ライフスタイル

僕が住む町の話。Vol.4/文・xiangyu

横浜のチベット

2021年10月2日

どこ出身?と聞かれた時、全然「横浜」出身なのに、なぜか「湘南寄りの横浜」とか「横浜の端の方」とか答えてしまうのは、私の出身地である横浜市・泉区が「横浜のチベット」とか言われているからかもしれない。

相鉄いずみ野線の通る、横浜の果て。駅に降り立つとなんとなく獣の匂いが漂ってくるのは、ここからちょっと歩いたところに養豚場や養鶏場があるからだろう。

今でこそ駅前には大型ホームセンターや100円ショップ(私は無類の100円ショップ好き)、おまけに流行りの台湾スイーツ屋や、イートイン付きのパン屋までできて、とても便利になったのだけど、私が住んでいた頃はカフェもマックも何もなく(マックに至っては未だにない。というか超昔はあったのだけどいつの間にかなくなった)、友達とお茶しながら話すのはいつだって駅のベンチで、ドリンクは自販機のミルクティーなのだった。

3歳でこの町に越して来て、現在も実家がある。両親もすごくここが気に入ってるらしく、同じマンション内での引っ越しもしている。マンション内引っ越しをしてからは広くなったものの、10代の多感な時期、多くの時間を過ごしたのは、家族4人で住むにはちょっと手狭な家。当時私はその狭い家が嫌で早く一人になりたくて仕方なかった。

家族全員の個室なんてもちろんなく、寝るのは家族で並んで和室に布団。おまけに、周りの子はみんな小学校入学のタイミングで自分の学習机を買ってもらえているのに、私はずっと母のお下がりの折りたたみ机(正式名称はライティングデスクというらしい。初耳)。ようやく自分の新品の机を買ってもらえたのは小学5年生の時だった。そのタイミングで4畳半のスペースを1人で使って良い権利が私に回ってきて、渾身のガッツポーズを突き上げた記憶がある。けれど、机とちょっとした棚を置いたらもうギュウギュウで、到底ベットなんて置けるはずがなく、寝るのはやっぱり家族と並んで和室だった。(机の上に簡易ベットという選択肢もあったのかもしれないが、当時の私にそんな発想はなかった)

自分の部屋でベット、に強烈な憧れを抱いていた私にとっては(遊びに行った友達の家がだいたいそうだった、という理由から)、そんな生活に不満しかなかった。

そんでもって私の暮らすこの町は、娯楽皆無のいわゆる田舎で、あるのはスーパーや八百屋、精肉店、かろうじての本屋だった。その代わりに見渡す限りひたすらに田んぼや畑。どこまで歩いても田んぼ畑畑畑の繰り返しで、いくら自然が好きな私をも飽きさせる町だった。そんな退屈な日々に反抗するように、15歳くらいの時はとにかく派手な服ばかり着ていて、全身蛍光イエローっていう想像しただけでクラクラするようなスタイリングをよくしていた。家族からは白い目で見られてたけど、「軽トラで轢かずに済むから」と何故か地元のおじいちゃん達には好評だった。

そうやって不満ばかりだった町を出て早5年。毎年住む場所が変化し、今住んでいる東京の家ももうすぐ更新を迎えようとしている。あれほど熱望した「自分の部屋でベット」の生活に今はなれている訳だけど、今住んでいる部屋は、家というよりなんか小屋って感じがする。

何もないと嘆いていた地元に、久しぶりに帰省したら駅前が様変わりしていて、家族に「100円ショップとかできたのは嬉しいけど、なんか栄えすぎててちょっと寂しいね」と言ったら「昔は何もないって文句ばっかりだったのに」と笑われた。

そういや私は、町のシンボルである大きな桜の木が切られると聞いた時は役所に嘆願書を送りつけて猛抗議するような奴だった。

地元の小学校で6年間行われる本格的な稲作体験でも、めんどくセーと言いながら率先して苗を植え、稲を刈ったりしていたんだった。

絶賛社会の荒波に揉まれ中の私に、心の平和と安らぎを与えてくれる心のふるさと。

「横浜のチベット」、多分ホントはずっと好きな町。

プロフィール

xiangyu

ミュージシャン。1994年、神奈川県生まれ。2018年9月から音楽活動を開始。 読み方はシャンユー。 名前は本名が由来となっている。南アフリカの新世代ハウスミュージック、GQOM(ゴム)のエスニックなビートと等身大のリリックをベースにした楽曲で関東を中心に精力的にライブを行う。

また、音楽だけでなくアート活動や社会貢献活動など様々な分野で活動中。

9月3日にはサウンドプロデュースにGimgigamを迎え、最新シングル「MANHOLE」リリース。エスニックなトラックと不思議な歌詞が謎の中毒性を生む楽曲となっている。

Twitter:@xiangyu_dayo