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あたらしい私のいえは、東京 森のいえ Vol.2

photo & text: Mari Shamoto
edit: Masaru Tatsuki

2025年8月26日

photo: Masaru Tatsuki

今年の7月は夜になっても蒸し蒸しと暑い日が2週間ほどあった。扇風機はあまり好きじゃないけど、仕方なく朝まで回して眠る。寝室よりもリビングのほうが熱がこもらない気がして、夜だけ布団を移動。山に来て初めてエアコンが必要になるのはいつだろうかと想像した。

住まいである古いログハウスには、パートナーであるトシキと暮らしている。トシキは会社の同僚でもある。2年前の夏に滋賀からやってきた。柔らかい関西弁を話す人だ。三重の林業会社で10年程勤めた後、会社の経験者採用の枠で入社した。当時会社の同僚から、こんな人から応募があったよ!と聞いたとき、彼の履歴書には〝POPEYE Web「私のいえは東京山のうえ」を読んで〟と書いてあった。元々会社のことは知っていたけど、記事を読んで事業に興味を持ったそうだ。自分の生活を綴った日記を、正直誰かが読んでいるという想像が全く出来ていなかったので、とても驚いた。入社後に声をかけると「山の暮らしがちゃんと書いてあった」と感想をくれた。私は読んでくれていたことにものすごく驚いたことと、少し嬉しかったことを伝えた。

トシキと私は共通点がとにかく多かった。酸味のあるコーヒーが好きだったり、台所に置いている調味料も大体同じメーカーのもの。行きたい展覧会や旅先の目的地なんかもよく似ていた。そして私たちは少しずつ生活を共にするようになった。

今年に入り寒い冬の日、私のお腹に赤ちゃんがいることがわかる。突然のことで何が起きているのか整理が追いつかないまま、仕事終わりに車の中でトシキに赤ちゃんがいるかもしれないと伝えた。私はそのよく分からない感情のまま泣き、気がついたらトシキも隣で泣いていた。互いにうまく言葉に出来ないまま、時々笑い合いながらしばらく泣いた。その後ふたりでログハウスに帰り、腫れた目頭と鼻をずるずるさせながら、土鍋に暖かいうどんを作って食べた。多分あの時間のことはずっと忘れない気がする。その後私たちはすぐに籍を入れた。
噂くらいの知識しかなかった妊娠が突然現実となって、私の体にはいろんな変化があった。吐き気が続きしばらく山から降りることができない時期があった。体調が良くなった今は、少しずつお腹の中にいる子への想像を膨らませている。

トシキと暮らし始めて、私の体調が少し良くなったタイミングで本棚を作った。会社の木材を使い、木加工ができる同僚に手伝ってもらって半日で完成。トシキはとても楽しそうに夜な夜なふたり分の本を分類して棚に納めていた。

9年前、私が集落で暮らしはじめたとき、近くに住むお母さんのお腹には赤ちゃんがいた。お腹にいた子は今年でもう小学3年生。夏休みに真っ黒に日焼けしたその女の子に赤ちゃんがいることを伝えたとき、お母さんの手を握り少し首を傾げながら嬉しいと話してくれた。近所に住む他の子どもたちも、中学生や高校生になった。転がるボールを必死に追いかけて山の斜面を駆け下りていた子たちは、土日は部活動に出かけていき、手には携帯を持ち、自分の身なりを気にしたりしている。もうちょこんと膝の上に乗っかって来ないのかと思うと少し寂しいけど、今の彼らとの交流もなかなか楽しい。お腹の中にいるこの子もこんな風に大きくなっていくのかと、少し重ねてみたりもする。

1年前、再スタートした山での生活。思いもよらず、来年は3人で暮らすことになりそうだ。

暑い夏、山仕事の現場が人里から遠い場所の時期だけ会社ではサマータイムが導入される。トシキは朝3時に起きて4時に集合、昼の2時には帰宅する。ある日の朝、トシキが家をでた後、寝付けずに窓をみたら見たことがないくらい空がピンク色だった。布団に寝転がったまま写真を撮る。

プロフィール

社本真里

しゃもと・まり | 1990年代、愛知県出身。土木業を営む両親・祖父母のもとに生まれる。名古屋芸術大学卒業後、都内の木造の注文住宅を中心とした設計事務所に勤め、たまたま檜原村の案件担当になったことがきっかけで、翌年に移住。2018年に、山の上に小さな木の家を建てて5年程生活。現在は村内の林業会社に勤めながら、家族で森の中の古いログハウスで暮らしている。