カルチャー

『洋酒天国』を作った先輩たち。Vol.1

2022年10月7日

シティボーイ、はじめて1人でバーに行く。

photo: Kazuharu Igarashi
illustration: Yosuke Kinoshita
text: Kosuke Ide
cooperation: Hidehito Isayama
2022年9月 905号初出

今から60年以上も前に、日本のバー文化を切り拓いた伝説のPR誌。
戦後日本の都市における“プレイ”が詰まった誌面を生み出したのは、知的で粋なアノ先輩たちだった。

洋酒天国

自由で開かれた空気の社風が
生んだクリエイティブなPR誌。

 かつて日本の酒場には「ヨウテン」があった。といっても、曜変天目の略じゃないよ。ヨウヘンテンモクって何かって? そりゃ近くにいる物知りの先輩に聞いてみよう。かつて日本の酒場には、そんな先輩もたくさんいたのだ。教養とユーモアと、洒落っ気を備えた粋なセンパイたちが。今から60年以上も前、全国に登場し一世を風靡した洋酒酒場「トリスバー」のカウンターで、ウイスキーを嗜む男たちがポケットに忍ばせて持ち帰った小冊子(今で言えばZINE)、それが「壽屋」(現サントリー)の伝説的PR誌『洋酒天国』、通称「ヨウテン」である。

『洋酒天国』の何が“伝説”であるかを知るには、まずはこのずらりと並んだ表紙を見るだけでもいい。何だかかっこよくない? イラストレーター柳原良平さんの描くキャラクターなら見たことある人も少なくないはず。B6判(128×182㎜、一部例外あり)で40ページ前後、その中身はといえば、さまざまな酒や食にまつわるカルチャーの紹介から作家・文化人・芸能人のエッセイに対談、紀行、コミック、モノ紹介、少々色っぽいネタまでバラエティに富みまくり、かつ洒落の効いたエッジーな編集方針が貫かれていた。1956年4月から’64年1月まで、全60号を発行したこのPR誌の編集発行人は、あの作家・開高健。といっても、この雑誌の編集を始めた時点で開高はまだ作家ではなかった。柳原と開高、アートディレクターの坂根進、そして少し遅れて作家・山口瞳……もまだ作家ではなかったが、ともかく当初はみな壽屋の社員だったこの錚々たる面子によって、『洋酒天国』は制作されていた。

稀代の広報誌を生んだ編集部員たち。

開高健、柳原良平、坂根進、酒井睦雄、山口瞳らが退社してフリーとなった後、サントリーから大部分の出資を受けつつ開高、柳原、山口なども出資し、山崎隆夫(元サントリー宣伝部長)を社長として設立されたのが広告制作プロダクション「サン・アド」。小玉さんも編集に参加し、1999年に刊行された『日々に新たに サントリー百年誌』(サントリー)には、会社設立当初の開高、山崎、柳原、坂根、山口らの姿が。