カルチャー
50 Questions with Tadanori Yokoo
2021年5月31日
photo: Kazuharu Igarashi
text: Keisuke Kagiwada
translation: Catherine Lealand
2016年12月836号初出
レジェンド・横尾忠則さんのアトリエを訪ね、パーソナルなことからYMOに至るまで、気になる50のことを真っ向からぶつけてきた!
01—昨晩はどんな夢を見ました?
02—毎日の生活サイクルは?
夜9時にベッドに入り、10時に眠りに就きます。すると5時に目が覚める。まず構想を練ったり文章を書いたりして、8時から朝食。10時くらいにアトリエに来て、打ち合わせや取材で初めて誰かに会う。お昼は外食。で、午後は制作に入るという感じ。
03—今日の朝食は?
朝食はいつも同じ。野菜スムージー、パン、季節の果物、あとはチャイです。
04—ランチはどういうところへ?
行くところは2軒くらいしかないんですよ。中華料理かお蕎麦屋さん。今は減塩中なので、わがまま言って塩を減らして作ってもらっています。
05—得意なスポーツは?
今、アトリエの地下にピンポン台があるから、ストレッチのつもりでやっているけど、得意とは言えないです。
06—このアトリエにこだわりは?
すべてに関してこだわりは持たないようにしているんです。こだわりというのは執着でしょ。物事に執着してしまうとそこから抜け出せなくなる。コンセプチュアルアートっていうのは、一つのコンセプトを作って、その中で自由になろうとするわけでしょ。でも、僕はそのコンセプトの外へ出たいわけです。だから、アトリエに関しては建築家の磯崎新さんにお任せしました。
07—では、ファッションへのこだわりもないのですか?
全部もらいもの。このデヴィッド・ボウイのTシャツは知り合いの美術館関係者から誕生日にもらいました。自分から求めるとなるようにならないんですよ。僕はなるようになりたい。絵を描くときもそういう面があります。ただ僕はロボットじゃなくて、ある程度意識を持ったサイボーグだから、自力と他力を合体させる必要があるんですけれど。
08—一番古い記憶は?
2歳の頃、郷里の西脇(兵庫県)が洪水になって、大きな橋が流されたんですね。その後に架設された橋を父親が自転車を引いて歩いているんです。僕はその下の河原で母親におんぶされて橋の上の父親を見ている。それが一番最初の記憶。
09—アートに目覚めたきっかけは?
3歳か4歳くらい。講談社の絵本にあった宮本武蔵の絵の模写をしたんですよ。その瞬間から僕はアーティストだったと思うんですよ。それがなければ僕はアーティストになってなかったと思いますね。それ以前にも描いてはいるんですが、全部紛失してしまって今残っているのがそれだけ。僕もそれ以前のものはおぼろげな記憶しかないんだけど。
10—ご自身の中で一番重要な都市は?
一番重要なのはやっぱり郷里の西脇。でも、東京や’60 年代によく遊びに行ったニューヨークは第二の故郷かな。通り過ぎただけでなく、定住した場所はどこも思い出深いです。
11—東京とは?
1960年から住んでますから、56年になるのかな。定住した中では一番長い。でも、まだ異邦人みたいな気分なんです。“東京の田舎っぺ”みたいなところがあって、いまだに青山とか六本木とかは行けない。ぶつかってばっかりで歩けないから。だから、成城周辺で過ごしてばかりいます。メス猫ってテリトリーがものすごく狭いんですよ。僕もメス猫なんです。でも、狭い世界が自分にとっての世界であり宇宙である。昔はあっちこっち行ってましたけど、やっぱり自分は猫だなと思い始めてから、テリトリーが狭くなりましたね。
12—これから行ってみたい場所は?
やがて死ぬんですから、そうすると行ったことのないところに行けるんです(笑)。
13—最近読まれた本は?
あまり読まないですね。前に『言葉を離れる』という本の中で書いたんですけど、絵を描くっていう行為と言葉で考えるって行為は相反するものなんですよ。だから、絵を描くときは自分の中に言葉のない空白世界を作るんですね。でも、そういう気持ちが僕を難聴にしたのかもしれない(笑)。言葉を拒否したために言葉から反逆されているんですね。
14—でも、小説も書いていますよね?
