FASHION

ナポリで作られるジャケットは何が違うのだろう?

2021.05.06(Thu)

photo: Marco Santi Amantini
coordination: Haruka Seki
text: Tamio Ogasawara
2020年10月 882号初出

ナポリを知らずして死ねないのである。

体の動きを妨げない緩やかな着心地だが、決してだらしなくは見えない。
¥76,000(コモリ/ワグ インク☎03·5791·1501)

「既製服を職人に作ってもらったらどうなるのだろう?」とナポリで仕立てられた〈コモリ〉のジャケットは、2020年の秋で2度目になる。買い損ねた者としては、なんとか手に入れたいと思っているジャケットのひとつでもある。なぜって、別段よそよそしくジャケットを着たいわけではなくて、普段から着ているようなユルい雰囲気をそのままにいけるものを僕は欲しいのであるから、このカーディガンのように羽織れる一枚を持っていれば、ちょっとしたときに着ることができる。そもそも、この手のカタくないジャケットにはそうそう出合えるものではない。

 手掛けるのは、南イタリアのナポリで2007年に立ち上げられた〈サルヴァトーレ ピッコロ〉。ナポリといえばエスプレッソ発祥の地といわれ、ピッツァ作りはユネスコ無形文化遺産に登録され、地元のサッカーチームにはかつてマラドーナも在籍した、サルトリア(仕立て屋さん)がいまだ数多く残る職人の街である。「ナポリを見てから死ね」とはよくいったものだが、そんな街を昨年初めて訪れたのが、〈コモリ〉のデザイナーの小森啓二郎さんだ。

「サッカーが好きなので、マラドーナの落書きを見ては感慨深いものがあったり、どうにも暑かったので適当な床屋さんで散髪したりと、いつも以上にラフな感じで街をぶらぶらしました。でも、目的は一応あって、サルヴァトーレ・ピッコロさんに会えればいいなと。以前から、シャツなどを作るファクトリーでありながら、ブランドであるピッコロさんとものづくりがしてみたいと思っていたんです。僕にとっての服の影響はアメリカやフランスが主ですが、品質はイタリア製が断然好き。体のラインをいかに消すかが日本の作り方だとしたら、いかに体のラインを見せながら動きやすくするのかがイタリアらしい作り方。〈コモリ〉はというと、人間の可動域は立体的にして、そうではないところを直線的に作る。ゆったりとしながらも、程よい丸みのあるジャケットを作るのに、ピッコロさんにお願いできたら面白いものが作れるのではないかと思ったんです」

〈サルヴァトーレ ピッコロ〉の工房は70年ほど前のもので、以前は100人もの従業員を抱えるシャツメーカーが使っていたそうだ。

「若い頃の母が長年働き、そして私も14歳から見習いに入った地元の会社です。その後、会社が移転したことを知り、迷わずこの思い出の場所に工房を開けることを決めたのが20年前」と話してくれたのはナポリ生まれのピッコロさん。

ハーレーでシチリアをツーリングするのが趣味のピッコロさんが着ているのは、お気に入りだという昨季のサンプル第1号のジャケット。

「ス・ミズーラ(オーダーメイド)のシャツ職人だった母を見て育ったので、子供の頃から服飾の世界を身近に感じていましたが、当時は仕立て服よりも最新のモードに興味がありました。14歳で見習いを始め、16歳で母とともにス・ミズーラの小さなカミチェリア(シャツ専門店)をオープン。21歳の頃には受注のためにロンドンやNYにまで出張するようになり、30歳で〈サルヴァトーレ ピッコロ〉を立ち上げました。母はというと、9歳でこの世界に入り、17歳の頃には立派なシャツ職人でした。戦後のナポリは貧しく、業務用のミシンを持っている工房は少なかったそうです。逆にそれが、すべてを手縫いで行うナポリ仕立てのシャツの特徴になったとも言えます。ボタンホールもひとつずつ手縫いで施すのが普通だった時代を生きてきた、母のものづくりへの丁寧な姿勢は今も私に影響を与え続けているんです」

左がサルヴァトーレ・ピッコロさんに、右が現役の職人でもあるお母さん。 

 ギリシャの植民地として紀元前5世紀に生まれたナポリ。“ネオポリス”(新しい都市)が語源でもあるとおり、長く王宮文化が栄え、今も街並みにその面影を見ることができる。なぜ、こういった工房がナポリに多いのかは、ピッコロさんによるとこう。「18世紀頃、ナポリには多くの英国貴族がバカンスや遺跡見学に訪れました。彼らが滞在中に着る服を、イギリスに比べて温暖なこの土地の気候にマッチするように軽く、柔らかくアレンジして作ったのがナポリ仕立ての始まりです。それにここには、北イタリアにおける自動車工業のような大きな産業がないことも、家内制手工業によるサルトリアが発展した要因のひとつかもしれませんね」

届いたジャケットはインポートの薫りがした。

「自分が選んだ〈サルヴァトーレ ピッコロ〉の生地に、自社で作ったパターンではあるのですが、想像を超える手の温もりがありました。特に、上襟とラペルが仕様にはない仕上がりで丸くなっていて、逆にすごくよかった。ハンドメイドの不均一さ、フワッとした仕上がりなど、ほんのちょっとしたところですが、そこが違い。この濃紺のジャケットの生地には、可能なだけ薄くて毛脚の長いウールを使っているのですが、襟の雰囲気も曖昧にすることで、でき得る限りカーディガンのように仕立ててもらっているんです」と言う小森さんに対して、ピッコロさんはというと、「伝統的なものしか受け入れないサルトが見たらやらないような、やや浮き上がった後ろ身頃の裾、肘が膨らんだ曲線を描く袖など、どれもが経験したことのないものでしたが、実際に着てみると、これが実にしっくりくるというか、着心地がとてもいいんです。上襟とラペルは私の解釈ミスから生まれた偶然の産物ですね(笑)」。

 技術はもちろん、ナポリ男の陽気な人柄と、納期が迫れば休日返上で働くまったくナポリらしくない勤勉さで、この柔らかな物腰のジャケットは作られる。小森さんの考える服とも本当に相性がいいのだというのもよくわかったし、ますます着たくなった。というか、これを着ないことには死ねないね。

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