CULTURE

僕の駆け出し時代 / 五木田智央

2021.04.01(Thu)

illustration: Kazuma Mikami
text: Hiroaki Nagahata
2021年3月発売『POPEYE特別編集 こんな仕事があったのか。』掲載

独学でデザインを身につけた男は30を超えてアーティストに転身。

 キャンバスにグワッシュという絵の具を用いて描かれたモノクロの人物像から、「タコマ・フジ・レコーズ」のTシャツのイラストまで、どこかで五木田智央さんの作品を目にしたという人は多いはず。彼は『メアリー・ブーン』など海外の有名ギャラリーでも個展を成功させている世界的アーティストだが、ここまで駆け上がるまでにいったい何を経てきたのだろう?

「小学校の頃からすでに、『アンアン』とか『流行通信』みたいな雑誌に自分のイラストを投稿していましたね。雑誌に合わせて絵のタッチも変えていたから、
『おれ、天才だ!』と(笑)。高校に入ってから、ポスターやCDジャケットのデザインをバイト感覚で受けるようになって、独学でノウハウを身につけました」

 高校卒業後はグラフィックやイラストの仕事を続けながら、生活費を稼ぐために清掃アルバイトを掛け持ち。まだ求められたものを忠実に描くだけで、絵に対する美学は少しも持ち合わせていない。そんな中、五木田さんを“職業イラストレーター”としてフックアップしたのは、角田純さんだった。

「仕事で訪れた山梨の『ギャラリー・トラックス』で、たまたま角田さんの作品を見ることがあり、衝撃が走りました。それで、知り合いの方にお願いして、角田さんに僕の絵を見てもらえることになったんです。会うなり、『めちゃくちゃいいね! 連絡するよ!』とべた褒めで、さすがに社交辞令かと思ったら、次の日『忌野清志郎のアルバムジャケットをやらないか』と本当に電話がきた。『き、清志郎か!』と慌てましたね(笑)。アルバムが発売された後、ライブに足を運んだんですが、僕の絵が巨大なポスターになって会場に貼ってあるのを見て、自分がプロのイラストレーターになったことを実感した。それから、角田さんには何度も仕事でお世話になりました。特に思い出深いのは雑誌『バァフアウト!』用に依頼されたアーティストのUAのイラスト。そのときはまだポートレートに慣れていなくて、とりあえず本人の写真を見ながら描いてみたら、『これは本人に怒られるかもなあ』というお化けみたいな絵が出来上がって(笑)。でもそれをえらく気に入った角田さんは、編集部の猛反対を押し切って、表紙に起用してくれたんです。この号が出て以来、一気に仕事が舞い込んでくるようになりましたね」

 お金が稼げるのは嬉しかったが、次第に「◯◯風に描いてくれ」というオファーが増えすぎて、心身ともに消耗。いったんはすべてを放棄してメキシコに逃亡した。帰国後、五木田智央を“アーティスト”として注目していた『リトルモア』の竹井正和さんから思わぬオファーが届く。

「いきなり言われたのが『五木田の作品集を作って、パルコで個展やろうや』(笑)。まだ僕は業界内で多少名前を知られているレベルだったから、正直不安でした。でも、竹井さんが“アートシーンの新星”として宣伝してくれたおかげで、個展は予想以上の大盛況。これを機にデザインの仕事を辞めて、自分の絵に集中する覚悟が決まりましたね」

 2003年にはニューヨークで小さなグループ展に参加。作品は飛ぶように売れ、翌日のNYタイムズには「グループ展のMVPはトモオ・ゴキタ」という批評が掲載された。ここに、新たな世界的アーティストが誕生したのである。

プロフィール

五木田智央

ごきた・ともお|1969年、東京都生まれ。1990年代、ドローイング作品で注目を集め、2000年に初の作品集『ランジェリー レスリング』を出版。近年『DIC川村記念美術館』や「東京オペラシティアートギャラリー」での個展を開催。

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illustration: Kazuma Mikami
text: Hiroaki Nagahata
2021年3月発売『POPEYE特別編集 こんな仕事があったのか。』掲載

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