カルチャー
不惑の頃には。Vol.1
タカサキショウヘイ/Contemporary Artist
2021年8月3日
photo: Kazuharu Igarashi
text & edit: Tamio Ogasawara
「四十にして惑わず」。
かの孔子の言葉がまとめられた『論語』によると、40歳になる頃には迷わずに自分の道を進めるようになるといい、その40歳の年を「不惑」という。
確かに、まわりの40代って活躍している人が多い印象があるけど、むしろ、不惑の迷いや、不惑ならではの不安というのもありそうな気がしなくもない。二十歳で大人の仲間入りをしてから20年。不惑の生き方が気になる今日この頃。
今回、話を聞いたのは、アーティストのタカサキショウヘイさん。モヒカンが似合う41歳。
そうそう、あらかじめお伝えしておくと、とても文章が長いので20分くらい暇なお時間があるときにぜひ。どちらかというとパソコンで読むのがおすすめ。
世界のち○こが100本ほど描かれた本をメキシコの出版社から出す。「贈り物みたいな感じで彼女にプレゼントっていいかなと思って」と冗談なのか本気なのか、でもおそらく真剣にそう言っているこの男が、アーティストのタカサキショウヘイさんだ。出会いは2020年の渋谷パルコの『Oil by 美術手帖』でのショウヘイさんのソロエキシビション。どデカいキャンバスに躍るペインティング作品は、日本人離れした迫力と勢いがある上に、確かに、それらには“筒”が出ていたり、出ていなかったり。
「おちんちんがだいたい出ているのかな。時期によってですけど、わりと入っていましたね。10年前くらいからセクシュアルなものを描くようになって、最初は女性器だったのですが、だんだんと男性器になっていった。女性器を描くようになったのも今の奥さんのシモンと会ってから。相当描いてきたんじゃないかな。そういった意味では、コンセプトとかではなくて、初期衝動があった。新しい女性と一緒にいたときに影響を受けたもの、気持ちのいいものを描いていたんです。なんで男性器になっていったのかは覚えていない。考えていけば理由がありそうですが、今はそれすら描かなくなってきて、むしろ、ジェンダーレス。あやふやな感じで、筋骨隆々だけどスカートはいていたりとか。ひとまず、メキシコの出版社から作品集が出ることで、世界のち○こはエピソード1終了かなと思っています」
こう聞くと、タカサキショウヘイというアーティストはセクシュアルなものだけを描いているような印象になるかもしれないが、そうではない。四谷に構えたスタジオを見渡すとアブストラクトなペインティングが多い。色使いは激しめ。好みとしても、一見すると何が何だかわからないくらいの抽象的な作品のほうが部屋に飾りやすいなと思うし、渋谷でのショウのときに思いきってひとつ作品を買ってみたのもそういった理由からである。
「でも、今のこのタイミングではアブストラクトから少し離れてきているんです。パッと見て誰でもわかるナイキのシューズを入れたり、iPhoneを描いてみたり。僕自身はアブストラクトが好きなのですが、抽象的な表現はビューアーが試されますし、それについて会話をしたり、説明するのが難しかったりしますよね。コロナで人と会話するのも少なくなってきているので、コミュニケーションが取りやすいようにわかりやすいモチーフを入れている。キャリアを通じて超アブストラクトな方向に行ったり、すごいフィギュラティヴに来たりと、行ったり来たり。一般的には作品のテイストって絞るのがセオリーなのかもしれませんが、どちらかでいることが僕の場合は今のところできていないですね。でも、それでも全然いいかなと思っていて、それは10代のときにたまたま買ったキース・ヘリングのドローイングの作品集にいいことが書いてあって、それに影響を受けているから。日本から出ている本なのですが(京都書院発行で、都築響一さんが編集)、みんなが知っているキース・ヘリングっぽくなくて、その一番最後に言葉が入っている。彼が死ぬちょっと前の話だと思うのですが、『キャリアが何十年もたっていて、気がついたらサークルをグルッと回って、自分が始めた頃の新鮮な気持ちに帰ってきている』といったようなことが書かれているんです。最近、僕もそういう感覚があって、10年前にアーティストになるぞと決めて、始めたときのモチーフを描いていたりするときがある。気づかないで描いていた手癖もそういうことかなと。具体行ったり抽象行ったり、いまだにずっとサークルを回っている感じも悪くない。本から切り取ったページは家のトイレに貼ってあるんですよ」
