TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#3】お茶碗一杯分の幸せを味わうための、緊張と緩和

執筆:田口雄一

2024年10月28日

中国料理ではじめてショックを受けた日は今でも鮮明に覚えている。先輩ご夫婦のお家に遊びに行き、沢山の美味しい手料理とワインにご機嫌になっていた。ひと通り食べて飲んだ後、隅っこにラップをされていた一品が気になった。これはなんですか?と尋ねると「食べてみる?」と言われ、「食べたいです!」と答えた。温めてもらい、目の前に現れた形、香りに、戸惑いがあった。見たことある料理なんだが、どうやら様子がおかしい。箸でほぐしてみると、とんでもない柔らかさだ。間髪を入れずに口へ頬張った瞬間、脳天が慌てた。噛んだことのないしっとりとした皮のゼラチン質、複雑な香り、何重にも閉じ込められた旨みが口いっぱいに広がった。自分が思っていた角煮とは全く違う代物。その名は「東坡肉(トンポーロウ)」といった。俺はたまげて、この料理はどうしたんですか?と聞くと、父が作ったの。高円寺で料理教室やってるから行きなよ!とお誘いを受け、不思議と迷うことなく、通うことをぼんやり決意した。それが、とんでもないいばらの道になるとはつゆ知らずに。

高円寺の雑居ビルの2階に、「SATO家常Cooking」はあった。ドアを開けると、異国の香りが広がり、クラシック音楽が流れていた。見たことのないスパイスや、専門書が棚に並んでいて、道具はピカピカ光っており、欅のまな板が中央に鎮座している。その中央の位置に白い正装されていた方こそ、この教室の主、佐藤幸男先生であった。

家常(じゃあちゃん)とは「ふだん、日常の、家庭風」などという意味の中国語である。
SATO家常Cookingという名前には、本格的な中国料理をもっと家庭の食卓に取り入れていただきたいという思いをこめている。

先生が何故、料理教室をやろうと思った理由は明確であった。
食に対する関心は高まっているが、その反面「食べる」目的の中でもっとも大切な、健康な体を養い、明日の活力を補うための「家庭料理」はいささかおろそかにされているんではないかと危惧していた。
本当は、家庭で食べる料理が一番美味しく、一番栄養があるべきなのだと。

加工食品や素性の知れないものを不安に思いながら食べるより、安心な新鮮素材を自由に使いこなして美味しく料理を作るほうがどんなに喜ばしく幸いなことか。

日本には四季があり、素晴らしい食材が沢山ある。旬な野菜に塩をしただけで立派な浅漬けになると、先生は皆に伝えていた。

しかし、そんな素晴らしいメッセージとは相反し、家常教室の現場は過酷であった笑

はっきり言って、皆が思っているワイワイ楽しい料理教室を想像しないでほしい。
すこしのミスで「てめ〜らふざけんじゃねーぞ!」と怒号が鳴り響く。
先生の目は正に鷹の目だった。
あの眼光で睨まれたら最後、皆は固まり、鷹が空から獲物をつかむ瞬間まで動けない状態になる。
先生が一度、作りたい料理があったらリクエストをなんでも聞くぞ!とおっしゃっていたので、好きな中国料理の本を持っていって、これが作ってみたいですと伝えたら、「てめぇケンカ売ってんのか?俺が1番嫌いな料理人じゃねーかふざけんじゃねーぞ!」と怒鳴られた。どこに地雷があるか全くわからず、それ以来これが作りたいというリクエストは教室内から静かに消えていった。
とにかく、言いたいことはなんでも正直に言う先生だったので、料理教室というカジュアルな気持ちで来た人は次々と見事に辞めていった。気づいたら男性陣は自分だけになり、他は昔からいるベテラン勢の女性陣だけになっていた。

しかし、何故そんなに苦しい思いをしてまで辞めなかったのか。
それは単純に「かっこいい」からであった。
料理によって、さまざまな形に切り分け、欅のまな板にトントントンと音が教室中に鳴り響き、みるみるうちに美しい姿に変わっていく。
使う順番に綺麗に並べられた素材をジャーと炒めて中華鍋を煽る姿。皿の上で湯気がたちながら出来上がった料理に、とてつもないエネルギーを感じた。
なにより本当に美味しかった。豊かな味がした。今まで味わったことのないものばかりなのに、食べるたびに身体が安堵し喜んだ。

そんな先生から教わった料理をいくつかご紹介します。

へちまと豆腐の煮もの卵白仕立て

鶏モツと昆布などの煮物

ラムとピーナッツの型蒸し揚げ

クミン風味の羊肉揚げワンタン

枇杷の形の蝦の揚げもの

秋刀魚の豆豉蒸し

肉入りハス餅の煎り焼き

鶏砂肝の青唐辛子風味の冷菜

ワタリ蟹のチリソース

自分が何故中国料理をやっているのか
自分が一番不思議である。

いや、先生が一番びっくりしてるかもしれない。

先生は、生徒に唯一触れさせない道具があった。それが、欅のまな板と包丁である。

そんな大切な宝ものを自分が受け継ぐ日がくるなんて想像もしていなかった。

先生が欅のまな板を自分に託す時、
「いいか、すこしでも変なことやってみろ。化けてお前の前に現れるからな。」と、照れくさそうに言った。

湯気に来て、一番最初にやることは、
立てられた欅のまな板を横に寝かせ、杉本の中華包丁をその上に置く。
その瞬間、きょうも呪文のように
先生の言葉と顔が、目に浮かんでくる。

プロフィール

田口雄一

たぐち・ゆういち|1984年群馬県生まれ。
『沖縄料理あしびなー』 『佐藤家常教室』を経て、新中野で中華料理
『湯気』を営む。

Instagram
https://www.instagram.com/yuge_nakano/