ライフスタイル
Go with the 風呂〜 Vol.5/クアパレス
写真・文/大智由実子
2021年6月16日
photo & text: Yumiko Ohchi
back ground artwork & movie edit: my ceramics(FF)
edit: Yu Kokubu
人は視界に入るもの全てを「これまでに見たことないもの・未知なもの」として、それが何なのかゼロから認識しようとすると、脳がフル稼働してめちゃくちゃ疲弊して数時間で餓死するみたいです。そのくらい脳が活発に働くと膨大なカロリーを消費するので、普段私たちは視界に入れて認識するものを見慣れたものや重要だと思うものだけに制限したり、初めて見るものでも「過去に認識したものと似たようなもの」として記憶に関連付けてゼロから認識するのを避け、脳を省エネモードにして数パーセントしか使用しないようにしているらしい。
なんでいきなりお風呂コラムでこんな小難しい脳の話をするんだ、と思われるかもしれませんが、私がこの情報を知らずにとある銭湯に行って、実際にあやうく餓死しかけた経験があるからです。とある銭湯とは、千葉県は船橋市にあるクアパレス。ド派手で超ゴージャスな装飾で通称「ベルサイ湯」とも呼ばれ、さまざまなメディアに取り上げられてきているのでご存知の方も多いかと思います。
私も数年前にどこかでクアパレスの写真を見て「なんじゃこりゃぁぁ!!」ってなったクチなんで、そこがド派手なデコレーションのオンパレードな銭湯だということはわかっていたんです。でも、でも、写真で見た情報量と実際に行って体感した情報量があまりにも違い過ぎて…ウッウッ(涙)…私は死にかけました。
あれは昨年の夏。念願のクアパレスに行くゾ!ってなわけでウキウキしながら習志野駅から歩いて昭和の香り漂うほのぼのとした団地を通り過ぎたら、住宅街に突如いきなりラブリーな宮殿が!何の情報もなければまさかそれが銭湯だとは絶対に思わない外観。もちろん前情報でそれがクアパレスだということは知ってはいたんだけど、実際に行ってみると周りの風景との対比でものすごい存在感と違和感を放っており、一瞬たじろいだ。その時点から既に私の脳は目の前で起きていることを必死で認識しようとフル稼働を始めたのだった。
しかしその試みむなしく、エントランスに足を踏み入れた瞬間に脳がショートした。え、だって、なに…これ…これが銭湯の下足入れだなんて…聞いてないよ…。
ただでさえゴージャスなシャンデリアや調度品であふれ返り、情報量ギガ盛りMAXだというのにこの下足入れ…ねぇホント、助けて…。エントランスの時点でもうすでに脳がショートして強制終了してしまったので、正直そこから先の記憶があまり無い。唯一おぼろげに思い出せるのは、水風呂の蛇口に可愛らしいクマちゃんがついていたこと。
ロビーから脱衣所、浴室に至るまで、どこをとっても「あーはいはい、これね」って、これまでの人生で認識してきたものと関連付けて脳を省エネモードにさせる隙を与えない。そんな容赦なき環境下で髪や身体を洗ったり湯船につかったりサウナと水風呂を行ったり来たりしなければならないのだ。数多のシャンデリアやビーナスの彫像、黄金のライオンや豹といったものに囲まれて育った貴族出身者なら平然とやってのけられるだろうが、平民の私にとっては見るもの全てが未知なる驚異でしかない。私の生存本能は餓死しないように必死で脳に取り入れる情報をセーブしていた。だからほとんど記憶がない。
ボーッとした頭で2時間弱ほど滞在していただろうか。命からがらクアパレスを出た頃には猛烈にお腹が空いていた。餓死寸前だった。あともうちょっと長く滞在していたら私は今この世にいなかったかもしれない。
そんな体験からしばらく経って、このポパイウェブのタウントークでやっていた『Go with the 風呂〜』が月イチ連載になると聞いて、取材候補としてすぐさまクアパレスが頭に浮かんだ。前回のリベンジという意味合いもあったけど、仕事モードの自分ならば少しは冷静にクアパレスを見れるだろう、という魂胆だった。完全に客モードで行ったならば前回の二の舞になっていたに違いない。
そんなわけで、冷静沈着なポーカーフェイスを気取る気満々で再びクアパレスへと向かった。万が一に備え、バッグの中にはウィダーインとカロリーメイトを忍ばせて。
さすがに2回目ともなれば少しは慣れているだろう、という甘い期待はまたしてもエントランスで粉々に打ち砕かれた。ダメだ…このインパクトに慣れる日は果たして来るのだろうか??