6月末に渋谷・宮下パークのアートギャラリー「SAI」で行われた「GALLERY COMMON」など3ギャラリーによる合同展覧会「VIEWING」で発表された。
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ショウヘイさんは笑顔がとても素敵なのだ。 -
都築響一さんが編集を務めた「Art RANDOM」シリーズ102冊のうちの第6巻がこのキース・ヘリングの画集。1989年発行。ショウヘイさんが影響を受けた1冊。
ショウヘイさんは埼玉県出身だ。地元の高校を卒業後、服のデザインがやりたくて桑沢デザイン研究所を受けたが落ち、渋谷パルコ・クアトロの地下のレコード屋で働くことになる。20代の頃はあまり覚えていないそうだが、なかなか破天荒な生活を送っている。
「20代の前半までは就職していたんですよね。渋谷の小さなレコード屋にバイトでたまたま入って、アルバイトだったくせに店長やったり、仕入れやったり。完全な縦社会だったので、社会のルールはここで教わったと思います。女遊びもたくさんして、24歳くらいで一度結婚して、粗相もだいたいやりました。でも、今思うと、お店で働いていたときにターニングポイントがあったなと。レコード会社の人が営業に来たりする中に、ブンブンサテライツのマネージャーをやっていたヒロキって人がよく来るようになって、ロンドン帰りの人だったのですが、ちょっと年上で趣味とか気もあって仲よくなって。『ショウヘイなんかTシャツ作ってみたら? 絵を描いてみたら?』って、そこからビジュアルに興味を持つようになったんです。そのまま調子に乗って、レコード屋を辞めて、ひとりでやるようになった。当時はなぜかBOØWYのCDジャケットをデザインしたりと、CDのカバーはかなり作っていましたね。高校のときに絵は描いていたけど、洋服のデザインをやりたかったので、本当は桑沢に行きたかった。美大に入るくらいの色彩構成、デッサンなどをやらないと入れないと聞いて、高校時代は放課後美術の先生に訓練してもらっていたんです。だから、実技は受かったんですよ。それで、実技受かった人だけが面接をやるんだけど、面接は落ちた(笑)。面接官に欠席と遅刻がすごく多いんだけどって言われて、僕としては、スキルを身につけるためにファッションの勉強と絵の勉強をして、そのために時間を費やしているから、欠席や遅刻しているのにも理由があった。スキルと必要最低限の高校卒業の資格が必要だと思っていたから、僕的には理にかなっていたんです。それをそのまま面接でも言ったら、まったくわかってないと。君ね、そうやって入っても、やりたいことをやるために、やりたくないことをいっぱいやらなきゃいけないのわかってる? って言われて、いや全然わかってないっすと返して、落ちましたね。理屈はわからなくもないけど、そんなこと言わなくてもね。だから、受かっていたらファッションデザイナーになっていたかもしれない(笑)。でも、絵は好きだった。ある程度描けましたしね。音楽も好きで、ファッションも好きだった。それでヒロキと会って、ビジュアルに興味を持つようになった。高校卒業後、レコード屋からのフリーランスのデザイナー。プロミスからすごくよくお金を借りていました」
