カルチャー
【#3】Jimbocho in the mid 90s
執筆: 中武康法
2023年5月1日
illustration: Sayoko Nakadake
text: Yasunori Nakadake
edit: Yukako Kazuno
アルバイトはまず、日雇いから始めた。大学の掲示板には、日々あれこれの求人の案内があった。高田馬場にある学生向けの職安みたいな所にも通い、チラシ配りから工事現場、引越し手伝いなど、様々な肉体労働を転々とした。色々やってみたかったし、何より高い時給と好きなスケジュールで集中的に稼げるのが有難かった。そんな私がある時、神保町のとある街角で、バイト募集の張り紙に出会った。「古書店スタッフ募集。専門は映画や音楽、趣味の本など」。実をいうと、神保町に居ながら、正直古本屋にはあまり関心が無かった。靖国通りに並ぶ老舗の建築群には関心を持って眺めていたものの、その分ちょっと敷居が高く感じており、店員さんたちが放つ独特の緊張感も、自分がそこに足を踏み入れる事を拒絶していた。しかしながら「映画や音楽の本」という文言は、まだ二十歳そこそこの青臭い好奇心を揺さぶるのに充分だった。小学生の頃からビートルズにハマり、過激でスタイリッシュなシックスティーズの世界に憧れ、旧い映画や音楽を貪り育った自分にとって、そういう場所で働くことは運命なのかもしれない。そうして気がついた時にはもう、面接を申し込んでいた。
そこは今はもう無い店だが、小さなビルの上階でひっそりと営業していた。まだ“東京の人”にビクビクしていた田舎者ではあったが、店長さんの気さくなお人柄に助けられ、無事面接に受かることができた。日雇いばかりだった自分が、とうとう継続的な職に就く事になった。しかも大好きなジャンルの本に囲まれて…ってあれ、ちょっと待てよ、確かに大雑把にいえば映画や音楽にまつわるものではあるが、ちょっとばかり景色が違くないか⁇? 古本屋というものに慣れていなかった自分にとって、一見ではその店の品揃えを理解できていなかったのだ。よく見れば棚に並んでいるのは、アイドルタレントの写真集や芸能雑誌ばかり。更に奥に行くと、裸の女性が縄で縛られたような表紙の雑誌がいっぱい…。「それじゃ、明日10時からお願いね。」見込み違いに気づいた時にはもう遅い。しばらく先までシフトが割り当てられてしまった。
ちょうどその頃古書業界では、「アイドルお宝ブーム」が猛威をふるっていた。テレホンカードなどのプレミアム化は既にあったが、テレビ番組「なんでも鑑定団」などのヒットもあり、骨董でもアンティークでもない、サブカルチャー的なものにも価値がつくという事が世の中に周知されていた。“アイドル写真集”を高値で取引するという行為の起源については知る由もないが、中野ブロードウェイのお店、大宅壮一文庫の近くのお店、そして神保町ではA店やB店など、既に多くの古書店が専門的に扱っていたし、お堅い方向性の古書店でさえ、店先や目立つポジションでそれらを客引きの様に陳列していた。私の働いた店でも勿論それらが大きな売上になっており、写真集や雑誌が定価の何倍もの値段で飛ぶように売れていた。はじめはその見慣れない景色に動揺していた私も、この活況にほだされ、やがて面白さを感じるように。アイドルタレントや雑誌の名前はもちろん、編集者や出版社、フォトグラファーからライターまで、様々な情報がインプットされていった。“アイドル雑誌”といっても様々で、タレント写真にまかせただけの味気ないものから、デザインやアイデアが隅々まで行き届いた上質なものまで、ふり幅がある事に気がついた。『平凡パンチ』や『プレイボーイ』などの歴史あるメンズ誌も多く扱い、往年の女優の美しさに息をのむと共に、「VAN」や「アイビー」などの単語も発見していった。
その頃のアイドルブームで最も印象的だったのは、やはり「ヒロスエ」だろう。一説として彼女のCMによりエアマックス人気に火がついたと言われているが、彼女が放火したのは決してそれだけではない。ポケットベル会社などのノベルティグッズはもちろん、等身大POPやうちわ、チラシまで、彼女にまつわるありとあらゆるものが高値で取引されていた。語り草となっている「エアマックス狩り」よりも、ドコモショップ看板の盗難の方が、実は大きな社会問題だったのではなかろうか?もちろん、神保町の古書店のプライドとして、盗難品と思われるものは絶対に買取しなかったけれども。
ところで買取といえば、あの頃はまだ「チリ交」と呼ばれる存在も大きかった。端的に言えばいわゆる「チリ紙交換」というやつで、各地で回収した紙モノをリサイクルに出す前に、古書店で売れるものは売っちゃおうという人たちの事だ。そうやって言うと回収ついでのちょっとした小遣い稼ぎのように聞こえるが、実はプロフェッショナルな人も多く、相場や売れ筋等きちんと把握し、売れ線の書物が出てくるスポットの縄張りまで確保して、かなりの収入を得ていらっしゃったように思う。依頼すれば確実に入手してくるツワモノや、話好きでなかなか帰らない、でも貴重な情報(他所の店では何が売れてるとか)をくれるおじさんなど毎日複数の「チリ交」が来店し、本当にお世話になった。インターネットによる個人売買の普及で“価値あるゴミ”が中々出てこなくなったであろう今、彼らの姿を見かける事は少なくなってしまった。しかしきっと、賢い彼らは他にネタを見つけて、どこかで悠々自適にすごしていらっしゃるのではないかと思う。
プロフィール
中武康法
なかだけ・やすのり | 1976年宮崎県生まれ。2009年、古書店『magnif』を古本のメッカ神田神保町にてスタート。古今東西のファッション雑誌を集めた品揃えは、服好き雑誌好きその他の多くの趣味人の注目を集めている。
Instagram
https://www.instagram.com/magnif_zinebocho/
Official Website
http://www.magnif.jp/
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