CULTURE

スーザン・ケアを知ってるかい?

初代Macのアイコンを生んだ伝説のデザイナーの仕事。

2021.06.16(Wed)

text: Kosuke Ide
artwork designed by Susan Kare, kareprints.com
coordination: Aya Muto
edit: Yu Kokubu

 カリフォルニア州ロスアルトスでスティーブ・ジョブズら3人によってアップル社が創業した1976年から80年代にかけては、現代から見ればまさしく“神話の時代”という他ないけれど、そこに登場する伝説的な“神々”の一人が、今回紹介するスーザン・ケアだ。80年代初頭、初代MacintoshのGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)のためのグラフィックをデザインしたケアは、何とまだ20代の若者だった。

Photograph by Norman Seeff ・1984年、アップル社の自分のデスクでくつろぐスーザンのポートレート。

 当時、彼女が作り出し、その後も長年に渡りMacの画面上で使用されることになった「ハッピーマック」「爆弾」「ゴミ箱」「プリンタ」などのアイコンの数々を覚えている人はきっと多いのでは? その秀逸なアイデアは現代のアイコンにまで確実に受け継がれている。

・ケアが2011年に出版した作品集『ICONS』。1983~2011年に自身がデザインした80個のアイコンを集めたもの。

 ケアがそんな「歴史的偉業」を達成するきっかけになったのは、78年に彼女がニューヨーク大学で美術の博士号を取得した後、サンフランシスコ美術館で働いていた頃にかかってきた、一本の電話だった。電話の主は、フィラデルフィア郊外の高校時代の友人で、プログラマーのアンディ・ハーツフェルド。彼は当時、アップル社のソフトウェアアーキテクトとして働いていた。

「アップルで今、開発中のPC『マッキントッシュ』の画面上のタイプフェイスやアイコンを手掛けるデザイナーを探している。やってみる気はないか?」
 この誘いをきっかけに、ケアは80年にアップルに入社。と言っても、この時点では彼女はまったくコンピュータの知識がなく、デジタルタイポグラフィについてもほとんど知らなかったというから面白い。

 アップルに入社したケアが任されることになったのは、画面上のアイコンやフォント、ボタン、タイトルバーなどのインターフェイスグラフィックのデザインだった。まだPCの黎明期であった当時、コンピュータは基本的に科学者や技術者のために開発された複雑なシステムであり、決して「ユーザーフレンドリー」なものではなかった。コンピュータへの指示や命令の入力は、黒い画面上に光る緑のテキストベースで行われていたが、ジョブズは、ゼロックスのパロアルト研究所(PARC)で見た、マウスによるウィンドウ操作を導入したGUI(グラフィックにより視覚的かつ直感的に操作できる、現代のPCの基礎となっているシステム)にこそPCの未来はある、と確信していた。

 ジョブズが目標に定めたのは、Macのユーザーインターフェースを「あなたのママでも使えるように」、そして、「アーケードゲームみたいにマニュアルなしで使えるように」すること。そのためには、直感的なオペレーションを可能とするグラフィックシステムの開発が不可欠だった。スーザンにはコンピュータグラフィックスの経験はなかったが、写植の知識があり、エミール・ルーダーの名著『タイポグラフィ』を参考にしつつ、フォントとアイコンのデザインを始めた。

・彼女が初代Macのアイコンを生み出すために使用したスケッチブック。このノートは現在、ニューヨーク近代美術館とサンフランシスコ現代美術館に収蔵されている。

 当時のブラウン管のモニターは光の点(ピクセル)を使ったビットマップ・マトリクス方式でデータを表示する、72ドット・パー・インチという現代からすれば実に解像度の低いものだった。そこで、ケアはまず小さい方眼紙のノートを用意することから始め、32×32ピクセルのアイコンを方眼の色を塗る方法で紙の上にスケッチし、絵を描いていったのだ。(これらがアップル入社面接時に提出した素材だったという)。