やりたいことをやるために、やりたくないことをやる。この考え方は日本特有の美徳ではあるが、果たして正解かどうかはわからない。たぶん、やりたいことをとことん伸ばしてもいいはずである。ショウヘイさんはやりたいことをとにかくやってきた。デザイン仕事はCDジャケットを中心に相当量こなした。すごい数をやってきて、最後のほうは飽きていた。あくまでも自分が描きたいものを描いて、気がつけば20代も後半になり、デザイナー全盛期にデザインをやめた。アーティストになろうと。人のためにじゃなくて、自分のためにしか作らないと仲間に伝え、アメリカ・ポートランドに渡った。
「デザインってクライアントの意向を形にしないといけないわけですが、その声は全然聞けていなかったんですよね。CDジャケットもそうで、最初からBOØWYをやれてしまったのもよくなかったですし、20代のわがままがすべてとおってしまっていましたから。好きな絵をただ描いて出しているだけだし、隣のミュージシャンと同じ絵になるから、違うものにしたいとリクエストが来れば、僕じゃなくていいんじゃないかと言ってしまう。そうすると誰も頼みたいと思わなくなりますしね。でも、スタイルを変えることができない。このままではダメだと。アートしかやらないって決めたのも、自分にとっても絶対いいし、人にとっても絶対いいだろうと思ったから。まだ10年前の話ですよね。30代に入って、今の嫁のシモンと会ったのはもうひとつのターニングポイントかな。グループショウのオープニングで作品を買ってくれて、じゃあ、ちょっとディナー行こうかと。英語は全然喋ることができなかったけど(笑)。いい時期にポートランドといういい場所に行けたと思います。シモンは鉄砲怖い、行きたくないと言っていたので、すごい説得したんです。絶対行ったほうがいいからって。僕は自分のことしか考えていなかったかもですが、シモンもポートランドが好きになったし、子供もできたし。でも、みんなには、ウーバーのドライバーになるって。日本語しか喋らないウーバードライバーになるってアメリカに行った(笑)。そもそも僕は、自分がやっていることや人生に対して、1ミリもシリアスでないから、ノリとか遊びとか、たまたまとか、それでしかやってきていないんです。いまだにそうだけど、悩まないですね。未来に対して、現状に対して、悩んだことがない。そういう感覚になったことがないんですよね。いい意味で適当なんだと思います。今が忙しいから、過去のことも未来のこともわからない。そう思うと、桑沢の面接で言われたことは意外とよかった。それにずっと反対して生き続けていますからね。でも、アーティストとして活動しようと決めてからの、30代前半の頃の作品を今見返すと、ちょっと笑っちゃうというか、こいつ何にもないんだろうなって思っちゃいますね。ノリだけだし、ただの快楽なだけに見える。そのときに何を思っていたのかも思い出すこともできないですし、ただスピードを出して、気持ちよく通り抜けていただけ。30代後半、40代前半で、ようやく自分がやっていることがわかってきた。スローダウンしてきたわけではなく、10年後、20年後に、40代のときにパブリックに発表したものを見返したときにも、思い出せる自信がある。俺こういうこと思っていて、こういうことを言いたくて、で、こういう作品を発表していたって。自分がやっていることがある程度わかるようになってきたし、整理されて、説明できるようになってきた。すごいいいことだと思っているし、ピークだなと思っている。40代に入って、ピークがどんどんアップデートされていく感じもある。不安は皆無。今がピークだって50歳になっても言ってそうですが(笑)。20代の頃に40代のことは考えてなかった。将来とかも考えてなかったですね」
そもそも、アーティストってどういう人種なんだろう? 普段はどんなことを考えて、何と向き合っているのだろう。純粋にアーティストとして作品を作り、生活している人って、日本にはどれだけいるのだろうか。ショウヘイさんみたいな人種は面白い。一見すると何も考えていなさそうに見えるのだけど、すごくよく練られている。
