カルチャー
クソみたいな世界を生き抜くためのパンク的読書。Vol.14
紹介書籍『人間の土地へ』
2023年2月15日
text: Densuke Onodera
edit: Yu Kokubu
生存の実感と尊厳と自由
眠くなれば寝て、腹がへったら起きる。食物を摂取したら排泄し、また眠りにつく。不機嫌ならば叫び、愉快であれば笑う。ただそこに生きている。今を生きている。
そんなライフスタイルを貫いているのは私ではなく、0歳児の我が子だ。
「人間ってただ生きてるだけじゃダメなんすか?」
そう問いかけてはこないものの、子を抱く私の胸に去来するのは「人間はただ生きてるだけで尊い」という想いで、ウンコすら「尊いな~」と思いながらオムツを変えている。
一方で、人間は大人になると生きているだけで「尊いですね~」と存在を肯定されることはあまりない。子が放屁すれば「かわいい」という妻も、私が放屁すれば「最悪」と吐き捨てる。
ただそこに生きているだけだと「働きなさい」と言われ、社会に出て役に立たないと存在しづらい。しかも社会は社会で行き詰まっていて、尊厳とか自由とかの前にまっとうな生活を送るための賃金を得ることすら容易ではない。いずれ我が子が生きる日本の社会を思うと、不安な気持ちになる。
いっそ日本を飛び出して世界に羽ばたけと海外に目を向ければあちこちで戦争や内戦が続いており、生きているだけで尊いはずの人間の命が日々暴力に晒されている。
こんな世界で、人はどのようにして生存の実感を得て、ただ生きることの尊厳を守り、精神の自由を掴みとれるのだろう。そんな問いに対する一つの在り方が『人間の土地へ』に記されていて、心が震えた。
著者の小松由佳は2006年、日本人女性として初めてK2登頂に成功した。K2の山頂から命からがら下山した時、心の奥深くからこう実感する。
「人は何かを成し遂げたり、何かを残さなくとも、ただそこに生きていることがすでに特別で、尊いのだ」(p.26)
記録に残る偉業を成し遂げた後に至った「人間はただ存在するだけで尊い」という境地。そこに至る過程だけで一冊の本になりそうだけど、本書の中でそれは序章にすぎず、冒頭の数ページで終わる。残りの200ページ以上に渡って描かれているのは、旅先のシリアで出会った人々との交流と、その後の内戦勃発によって翻弄される市井の人々の姿だ。
内戦以前のシリアでは「家族や友達とのゆとりの時間こそが人生の価値」とされていたそうだ。たとえばラクダの放牧を生業にする青年たちに同行すると、途中「お茶休憩にしよう」と言って腰を下ろし、だらだらお喋りをして一時間経った頃にようやくお茶を淹れ始め、「砂漠で飲むお茶ほど美味しいものはない」と言いながら茶をすすり、一息ついたら今度は「昼食にしよう」みたいな感じでサンドウィッチを食べ始めたかと思うと、ひよこ豆のディップを互いの顔につけ合って爆笑したりしてる。日本の会社だと「いつまでサボってんだ!」と間違いなく怒られるけど、シリアではそういったゆとりの時間こそが大切にされていた。
そんな豊かな日常も、腐敗した政治のせいで全てが台無しになる。
内戦が勃発すると、一緒に遊んでいた友人は反政府軍の兵士になったり、ISの戦闘員になったり、政府軍に逮捕されたり、国を逃れて難民になったりとばらばらになる。愛着を持って家族と暮らしていた故郷は爆撃されて住めなくなった。
内戦の状況下でシリア人男性と結婚した著者。シリアの家族の一員として、内戦下を生き抜く人々を描く筆致には「人間はただ生きていることがすでに特別で尊い」というK2登頂で得た実感が通底している。だから、本書を読むとシリアの人々をまるで自分の友人のように感じ、他人事ではいられなくなる。
国家権力によって尊厳と自由を踏み躙られてもなお、生存の実感を誰かの手に委ねず、自らの手で人生を掴み、ただそこに淡々と生きる命を肯定しようとする。そんな著者の姿勢に胸を打たれた。
正直、私はシリアについて無知だった。ウクライナの戦争によって、シリア内戦の報道を目にする機会は減ったが、混迷は今も続いているようだ。そしてシリアの独裁政権を軍事支援してきたのはロシアとイランだと知り、全ては複雑に絡まりながら繋がっていることを実感した。
NO WARを信条とするパンクスの基本図書として、本書を勝手に認定することにした。
【追記】
自分が生きる世界に、他人事ではいられないことが増えていくと、世界の見えかたが少しずつ変わっていきます。本を読むことの醍醐味のひとつだと思います。
この文章を書いた数日後、トルコ・シリアで大地震が発生しました。『人間の土地へ』を読んだからこそ尚更、他人事ではいられず、胸が痛みます。
平穏が訪れることを願うばかりです。
紹介書籍
『人間の土地へ』
著:小松由佳
出版社:集英社インターナショナル
発行年月:2020年9月
プロフィール
小野寺伝助
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