 刺繍や編み物を始めとした手芸が好きだった母を持つケアにとって、こうした抽象化を伴うグリッドベースのデザインは馴染み深いものだったという。「数え縫い」の刺繍のように、ケアはさまざまなものの形を方眼紙の中にスケッチしていった。鉛筆やハサミ、マイク、ブーツなどなど……目指したのは、シンプルで理解しやすく、親しみやすいグラフィック。とはいえ、たった32ドット四方(=1024ピクセル)という限られたデジタル画面領域で誰が見てもそれとわかる象徴的なフォルムをデザインするのは至難の業だ。

 ケアのアイコン作りを大きく助けたのが、旧友ハーツフェルドが開発したデザインソフト「アイコンエディタ」だった。画面上でグラフィックの作成を行えるもので、操作を取り消したり、繰り返したりすることもできる。そもそも当時、こうしてコンピュータ上でデザインを行えるということ自体が革命的だった。ケアは練習用に多くの絵を描き、コンセプトとアイデアを練り込みながら、数々のアイコンを生み出していった。

 2002年にOS『ジャガー』(Mac OS X v10.2)が発売されるまで、実に18年間もMac起動時に登場した「ハッピーマック」、不要なファイルなどを消去する「ゴミ箱」、フリーズやエラーを意味する「爆弾」。待機時間を意味する「時計」。ミニマルで理解しやすく、クールで愛嬌に溢れたケアのアイコンは、その後のGUIの基礎となった。

 現在、それらのアイコンの多くは姿を消しているが、初代Macに標準添付されたペイントソフト『MacPaint』で使われたツールアイコンは、現代のPhotoshopでも少しのアレンジを加えた形で使用され続けている。そして、今もMacのキーボードのキーにしっかり印字されているのが、「コマンドキー」のアイコン〈⌘〉だ。当初、このアイコンはアップルマークだったが、それを見たジョブズが「アップルが多すぎる」(ロゴの使用をもっと減らすように)と怒り出したことから、ケアが別案としてスウェーデンのキャンプ場のシンボルをもとにデザインしたという逸話が残っている。

・ケアがMOMAのためにデザインした、「悪い習慣(Bad Habits)」をアイコン化したポストイット・ノート。

 絵心溢れるケアの魅力的なグラフィックは、アップル社内でも人気が高かったようだ。会社の財務報告書の表紙絵からチームメンバーの合同誕生日の開催案内まで、彼女はさまざまなドキュメントにグラフィックを提供した。中でも最も話題をさらったのは、ジョブズの肖像画だとか。その後、彼女に似顔絵を描いてもらうことが一種のステータスになり、依頼するスタッフが続出したそう。何とも良い話じゃないか。

・スーザン・ケアがデザインした多くのアイコンの中の一部。スティーブ・ジョブズの肖像画は右は1983年、左は2011年に作成したもの。

 多くのフォントやアイコンのデザインを描けたケアは、アップルを85年に退社し、同じく同社を退社したジョブズが新たに創業したNext社のクリエイティブ・ディレクターとして参加。最初の10人のスタッフの一人となった。

 88年以後は独立し、自身の名を冠したデザイン会社を設立。グラフィックデザイナーとして、フェイスブック、IBM、マイクロソフト、ペイパルなど数多くのクライアント企業にデザインを提供し続けている。2015-2021年には「Pinterest」のプロダクトデザインを務め、現在は「ポケモン GO」などで知られる「Niantic Labs」のデザインアーキテクトとして現役バリバリで大活躍中というのが嬉しい。

 コンピュータに関する専門的訓練は受けなかったけれど、デザインに対する並々ならぬ好奇心と情熱があったケアは、「GUIの母(Mother of GUI)」となった。2018年にはAIGAメダルを受賞し、2019年にはクーパー・ヒューイット・スミソニアン・デザイン・ミュージアムから「Lifetime Achievement Award」を授与されている。


文・井出幸亮


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