「いろんな種類があるし、人それぞれですよね。今はアーティストとはこうだってあるけど、当時は初期衝動が一番大事だって考えていた。間違いではないとは思いますが、もちろんそれだけではよくない。僕はアメリカにメンターがいるのですが、セオって人で、ポートランドのギャラリーのプロデューサーをやっています。アートとはこういうべきだと思うよというのは彼に教わったし、ものすごく影響を受けたから自分でもちゃんと勉強してやってこれた。アートってコンテキストが大事で、今までこういうことがやられてきているから、だから今、僕はこれをやるんだって。アートは特にその感覚が強いはずで、前にやられたことを知っていなければいけないし、それに対して、自分はこうアップデートしなきゃいけないと思うわけだから。自分がオリジナルだと思ったらまずい。落とし穴がそこにはあって、それ、もうやられているよって、知らないとそうなる。世界は広いし、いろんな人がやってきてんのに、やべえ、創っちゃった、みたいなね。そんな昔のことを知り、学ぶための方法には本がある。でも、アートの本で日本語訳されているものって、世界に残されているものと比べて相対的に相当少ないんです。だから、英語がファーストランゲージで育った人ってその時点でラッキーだよなって思う。それだけでディグしがいがある。たまたま日本に生まれただけなのに、全然本がないし、フェアじゃない。シドニーに引っ越したら大学行こうかと思っているんです。もう少し学びたいなと。今までは、その日のことしか考えていなかったけど、子供できてから変わったのかな。タイムテーブルには抗えないし、家族をフォローしなきゃいけない。あと、ある人にショウヘイってすごいシャイじゃんって言われたんですけど、そうなんだ! って思った。自分でわかります? 自分の性格って自分ではわからない。自分は何者なんだ? 自分はどうやって、どういう人と付き合いたいのか? どういうことをしたら気持ちいいのか? 自分が何者かがわからなくて、それをわかろうとしているというのがアーティストとしての大きなテーマ。僕の考えだと、アートって歳を取れば取るほどよくなる。経験が積み重なっていくので、おじいちゃんとかおばあちゃんの作品ってたまらないものがある。でも、アーティストを長く続けるのはお金も大変だしなかなか難しい。ニューヨークとかにはいたりしますけどね。若さがあって、勢いよくやるのもいいけど、絶対的に言葉が足りない人が多いのも事実。作品を観れば伝わる部分は伝わりますが、たとえば、言葉にできたり、アートワーク以外のもので補填できるものがあるともっとその作品が楽しめる。2倍、3倍理解できる。人間が価値を付けないと絵ってただのゴミかもしれないですよね。ペインティングって表面とかボロボロだし粗大ゴミにしかならない。これには価値があるって人間の脳みそで、2人以上で決めたから値段が付く。だから、自分の作品に対して、何を伝えたいのかを強制的に考えなくちゃいけなくなる。写実的なものでも解釈のところでいうとたくさん言うことがあるし、アブストラクトも然り。批評とか質問がくるので、それに対して答えなきゃいけない。自分は何者なのかを強制的に考えなきゃいけない。でもそれってすごくヘルシーなこと。言葉で説明できなくてもいいと思っているし、それだけしかアーティストとして認めないと言っているわけではない。いいビジュアルがあって、それ以外は何も喋れないってのもなしではないし、ちゃんと話せる人が、話したくない、コンセプトの言葉はなしってのもあり。アートはいろんなフォーマットがあると思うし、それはなんでもいいんだけど、言葉にできないと損しているなって感じは受ける。言葉があるとアートはもっともっと面白いのに。こんな面白いゲームのほんのこのくらいしか楽しんでいないなと思っちゃう。ビジュアルアートを僕はやっていて、ビジュアルが1番で、言葉は2番目。それは間違いない。でも、トップのプライオリティだけで終わる必要もない。ちゃんと自分で責任持って何なのかを話せるのか話せないのか。人間的にアーティストってキャラクターを作る上で大事なことだと思っています。アーティストが1から200まで語る必要はないけど、自分で語れるスキルがあると、誰かに語ってもらったときにリスポンスもできるわけですしね」