いや、僕は自主的に何かを作ることはないんですよ。小説は知り合いの編集者から「文芸誌に異動になったから小説を書いてくれ」って依頼があって。断ったんですけど、家に帰って飯を食ってそろそろ寝ようかなってときに、何かを書いてみたいという衝動に駆られたんですよ。結局単行本になった。でも、それは僕の仕事の合間にやっていることですから、両立してやっていく気持ちはなかった。
15—美術家より小説家の方と親しくされているイメージがありますが、それはなぜですか?
文学より美術のほうがレベルが高いなと思っているからそれの確認(笑)。三島由紀夫さんは文学者でありながらどこかで言葉を信じていないところがありました。ドラクロアの日記が座右の書だったんですが、もしかしたら文学より美術が上だと感じ取っていたような気がするんです。だけど、三島さんって美術音痴ですよね(笑)。
16—三島さんってどういう存在ですか?
そういう抽象的な質問は困るんだよな。どう言えばいいんだろう、僕の教師みたいなところがあった。そんで、いろいろ僕にサゼスチョンをしてくれたんですね。それは芸術についてのサゼスチョンではなくて、人生についての。三島さんはこう言ったんです。「君の作品は土着作品だといわれている。でも、そうじゃないんだ。あれは君の中に内在する土着を嫌悪している。そこは俺と同じだ。でも、君はその嫌悪を吐き出すように描いている。俺は土着を書かないことで嫌悪している」。当時、僕が言葉にできなかったことをずばっと言い当ててくれたと思いました。
17—故郷に対する嫌悪は今もありますか?
今は80を過ぎて、「じゃあ、ここからどこへ行くんだ?」と考えたとき自分の原点である生まれた場所に戻る気がしているんです。不思議と。僕の今の創造のインスピレーションになっているものは全部郷里。郷里から僕は点滴を受けているんです。
18—年を重ねる意味は?
自分の中の若い魂に目覚めるということですかね。
19—子供と大人の違いは?
遊びの要素を持ち続けているのが子供。失ったのが大人。それから子供は目的を持っていない。大人は目的を立ててそれに向かって行動する。僕は老いた幼児でありたいと思うんですね。
20—今までにした一番悪いことは?
絵を描いたことかな。僕の中にある不透明な悪の部分を描き出しているから。それと触れ合った人は、自分の中の悪を発見する。これはいいことでもあるんですよ。みんな自分が善だと思っているから。それに気づかせてあげているわけです。悪いことだなとは思いますが、残念ながらこれは犯罪ではない(笑)。
21—今までにした一番善いことは?
今言ったように、やっぱりこれも絵を描いたことです。まぁ、でも、これから善いことしますよ(笑)。
22—ジンクスはありますか?
10年に1回ずつ交通事故に遭っているんですよ。1960年、’70 年、’80 年、’90 年、2
000年。それで入院や休息をするじゃない? それによって作品の傾向ががらがら変わった。だから、ジンクスですね。
23—座右の銘は?
考えたことないけどね。郷里に作った自分のお墓には「温故知新」って書いているんです。それが座右の銘かもしれない。
24—今、構想中の映画は?
体力を考えると映画はちょっと難しいんじゃないかな。監督第一作になる予定の映画ってあったんですよ。黒澤明さんが監督する予定だった『海は見ていた』のドキュメントだったんですけど。でも、依頼が来てすぐに黒澤さんは亡くなってしまった。その後も映画の依頼はいろいろ来ましたが、黒澤さんの映画ができなかったから、後はつまんないと思っちゃったんですよね。
25—映画の登場人物になれるなら、どの作品の誰の役になりたいですか?
あ、この質問がヒントになって昨晩の夢を思い出した! 太宰治の役を僕にやってくれという依頼が来る夢でした。だけど、僕は太宰治が嫌いなんですよ(笑)。だから、太宰は東北の人だけど、関西弁でいいならやると言ってやりました。
26—『新宿泥棒日記』の思い出は?