しょっぱなから目論見外れてキョドってしまった私を優しく迎え入れて下さったのは奥様の逸子さん。営業開始前に脱衣所や浴室内の撮影をさせて頂くということで案内をしてもらった。大興奮状態で男湯・女湯を撮影していると、旦那様の広樹さんが出ていらした。このお方がクアパレスをクアパレスたらしめている張本人、クアパレスの創造主なのである。
ゴクリと唾を飲み、緊張を隠しながらお二人にクアパレスのことを色々とお聞きした。
クアパレスがオープンしたのは今から33年前の平成元年。それまでは同地で広樹さんのお父様が富士見湯として銭湯を営んでいた。その頃は富士山が見えるほど辺りにはなんもなく、至って普通の町の銭湯だったそう。お父様がリタイヤされて富士見湯を受け継いだ当初、広樹さんは銭湯経営にあまり乗り気ではなかった。「もう辞めよっかな」と思ったが、お父様の口癖「お前の好きなようにやりな」を信じて、辞める前に好きなようにやってみてそれでダメだったら辞めようということで、当時珍しかった洋風の銭湯を作ることを決意。西洋建築や装飾を学ぶため、美術展に行ったり本を買ったりしてアートに触れた。そして名前をクアパレスと命名。クアはドイツ語で「療養」、パレスは「宮殿」だ。当時は温泉地などでクアハウスという名称が流行っていたそうだが、「ハウス(家)」ではなく「パレス(宮殿)」とした辺りに既に広樹さんの目指す方向性が現れていた。てか、普通に「宮殿で療養」って概念自体、凡人の頭には浮かばないぞ。
クアパレスがオープンした当初はまだ現在ほどのド派手な内装でなかったとは言え、広樹さんがこだわって作った宮殿のような銭湯はヒットして、バブル景気の追い風も重なり、一時期は120ほどあった下足入れがいっぱいになり外には行列ができる時もあったのだとか。
元来凝り性の気質があった広樹さんは、建設の際に自ら浴室のヤシの木のあるビーチの原画を描き、岐阜県伏見の業者にモザイクタイルを発注したりと、細部にまでこだわったりしていたが、その時点ではまだ広樹さんのDIYパンク精神はうとうと眠っていた。
現在までに何度か改装で手を加えてきて、最初はデザインを業者に任せることもあったそうだが、だんだん業者と意見が合わなくなり、ある時広樹さんは「あ、俺はこいつとは趣味が合わねーんだな」と気づき、そこから自分でデザインしたりカスタムしていくうちに広樹さんのDIYパンク精神にボッと火がついたのだ。
エントランスで度肝を抜くあの下足入れも、脱衣所のロッカーという概念を完全に塗り替えるあのロッカーも、もちろん広樹さんがデザインして業者に作らせたものだ。
今では週に一回のお休みの日でさえ、ネットで色んな部品を探しては買いまくり、加工したり実際に置いてみてあーでもないこーでもないとやっているそうで、巨大な倉庫にはまだ作りかけのグッズや出番を待つ家具などであふれかえっているそう。
これだけ過剰なまでに装飾がなされ、所狭しと調度品であふれかっているクアパレスに対して、「まだまだやりたいことがいっぱいある」と語る広樹さんに、逸子さんは「主人はずっとクアパレスのことを考えていて、頭から抜けることはないんですよ」と愛情たっぷりに困り笑いをした。
「今この状態でもまだ広樹さんの中では完成には程遠いんですか?」と聞くと「まだまだだね。きっと完成しないまま終わるんじゃねーの?」とサラリと言い放った広樹さんの決して冷めない情熱に、私の中でクアパレスとサグラダ・ファミリアがピタリと重なった。クアパレスは広樹さんのライフワーク、人生そのものなのだ。私たちは、一人の人間が人生をかけて築き上げてきた壮大な芸術作品を裸で鑑賞させてもらっているのだ。しかもたったの450円ぽっちで。感謝以外に一体なにがあると言うのだろうか?
しかもクアパレスは見掛け倒しじゃない。
おそるべきことにお風呂、サウナのクオリティも天下一品なのだ。お風呂は美意識高めの美容バスに薬宝湯(どちらも濃厚)、そして様々な種類のジェットバスを取り揃えている。特にエステジェットは「これって大砲!?」ってなくらい、笑えるほど強力で手すりを掴んでいないと隣町までぶっ飛ばされる勢いだ。それもそのはず、他の3倍のパワーで5馬力(!)のポンプを使用しているらしい。
サウナは男女共に巨大クリスタル完備の中温と高温の2つあり、好みによって使い分け可能。天然水がザバザバとあふれる水風呂は、入った瞬間に全身を爽快感が突き抜けるのがわかる。サウナと水風呂だけとってみても、泣くサウナーも黙るほどのレベルだ。
あと、行ったことある人ならご存知かとは思いますが、あちらこちらに「これでもか!」ってくらいテレビがあって、しかもそれぞれ違う放送局やDVDが流れている。中温サウナ室の中なんてひとつの巨大モニターに4つの異なる映像が流れていて目が泳いでしまう。しかしこれほど過剰なまでにテレビがあるのにはワケがある。それは湯船やサウナ室に誰かが入ってきた時、みんなテレビの方を向いているのでジロッと視線を集めることのないように、というお気遣いなのだ。特に男湯の方はちょっとコワモテの方々が先に入っている場合、後から新参者が入っていくのには勇気が要るはず。そんなあなたに優しい心遣いなのだ。
そしてエントランスから脱衣所、浴室の全てに言えることだが、清潔感があってとても気持ちがいい。これだけ広いクアパレスをお掃除する業者さんはさぞかし大変だろうな、と思ったらなんと!信じられないことにお掃除は広樹さんと逸子さんのお二人でやっているんだとか。しかもタイル目地の修繕やペンキ塗りなども広樹さんが8メートルの梯子を使って自らやっているそうで…いやもうほんと参りました。ホスピタリティの鬼ですわ。
取材後、私がクアパレスで見たこと聞いたこと感じたこと全てを脳で処理するのに数日かかった。その間はできるだけ新しい情報を取り入れることを避け、誰とも会わず、ほぼ寝たきり生活をしていた。これ以上脳に負担をかけたくなかった。できることならば、クアパレスに行った後数日間はアイソレーションタンク(※感覚を遮断するための装置)の中で生活したい。そのくらい、あの日の鮮やかな体験の一部始終をしっかり咀嚼して私の体内に血肉として取り込みたかった。そうとまで思わせる、唯一無二の銭湯。いや、もはや銭湯という概念を軽く超越した芸術作品、それがクアパレスなのだ。
※浴室及び館内撮影は許可を得ております。
インフォメーション
クアパレス
TEL: 047-466-3313
定休日:毎週月曜日(祝日の場合は翌火曜日)
執筆者プロフィール
大智由実子
Instagram
https://www.instagram.com/yumiko_ohchi/
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