スタジオには描きかけのキャンバスが何個か並び、棚にもたくさん入っている。そういえば、実際にどのようにして描き進めていくのかを僕は全然知らない。
「棚に入っているのは、途中で心が折れちゃって、未完成のままずっとほったらかしだったもの。その中には、何かのきっかけで出してきて、最近フィニッシュしたものもあったりします。僕の描き方としては、何個か同時に描かないと心が折れちゃう(笑)。毎秒、これどうだろう? っていうのの繰り返しですしね。消せないときが多いから、違うなと思ったら、ほかっとくか、全部剥がして張り直す。自分がめんどくさがり屋だし、だらしないから、布を張って、地塗りして、ペインティングを始められるまでに最低1週間くらいかかるのを、またそれをやんなきゃいけないって考えると、いいストロークがでない。まったくそういうことを考えないでバーンとやりたいのに、そう考え始めるといい絵が描けない。だからじゃないけど、エクササイズの一環で、スタジオに朝来たら、ペインティングをやる前に準備運動をやる。ドローイングなんですけど、決められたサイズの紙に描く。これは昔からやっているんです。体や頭を慣らしてからペインティングを始める。それで、もうひとつルーティーンを増やしたいって始めたのが、立体を作って写真を撮ること。カメラを取り付けられるようにしていて、毎回同じ角度とパースで撮れる。毎朝スタジオで目に付いた何かをくっつけたり重ねたり、縛ったりして、完成させて、撮る。ルールはスタジオの中にあるもので。スタックできるもので作って、撮ったら壊しちゃいます。これは1年間くらい続けていて、発表するってわけではないんですけど、1日に何個もやっていたから今では400個くらいできました。このアップは面白いし、ペインティングのアイディアとかも出てくるんです。みんなもこういったことってやっていると思いますが、僕は誰かの影響を受けたわけでないし、何かを発表しようと思ってやっているわけではないから、ルールはスタジオの中にあるものを使う。いくつかは新しい画集に入れています」
真ん中の金髪がショウヘイさんだ。
「これは僕が20歳のときの写真ですが、埼玉のローカルに住んでいて、友達はみんな大工とか、車の修理工、キャバクラ店員などをやっていて、週末この場所に行けば誰か必ずいて、嫁の悪口言って、キャバクラ行って。ショウヘイ、アートってなんだよ。アメリカ? 馬鹿じゃんって。彼らと話すとめちゃくちゃ幸せそうじゃんって。バカ笑いして、超笑って、次の日は覚えていないんだけど。平日は誰かから抑圧されて、毎週末爆発できるってすごくいい。一方で、俺は人生ってなんだ? と、誰にも解けない問題を自分で勝手に作って、訓練して、でも、答えはない。僕がどれだけクライマックスを迎えたいいペインティングができて、彼らに見せても何にも響かない。アートが必要じゃない人たちもたくさんいる。2年前に日本に帰ってきて、確か、渋谷の109に“アート・イズ・フォー・エブリバディ”って書いてあって、僕はアートはすべての人に必要だって意味かと思った。それはまったく必要なくて、まず、地元の友達には必要ないですからね。アートなんかより、いいものがたくさんある。アートは限られた人に対しての娯楽だし、誰に対しても必要ではない。でも、これが誰にでもアーティストになれるよ、って意味なら間違えていない。そもそも、アートってカタカナだからよくわからない。アートだとあやふやな感じがするけど、美術のほうがわかりやすいし、身近に感じないですか? 誰にでも、誰に対しても受ける完璧なアートってないので、それは目指さないようにしています。それはしょうがないじゃんって。誰かが好きだったらそれでいいなと思う。誰かが見てくれて共感してくれたらすごくラッキーなことですよね」
30代はポートランド。不惑の節目は日本にいて、この夏からはシドニーに拠点を移す。ショウヘイさんがアーティストを続ける理由ってなんだろう?