最初は新人男優賞を獲るつもりだったんですよ。やる以上はね。大島渚監督には、「相手役は誰がいいですか?」って聞かれたので、当時ファンだった浅丘ルリ子の名前を挙げました。交渉したみたいですけど、僕との濃厚なラブシーンがあるから、びっくりしてやめてしまった(笑)。
27—高倉健さんはどういう存在でしたか?
健さんは実生活と映画の中の虚像を一つにしようとしたんですよ。だから、実生活でも映画の中で演じたような道徳的で立派な人であり続けた。でも、僕にとっては虚像と自分の間の距離こそが創造なんです。距離を一つにしてしまったらものはつくれなくなるんですよ。だから、健さんのものづくりと僕の芸術観は違いますよね。
28—淀川長治さんはどういう存在?
優しいんですけど、その背後に本質を見抜く怖さみたいのがあるんですよ。だから、彼の前では嘘がつけないんですよ。裸の自分しか出せない。あの人はにこにこしながらそれを全部観察しているんですよ。
29—YMOに入る予定だったとか?
あるとき細野晴臣君とインド旅行に行ったんですよ。その道中、僕はジャーマンロックの話ばかりしていてね。そしたら細野君はまだ知らなかったみたいで、面白がってくれて「入ってください」となった。僕は舞台装置やジャケットのデザインをすればいいと思っていたんだけど、いざ記者会見をするってなったら、その当日に変な編集者が「今日中に原稿を渡してくれなきゃ私はクビです」と泣き落としに来たわけ。で、やらなきゃしょうがないと原稿を書いていたら、記者会見が始まってしまって。途中から出席するのもかっこ悪いから、お断りしたんです。誰よりも早くテクノカットにしていたんだけどね(笑)。あの編集者がいなければYMOになって、えらい目に遭っていた(笑)。
30—カラオケには行きますか?
この前、糸井重里さんと行った。「網走番外地」と「唐獅子牡丹」しか歌わないんだけど、難聴でしょ? 音が入ってこないんですよ。だから、たぶん音程がめちゃくちゃに狂っていたんじゃないかな。
31—グラフィックデザイナーと画家の違いは?
グラフィックはお仕事、アートは人生です。
32—路上のグラフィックをどう思いますか?
肉体を感じますよね。体で世界にぶつかって自己表現をしようとしている。その肉体性を僕はアートの持っている重要なものだと思いますね。
33—アーティストとして自分に禁じていることは?
ないね。あるとすれば保守的になること。
34—好きな色、嫌いな色は?
いつも考えているんですが、どの色も全部愛していますよね。
35—敬愛するアーティストは?
デュシャンだね。デュシャンのあのいかがわしさ、あのいいかげんさ(笑)。あと好きなのは、ピカソ、キリコ、それからピカビア。この4人。
36—ご自身より若手で気になる人は?
展覧会を一切見に行かないので、よくわからないね。
37—美術家以外で気になる若手は?
興味があるのはイチローくらい。イチローは自己鍛錬をものすごくしている。そして、勝っても負けてもクール。勝った瞬間に彼はいないんですよ。次のところに彼はいる。それはアーティストの精神を体現している。
38—病は作品制作に影響を与えますか?
そうね。文学は頭の作業だと思うんですよ。観念の。でも、美術の場合は肉体的な作業。そういう意味では肉体はものすごく重要ですね。肉体あってのアートですね。
39—制約なく展覧会をキュレーションできたらどういう作品を集めたいですか?
僕が好きなデュシャン、ピカソ、キリコ、ピカビアと、僕の5人。それで僕が彼らに捧げたオマージュ作品と並べたいですね。
40—芸術と宗教の関係は?
繋がっていて、繋がっていない。僕の家宗は黒住宗忠さんという人が創始者の黒住教で、個人的にも禅寺に一年間通って座禅をしたりしていた。そういう経験から学んだ道徳性や倫理性と、僕の中にもとから内在する反道徳性や反倫理性が、作品の中では背中合わせにくっついているんです。
41—横尾さんにとって宇宙とは?
