ファッション
僕の知らないボタンダウンの話。【前編】
City Boy's Essentials
2021年5月21日
illustration: Mr. Slowboy
photo: Hirokazu Kobayashi
text: Tamio Ogasawara
2020年10月 882号初出
その頃まだ日本には、ボタンダウンはなかった。
![Mr. Slowboyのボタンダウンシャツのイラスト](https://popeyemagazine.jp/wp-content/uploads/2021/05/DMA-wrong-BD.jpg)
ボタンダウンという言葉を初めて覚えたのは、いつの頃だったかはもう忘れてしまったが、たぶん、僕は〈ポロ ラルフ ローレン〉のオックスフォードを最初に着たはずである。それが、ボタンダウンというものだという的確な認識もしていなかったが、以来、何事もなかったかのように、ボタンダウンという言葉を使い、着て、何食わぬ顔で生活している。あるとき、昔の服飾本を読んでいて、そのボタンダウンというのは、日本には存在していなく、「’50 年代後半の東京では何のことやらさっぱりという状態だった」という一文を見つけて驚いてしまった。書いているのは、日本にアイビースタイルをもたらした人物のひとり、くろすとしゆきさん。ボタンダウンがなかった時代なんて考えたことがなかった。くろすさんといえば、かなりのご高齢だし、聞くなら今だと、序に代えて、ボタンダウン草創期の話を聞いてきた。これから先も僕の着るものには、ボタンダウンはあるだろうし、その始まりの話もちゃんと知っておきたい。
「アイビーの存在を知ったのは、1954年の『メンズクラブ』の創刊号。『男の服飾事典』というページで『アイヴィー・リーグ・モデル』が解説されていました。僕が二十歳のときです。ちょうど長沢節さんがやっていた『節スタイル画教室』に通い始めた頃で、毎週絵のレッスンを受けていたのですが、教室で一緒だったのが、3つ4つ年上の穂積和夫さん。穂積さんもアイビーが好きで、二人でアイビーやろうと盛り上がり、よく教えてもらっていたんです。1956、’57年のことだったと思うのですが、アイビーのシャツはボタンダウンらしいぞと穂積さんが言うんです。よくわからないけど、襟の先にボタンが付いてるらしいぞと。僕は穂積さんに抜け駆けして先にボタンダウンシャツを作ってやろうと、近所の仕立て屋の、まだマシそうなところに行ってオーダーしました。その頃はまだ既製服がない時代でしたので、街には仕立て屋さんがたくさんあったんです。僕も大学生までは基本、学生服を着ていましたしね。で、店主もボタンダウン? なんて顔をしているので、僕も襟にボタンが付くやつね、なんて知ったかぶりながら、店主もハイハイそれね、なんて言っていて、なんとか注文して、1、2週間後に取りに行ったわけです。出来上がったものは、糊でかちんかちんだけど、確かに襟先にボタンは付いている。もう僕は意気揚々と着て街を歩いていましたね。俺はボタンダウンを着ているぞと。
![Mr. Slowboyのボタンダウンシャツを着た学生のイラスト](https://popeyemagazine.jp/wp-content/uploads/2021/05/DMA-Kurosu-san-in-Tokyo-1600x1112.jpg)
しばらくして、どうやら僕の着ているボタンダウンは、アメリカの本当のものとは違うらしいというのがわかる。当時、穂積さんは『エスクァイア』や『GQ』といったアメリカの雑誌を定期購読していて、そこに載っていたというボタンダウンシャツの絵をパッパッパと描いてくれたんです。前立てが付いて、背にはボックスプリーツがあり、襟にはステッチが入っている。僕が着ているのとはまったく違うんです。僕のは長袖の開襟シャツの襟にボタンが申し訳なさそうに付いたもの。前立てもない。ものを知らないやつが、ものを知らない人に頼んでもダメだね(笑)。学ランのズボンの上に、インチキBDを着て喜んでた。でも、その後も、いい仕立て屋が四谷にあると聞けば、ボタンダウンを作ってもらっていましたね。でも、そのできたものも、ボタンダウンなのにダブルカフスになっていたりと、それは恥ずかしいものを着ていたものでした。総理になったある政治家だって、俺はアイビーだなんて感じでしたが、糊の利いたガチガチのワイドスプレッドの襟先にボタンの付いた、ダブルカフスのシャツを着ていたくらい。有楽町に外国人向けのテーラーがあって、唯一ここが本物に近いものを作っていたんじゃないかな。ボタンダウンは糊なしで、ぐにゃぐにゃで着るものだとか、クリーニングに出しちゃうとピシッと糊が利いちゃってダメだとか、本当のボタンダウンを10年がかりで覚えてきたんです。だから、1965年に『TAKE IVY』の取材で初めて行ったアメリカで、NY5番街の『ブルックス ブラザーズ』に入ったときは震えたね。そのときは、白いオックスフォードのボタンダウンシャツと黒のニットタイを買ったんだけど、ニットタイはまだ残ってる。
![Mr. Slowboyのブルックスブラザーズと紳士のイラスト](https://popeyemagazine.jp/wp-content/uploads/2021/05/DMA-Kurosu-san-in-NY.jpg)
そもそも僕のアメリカ大好きの原点は、終戦直後の進駐軍。乗ってきたジープに目を奪われ、優しいおじさんたちのパンツにはアイロンが掛かり、ブーツがピカピカに光っていた。なんて格好いいんだろうって思いましたね。それまでは軍国少年でしたが、コロッとアメリカ信仰に寝返りました(笑)。いつまでたっても追いつけないのが、アメリカとボタンダウン。他のシャツには執着しないけど、ボタンダウンとは最初の出合いに失敗したからずっと憧れ続けてる(笑)」
インフォメーション
1970年にくろすさんが開業したという『CROSS & SIMON』のボタンダウンシャツ。本人いわく、まだ本物探しの旅の途中の出来。お店は飯倉の『キャンティ』の近くで1987年までやっていたそうだ。
プロフィール
Toshiyuki Kurosu
FASHION CRITIC|1934年、東京都生まれ。服飾評論家。生まれも育ちも大塚。1961年に入社した「ヴァンヂャケット」では商品開発担当。著書に『トラッド歳時記』『アイビーの時代』など。〈鎌倉シャツ〉とのコラボラインも手掛ける。
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