「アーティストをやっていてよかったなってときって昔からいくつかあるんですけど、そのひとつが一日が終わるとき。布団に入って、目を閉じるとき。ペインティングだったら、フィニッシュできたとき。1ヶ月に何度かそれがある。フィニッシュできたときは本当にどんな快楽的なものよりも快感。生きててよかった〜と、その日の夜は幸せな気持ちになれるんです。これを知っちゃうと抜けられない。それ以外は大変なことが多いし、うまくいかないときもたくさん。頭の中でビジュアライズしているものが現実世界に出てくるときっていまだないですしね。すごく大変だけど、その瞬間があるのが知っているからアーティストはやめられない。もうひとつあるのが、それよりは落ちるけど、描いていてめちゃくちゃいいとき。いわゆる、ゾーンに入ったとき。完成するのにまだ時間があるけど、筆は乗っているけど、都合があってやめなきゃいけない。この調子のいい状態でやめなきゃいけないときが超気持ちいいんです。明日、ワクワクしながらスタジオに戻って来られる。これが気持ちいいのを知っているから、わざとその状態を伸ばしたりもする。3日間くらい余韻を楽しむ。戻ると、楽しくなるのを知っている。でも、焦らすと焦らしたで、勇気がなくなったりする。僕のペインティングのスタイルって勇気が大事なんです。勇気が筆のストロークの形を変える。勇気がなかったり、ビビったりすると、ラインがなかなかでない。それはそれって割り切って、どんどん次のステージに行かないといけないのはわかっているんだけど、時々、次に帰ってきたときにイエイっていうのを残しておきたいなと思っちゃうときがある。あの快感は相当ですよ。あと、ショウのオープニングもそうかな。最近は派手にできないけど、オープニングの日も強烈ですね。1秒おきに知り合いに肩を叩かれる。何百回もそれが続いて、3時間くらい平気でたっちゃう。オープニングはアーティストが報われる日。それこそ、誰にもわからない宿題、問題を自分に課して、それに対してずっとひとりで答えを出して、その答えが合っているかもわからないけど、半年、1年費やして作ったものを発表する。だからみんなおめでとう、コングラチュレーションズと言ってくれるんですよね。埼玉の友達は来ないですよ。志木のキャバクラに行ったほうがいいでしょ(笑)」
葛藤と気持ちよさの中で作られたものを、どう伝えるのか? その伝え方にもショウヘイさんならではの考え方がある。
「最近ポートランドのブライアンという友達とズームしていたときのことなんですが、彼はミュージシャンで、ジョージ・フロイドの殺害のことについて話したんです。アメリカ人にとっては大きなテーマで、みんなが話さなきゃいけないこと。ブライアンが新曲リリースするんだけどって言っていて、ジャケットもできたから、見てほしいと。真っ黄色のバックに黒い文字でジョージ・フロイドって書いてあるんですよね。彼は誰が殺したのかを考えるべきなので、これにしたと。パッと見は怖い。言い方は的確でないかもですが、言葉だけで“ジョージ・フロイドの死”とあると受け手はシリアスすぎるというか、怒っているの? って感じやすい。日本人として見るジョージ・フロイドの問題、ブライアンの考えるアメリカ人にとってのジョージ・フロイドの問題ってシリアスさ、温度差があると思うけど、怒り、シリアスすぎる感じでパブリックに出ると伝わらないんじゃない? と言ったら言い合いになった。彼は誰かが怒らないと伝わらないって思っているから。どうやって伝えたら一人でも多くの人に伝えられるのか? 国民性というのもあると思いますが、日本でやっている中でどうやったら自分のやっていることが伝わりやすいのかを時々僕も考える。アーティストって仕事がすごくリスペクトされる国でもないですし、たとえば、コメディアンとアーティストって同じステージ上でいたら、どちらかと言ったらアーティストのほうが尊敬される立場の国ってたくさんあるけど、日本はコメディアンのほうがそうかもしれない。コメディアンは大人になったらなりたい仕事のひとつだったりしますしね。そういう事実もあるから、ユーモアに包まれた表現の仕方、クスッとできるものって、日本というこの国には合っていると思うんですよね。俺的にはちょっとクスッと笑いたいんだけどって。とりあえず怒っているよりかは、伝わりやすいのかなって思ったりするんですよね。アメリカとの国民性の違いだとは思いますが。そう考えると、ポパイってシリアスじゃない感じがありますよね。ちょっと適当で、身近で、日本っぽくて、そういうところが好きなんです」
ようやくそろそろ最後。たまにはたっぷり聞いてみたくて……。不惑を地で行くショウヘイさんの、アーティストとして生きることについて。大切にしていることってなんだろう?
