ライフスタイル

僕が住む町の話。Vol.5/文・角幡唯介

鎌倉のチベット

2021年11月6日

cover design: Eiko Sasaki
text&photo: Yusuke Kakuhata

私が住むのは鎌倉の極楽寺という地区である。
 鎌倉駅から江ノ電で藤沢方面にむかって4つ目が極楽寺駅で、そこから山にむかって7分ほど歩いたところに家がある。最後の150メートルは急な坂道で、自転車で登ると太腿に軽い疲労をおぼえるほどだ。裏の藪は急な斜面になっていて、腐葉土みたいな土のにおいがプ~ンとただよっている。豊かな自然……とまではいかないが、蝶、蜂、足高蜘蛛、蟷螂、ゲジゲジ、百足といった虫類にはことかかず、台湾リスやトカゲも数多く、自然度はそこそこ高い。
 前回の記事でxiangyuさんが「横浜のチベット」というタイトルで書かれていたが、極楽寺もまた鎌倉のチベットとよばれている。濃い自然だけでなく、標高50メートルの〝山岳地帯〟にあり、しかも極楽という仏教観念が名に冠せられているのだ。チベット以外に呼びようがない。
 もともと私には鎌倉にたいして、経済的に余裕のある人たちが文化的な生活をいとなむ街、という偏見があり、そんなすかしたところには住みたくないと思っていた。それまでは池袋近辺に住む期間が長く、あのあたりの生活感にじむ雰囲気が気にいっていた。それがなぜ鎌倉になったのかというと、妻がそれを思いついたからだ。当時は私たち夫妻のあいだでいろいろと諍いが多く、妻の希望を却下すると、また喧嘩になる可能性が高い。一応、寄り添うという姿勢をしめしつつ、現地を見分し、そのうえで却下という方針をひそかにかためたうえで、鎌倉の物件を見にきた。すると、おかしなもので、妻よりも私のほうが鎌倉の土地を気に入ってしまったのだ。
 家から東京都心から1時間半ほど。この距離感で、これだけ自然度の高いところはなかなかない。山や森だけでなく、もちろん海も近い。チベットなのに歩いて10数分で海に出られるのである。わざわざ車や電車に乗らなくても自然が私を待っている。こんないいところはない。もしかしたら人間の暮らす場所として地球最高かもしれない、とすっかり気に入って引っ越してきた。
 それから5年。執筆に飽きたら近くのハイキングコースを走ったり、カートでカヤックを引っ張って海を漕いだりしている。東京都心に暮らしていた頃に感じていた、都市空間へのストレスはすっかり解消し、それが理由か、夫婦喧嘩もすっかり少なくなった。
 ただ、気づいたこともある。ここで暮らすようになって私は変化したが、一番の変化は自然の近くで生活しはじめたことではなく、東京の引力から脱したことにあるのではないか、とそんな気がするのだ。
 東京に暮らしていたとき、私は都市生活の便利さに、やはり固執していたところがあった。だから自然のなかで暮らしたいと望みつつ、でも東京から離れるのも困りものだという考えも一方にあり、東京からほど近い鎌倉が最高だと思った。ところが鎌倉に住みはじめると、東京なんて全然行かない。会社勤めしているわけでもないし、最近はコロナで打合せなどもほぼなくなった。必要なときは編集者が鎌倉まで来てくれる。東京に行かなくなったばかりか、行くのが面倒にもなった。今ではよほどの事情がないと東京になど出ないし、出たいとも思わない。
 こうなると、鎌倉という土地に不満が出てくる。鎌倉のメリットは東京が近いことにあったが、もはやそのメリットは無くなってしまった。今ではここの中途半端な自然度がものたりない。鎌倉には狸ぐらいしか獣はいないし、魚のいる渓流もない。海の近くに住むことで、自分は海よりも山が好きなのだと痛感することにもなった。娘が小学生になって子育ての手間が減ったこともあり、去年あたりから登山日数がぐーんと増えた。北極遠征に日本での登山をふくめると、私は年の7カ月ほど家を留守にしている。
 今、私は北海道移住を画策している。先日も、つぎの移住地を探しに10日余り原野や山を偵察してきた。もはや都市的なものはまったく必要ではない。終の棲家にするつもりで鎌倉に来たが、どうやら中間ステップにおわる可能性が高くなってきたようだ。

プロフィール

角幡唯介

かくはた・ゆうすけ|1976年、北海道芦別市生まれ。探検家・ノンフィクション作家。早稲田大学探検部OB。

チベット奥地にあるツアンポー峡谷を探検した記録『空白の五マイル』で開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞、梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。その後、北極で全滅した英国フランクリン探検隊の足跡を追った『アグルーカの行方』や、行方不明になった沖縄のマグロ漁船を追った『漂流』など、自身の冒険旅行と取材調査を融合した作品を発表している。10月29日発売の最新刊『狩りの思考法』では、北極圏グリーンランドの狩猟民であるイヌイットの集落シオラパルクでの暮らしから、漂泊旅行の経験で実感した思考法が綴られる。