

わたしは、この道沿いにある自動販売機で、ペットボトルではなく、深い青色の缶の「午後の紅茶」(芳醇ロイヤルミルクティー)を買うのがお気に入りで、今日も買い求めました。
歩きながら、のどが渇いていたので「午後の紅茶」をあっという間に飲み干し、銀閣寺への参道を横目に見つつ、右折します。
そこからは南に向けて、やわらかく蛇行した疏水沿いの道を歩きます。

道は、木々に近く、ときおり覆いかぶさるように葉が迫っている箇所もあり、思わずくぐり抜けるようにして歩いて行きます。

哲学の道は、琵琶湖から引かれた疏水沿いの小道で、ご存知の方も多いかと思いますが、かつて哲学者の西田幾多郎が歩いていたことから、その名が付けられています。
わたしは、西田幾多郎の本を一冊も読んだことはなく、哲学がなんであるのかも知りませんが、この道の名前はなぜか好ましく思っています。

またこの辺りは銀閣寺をはじめ、寺社仏閣もたくさんあります。
当然、訪れる観光客も多く、とくに桜や紅葉の季節は人で満ちていて、歩くのも苦労するほどですが、早朝であればほとんど人はいません。いたとしても、地元の方や、ジョギングする方がいるくらい。わたしは頻繁に歩いているので、よくすれ違う人とは軽く挨拶することもあります。

色付き始めた紅葉を眺めつつ、可愛らしい鳥が、まるで先導するように飛んでいくのを嬉しく思いながら、道を進んで行きます。
小さな川にはときおり橋が架けられていて、その橋たちを愛でるように見るのも大事な儀式です。

やや急な角度でカーブした道を進むと、最後の直線があらわれ、そこを名残惜しげに歩くと、哲学の道は終点にたどり着きます。
いつもはここから、来た道を引き返して家に帰るのですが、ときおり、そのままさらに先まで行くことがあります。今日は、南禅寺まで行くと心に決めたので先に進みます。

哲学の道の終点(であり始点)から山の方へ進むと若王子神社ですが、反対側に進むと、視界が開け、広い空と家々が見えます。この瞬間の視覚の変化に、いつもほんのわずか心が動くように思います。

坂を下り、鹿ヶ谷通りにぶつかると、そこを左に進んで行きます。

少し歩くと左手に、紅葉で有名な永観堂が見えてきます。また古くからある喫茶店なども見ることができます。
11月後半の土日にもなれば、この辺りは人の密度が大変なことになるので、わたしはできるだけ通ることを避けるのですが、朝は静かで、苔なんかを見ながら清らかな空気を吸うことができます。

さて、そのまま直線すれば南禅寺へたどり着くのですが、その手前にわたしのとても好きな道があるのでご紹介します。

野村美術館の手前から右に曲がると、どこか秘密めいた細い道があります。
こちらも哲学の道と同じく疏水沿いの道ですが、もっと小規模で、なにか案内があるわけでもないので、通って良いのか一瞬不安になるかもしれません。
わたしも、はじめて通ったときは、おそるおそる歩いた記憶があります。

整えられた生垣(野村碧雲荘の敷地)と、水路に挟まれた道は美しく、なぜか自分のための道というように感じられ、通るたびに誇らしいような気がしています。
水路には、神さまのような雰囲気でシロサギがいて、近づくとどこかへ飛び立ちました。

この細い道を前進し、突き当たりの車通りのある道に出る直前でぱっと引き返し、反対に戻るのがわたしのいつもの決まりです。

ちなみに、歩いているとき、反対方向の見え方がどうなっているのかは、良い道を歩くときに気になることです。
場合によっては、良い道、良い景色を堪能するように、引き返したり、なかなか先へ進まないこともあります(人生は一方向しか進めませんが、道は引き返すことができます)。

元来た道を戻り、あらためて先ほどの鹿ヶ谷通りへ出ると、右手に進んで行きます。

この辺りになると、東山中学・高校に通う学生たちの通学する姿を多く見かけるようになります。
黒い学ランを来た彼ら(男子校なので)や、それを見守り、声がけする先生を見ると、遠い昔に経験した自分の学生時代を思い出し、懐かしいような恥ずかしいような気持ちになります。
自分もかつて、ソフトテニス部の朝練で、まだ早い時間に学校へ向かっていた…あれから何年経ったのか、などと考えながら。

そんな寂しいことを考えながら、見えてくるのが「大寂門」という門です。
まさに、いまのわたしの気持ちにぴったりな名前です。

この門は南禅寺の北門でもあり、くぐるとそこは南禅寺の敷地です。
風情のある幅広の道を進んで行くと、南禅寺、三門の正面にたどり着きます。時間を調べると、寄り道しながらですが、家を出て約1時間ほどかかったことになります。

法堂で手を合わせ、紅葉を眺め、しばらく南禅寺の空気を吸ってから、帰途に着きました。

プロフィール

qp

キューピー|画家。小さな紙に、水彩で絵を描いている。 近年の個展に「花の絵」(2023年)、「明るさの前」(2024年)、「枕もとの水彩画」(2025年)など。400店の喫茶店を巡って水を撮影したフォトエッセイ『喫茶店の水』(左右社)を出版。

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