ライフスタイル
オッケー、鴨川/文・大前粟生
僕が住む町の話。Vol.1
2021年7月3日
illustration: Eiko Sasaki

僕の部屋の窓は小さく、そこからは少しの空と電線と高く伸びた街路樹が見える。仕事にひと段落が着き、背もたれに深くもたれると折り畳み式の安い椅子が軋んだ音を立てる。さわさわ揺れる街路樹の葉を眺めながら、ああ鴨川にいきたいなー、と思う。おいしいケーキを買って鴨川でたべたいし、好きなミュージシャンの新譜を聴きながら鴨川を歩きたい。新しい服を着て鴨川を歩きたい。鴨川でただぼーっとしたい。
京都に住んで十年近く経つ。最初の二年は奈良との境にある街で、あとはずっと京都市内で暮らしている。碁盤の目のように縦横に並んだ通りのなかに目ぼしいお店や施設がぎゅっと固まるように集まっていて、行きたい場所へは二、三十分も歩けば辿り着ける。とりあえず京都タワーがある方が南だと覚えておけば、そこまで道に迷うこともない。便利な街だと思う。暮らしやすさに甘えるようにして、小説を書くことばかりを続け京都で暮らしてきた。普段歩く場所以外、通りの名前は覚えられないし、京都の観光地や神社仏閣のことはよく知らないままだ。
文章を書くことは楽しい。言葉を重ねることで見たい景色が生まれるし、連想に任せることで思いもしなかった場所に辿り着く。でもそれはどこまでいっても、自分の頭のなかから生まれたものだ。もっと外に開かれたくて、ここ何年かは散歩ばかりしている。
京都御所か鴨川にいくことが多い。どちらも大きな公園になっていて、ベンチに座っているとスズメが寄ってくる。植物の茎や虫を咥え、首を傾げて僕を見てくる。じっと見つめ返していると、こちらに飽きたように飛び去っていく。なにを考えてるのかわからないから動物が好きだ。自由に動くのを見ているとなぜか元気が出てくる。
去年の今ごろは鴨川にばかりいた。ルーティーンのようにして、缶コーヒー一本を飲み終えるまでのあいだ河原を歩き、空になると近くのベンチに座る。膝の上にパソコンを開いて小説を書き、肩が凝ってくるとまた歩いた。それを何日も続けた。川べりでは球技やダンスの練習が行われていて、日に日に上達していくのを見ているとうれしくなる。夜に散歩しにいくと、橋の下で大学生たちがよさこいを踊っていた。高架下の壁にはライトで巨大に伸びた彼ら彼女らの踊りの影がうつり、怪物のように蠢き続けていた。
真夏になると日傘をさしながら川に足を浸けた。小さい魚が集まって足をつついてきた。翼を広げたカモが親子で連れ立って、脚を畳みながら近くに着水した。鴨川デルタと呼ばれる三角州に、横たわった人間を五、六人重ねたくらいの大きさのショートケーキが置かれていることがあった。芸大生が作ったものだろう。ケーキの周りに人が集まってピクニックをしていて、その西側の河川敷では、扇子かなにかを手に持ち、羽をさした帽子を被っていつも舞いを踊っている日焼けしたおじさんがその日も舞っていた。亀のかたちをした飛び石の上を子どもたちが駆けたり、服をずぶ濡れにしながら川に入って魚を捕まえようとしている。
見る度に同じベンチで民族太鼓(ジャンベな気がする)を叩いている男の人がいて、ソーダで割ったウイスキーかなにかを飲みながら練習していた。太鼓の音が聞こえる範囲に座っていると、歩いてる人みんながリズムに乗っているように見えてきて、だんだん楽しくなってくる。前を通り過ぎていく犬に微笑みかける。鴨川にいるとき僕の心には余裕があって、鴨川にいないときでも、鴨川は鴨川として存在してるんだから僕はオッケー、余裕余裕、はは、なんて思えてくる。
ここまで書きつつ、最近は忙しくて鴨川に行けていない。自宅とコワーキングスペースを往復してばかりいる。どうにも身動きが取れず、自分が鴨川に行った気になれるようなエッセイを書こうと思った。でもそれは、川に対して失礼なんじゃない? という気もする。ああ鴨川にいきたいなー、と思う。おいしいケーキを買って鴨川でたべたいし、好きなミュージシャンの新譜を聴きながら鴨川を歩きたい。新しい服を着て鴨川を歩きたい。鴨川でただぼーっとしたい。
買ったばかりのサンダルがあって、履いて歩くと足が痛くなる。でもかっこいいからこれを履いて鴨川にいきたい。甲の部分にスニーカーみたいに紐が通されているやつで、「何もしなくても大丈夫。快適に過ごそう。」と商品の説明欄に書いてあった。紺の地に花が散りばめられた新品の靴下も履いて、せっかくなのでアクセサリーもごてごてと、つけ過ぎなくらいつけていく。水の流れがどんなに荒れても、どんなに穏やかでも、人がなにをしていても鴨川はそこに在ってくれている。それってすごいことなんだと川を相手に伝わるかどうかはわからないけど、そう伝えたい僕の姿がちゃんと水面にうつるようにしたい。
久しぶりに鴨川にいってみると、友だちと会っているみたいに落ち着いた。
プロフィール
大前粟生
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