カルチャー

【#2】スポーツ写真家脳内日誌

2021年5月17日

報道用のスポーツ写真を撮るだけだったら前回言ったAIでも十分な時代はいつか必ずくる。いまの人間が意図して狙って撮る写真はAIに撮れる可能性は高いだろう。撮影を生業にしている僕にとっては残念な予測だ。しかし、それで見る人は満足するだろうか。事は伝わるのだろうか。

そもそも写真って大きく分けることができると思っていて、ひとつは撮る写真。もうひとつは撮れちゃった写真。

撮る写真って絵画のようなもので意図した構図や露出を技術を駆使して作り上げる。発想力100パーセントの写真へ近づけられるよう仕上げていく。AIにもこうゆうの撮ってね、よろしくって言えば撮れそうじゃないか。

近未来にやってくるAI全盛の時代に偶発的に撮れてしまった写真って存在するのかな。意図したものを超えてしまう絵は、写真表現特有の結果。発想力の斜め上だったり、予定の120パーセントの絵が残ってしまう。実は僕の中ではこの120パーの絵こそがスポーツ写真最大の魅力だと思ってる。アスリートも練習の成果を大会にぶつけて限界突破を目指してるわけで、それに報いる写真も同様に超越してたらいいバランスだよね。

そもそも、その撮れちゃった写真、120パーの写真ってなんなの?となるが、発想を超えるものを定義するなんて滑稽さ。

プロフィール

松尾憲二郎

まつお・けんじろう|1985年 、東京都生まれ。スポーツ写真家。バックカントリースキーの撮影にあけくれ雪山を登ってきた。2014 年より『アフロスポーツ』に所属。現在は様々なスポーツを撮影している。