「スタジオがあって、毎日やれることがある。アーティストとしていることがゴールではないけど、ベタベタなインタビュアーにはショウヘイのゴールは何かと聞かれるので、たまに考える。ミュージアムに作品が収蔵されるのっていうのは確かにひとつのゴールではある。アートはその時代に生きていて、その時代の社会があったからこそできたものだし、その社会に生きてきたリアルなもの。人間の財産として、みんなで価値をつけて残していきたいもの。残して、保存して、人間の歴史のひとつとして伝えるのが美術館や博物館の役割ですよね。でも、それだけじゃなくて、最近考えているのがある。昨年の渋谷パルコでやったショウでは、男性の乳首をどう使えるのか? というのをテーマに考えた。世界中で俺が一番男性の乳首の機能性を知っている。要するに、その点に関してはギネス入りしている。別に乳首でなくてもいいのですが、何かがとても突出しているものを持っていて、それはショウヘイに聞いたらよくわかる。ゴールのひとつであり、僕のアートの一部としての活用です。あらゆるものが載っているギネスに載るってことは、すごくクリエイティブなこと。自分の名前がギネスに入ることって、世界を別の角度、逆とか斜めとか、自分しかできないことをどう考えられるのかってことだと思うんです。どういう視点を持てるのか。わかりやすく話すと、すでに誰かがやっちゃった同じことを考えることよりも、ちょっとはマシじゃない? って言うと埼玉の地元の連中も『おう』ってなる。先ほども言いましたが、アーティストとしても40代の不安はない。これから嫁の出身地であるシドニーに引っ越すわけですが節目節目で環境が変わっている。30代はポートランドだし、40代はまずはシドニーに。このままいけるとも思っている。どうにかなんないときは、どうにかなんなかったときに考えればいい。失敗しても全然いい。ていうか、失敗って何? ゼロから始めるほうが気持ちいいですしね。あと、そうだ、自分の名前を変えたい(笑)。いつでも変えたいし、ショウごとに名前変えたい。本名も変えたい。日本画家の人たちもそうですよね、流派が変わると名前も変わる。嫁の旧姓がブラックなので、ブラックショウヘイっていいなって。シドニーに引っ越したら変えようかな。謎に包まれていてなんだかよくないですかね、ブラックショウヘイって(笑)。でも、アジア人だし。どういう意味かわからない。考えちゃう。混乱させる感じがね、いいですよね。そんなふうに、興味が出てきたことには絵じゃなくてもトライしてみようと思っています。ずっと続けていこうと思います」
Shohei Takasaki
Contemporary Artist
タカサキショウヘイ|1979年、埼玉県生まれ。コンテンポラリー・アーティスト。これまでに、ポートランド、LA、クウェート、メルボルン、香港、東京などで作品を発表。2019年にポートランドから東京に拠点を移し、ペインティングを中心に彫刻やインスタレーションなどを手掛ける。この夏からシドニーへ。最近、背中に刺青を入れ始めたそうで、蟹座の息子と射手座の嫁ゆえに、蟹と矢を入れているのだとか。約4年の記録をコンパイルした150ページに及ぶ画集「Where Is Everybody」も刊行されたばかり。
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