科学的に解明されていない人間の機能っていうのはまだいっぱいあると思うんですよ。科学者の考える機能は地上と結びついているんですけど、まだ解明されていない機能は宇宙と結びついている。だから、まだ解明されていないものを考えるとき、僕の宇宙観が出てくるわけですよ。まだこの地球は大したことないですよ。ちょこっとしか解明されてない。どういう描き方をするか、どういうテーマを選ぶかとか、そういうちっさいことはどうでもいいんですよ。それより、もっと人間を超えて宇宙と合体するような、そういう魂に興味があるんです。だから、新しい様式とかコンセプトとかそんなのには興味がない。
42—ご自身の最高傑作は?
最高傑作は他人が決めるもので自分が決めるものじゃないと思うんですよ。僕は今かかろうとしている仕事が最高傑作であることを目指している。未完に終わっても最高傑作を目指そうとしている。
43—未完とは?
僕の全作品は未完です。完成というのはあり得ないですね。だって、人間は未完として生まれてきて、それを完成させるために一生を送るわけでしょ。その人生の中でやることなすこと、全部これは未完だと思います。それは途中で挫折したり放棄するんでいいんです。完成にこだわると次へ行けないから。常に次の作品への出口を作っておいてあげないと、閉じ込めてしまったらそれで終わりになってしまう。
44—これからチャレンジしたいことは?
チャレンジなんかしたくない。自分の中にあるもの、まだ出し切れてないもの、それを出し切る。そのためには自分の中にある善悪をもっと見つめなければいけない。
45—今後の野望は?
野望とか夢とか希望とか、そういう世俗的な興味関心はかなり昔に僕の中から少しずつ消えました。それは年をとったから。2通りあるんですよ。年をとるほどそういうものに執着する人と、そういうものから離れて楽になっていく人と。僕は後者のほうだと思う。若い頃は持ってもいいんですよ。でも、徹底的に持っていると、その自我にくたびれてくる。そうしたとき、全部捨てたくなるんですよ。
46—過去にタイムスリップできるなら?
今、こうして過去について話していることが既に僕にとってはタイムスリップだという気がするんです。
47—消したい過去はありますか?
全然ない。過去はみんな肯定しています。
48—美術は楽しいですか?
美術に関して言えば、楽しさをどこか捨てようとしているんですよ。例えば、文学的なものを取り入れて、物語を描こうとするでしょ。そうすると楽しいかもしれないけど、つまんないものしかできないんですよ。そんなアートってすごいありますよ。だから、僕は小説家が本業じゃないから、小説ではうんと物語を書きたい。物語が書けるから楽しい。美術ではその楽しさを排除しているんですね。美術って快楽を受け入れすぎちゃいけないと思うんです。例えば、五感ってありますね。目で楽しんでしまう。耳で楽しんでしまう。すると、それが欲望になって、執着になっていくでしょ。だから、コントロールしなくちゃいけない。
49—生みの苦しみはありますか?
やっぱり、苦しみを通り越さないと、生みの快感に到達できないわけですね。最初からほいほいほいほいできてしまうときがあるんですけど、こういうときはだめですね。出来上がってしまったものはつまんないんですね。にっちもさっちもいかない状態で「もうやめた!」っていうほうがいい。だから、僕の好きな作品はほとんど未完で、ギブアップしているんですよ。
50—アートとは何ですか?
ありきたりな言葉だけど、本当にありきたりで嫌なんだけど、いかに生きるかということですね。それで、アートをやっていれば、なるようになる。何かをしようとすることはないんです。それしかないんですね。
僕はもともと郵便屋さんになりたかったんだもん。でも、校長先生が「郵便屋よりも、美大に行け」って。行きたくもないのに全部手続きをしちゃって、試験を受けさせられた。それで今の僕がある。何もかも向こうの他力によってなるようになっているわけでしょ。余計な努力はする必要ないんですよ。
PROFILE
横尾忠則
よこお・ただのり|1936年、兵庫県生まれ。’50年代からグラフィックデザイナーとして活躍。’80年にNYで見たピカソ展に衝撃を受け画家に転身。2012年には神戸に横尾忠則現代美術館が開館。 (https://ytmoca.jp/en/)
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