カルチャー

【#3】東京の奇祭

2021年7月25日

photo: Keiko Oishi
text: Hajime Oishi

「奇祭」という言葉には少々危うさがある。デジタル大辞泉によると、奇祭とは「独特の習俗をもった、風変わりな祭り」のことを指すが、もしも地元の大切な祭りのことを「独特で風変わりですね」などと外部からやってきた観光客から言われたら、ちょっと気分がよくないだろう。そんなこともあって、僕はあまり奇祭という言葉を使わないようにしている。

だが、水止舞(東京都大田区大森)のことを解説した大田区のウェブサイトには、堂々と「奇祭」という言葉が踊っている。なので、ここではあえてその言葉を使う。事実、この水止舞とは雨が止むことを祈念する儀式と雨乞いの儀式が続けて行われるという、独特で風変わりな行事なのだ。

水止舞は毎年7月、大森の古刹である厳正寺で行われる。前半は道行と呼ばれる雨乞いの儀式。縄を渦巻き状に巻き上げた龍神の中に男が入り、法螺貝を吹きながら厳正寺へと少しずつ進んでいく。その際、沿道からはざっぱざっぱと水が浴びせられる。雨を司る龍神を元気付け、降雨を祈念するというのがこの道行の趣旨だ。理屈は分かるが、傍目から見るとなかなか風変わりな光景である。

30分ほどかけて厳正寺へ到着した龍神は縄を解かれ、後半の水止め舞へ。こちらでは三匹の獅子と花籠二人による舞が披露される。笛の音色と奉納唄に合わせた舞は勇壮なもので、現代の目から見ても三匹の獅子がダイナミックに舞う姿はとても格好いい。

では、この水止め舞はなぜ前半で降雨を祈念しながら、後半でわざわざその雨を止めようとするのだろうか。そこにはもともと多摩川のデルタ地帯であり、長年水害に悩まされてきたという大森の歴史が関係している。

――時は元亨元年(1321年)、武蔵の国は大旱魃に見舞われていた。大森も例外ではなく、農民たちは厳正寺の住職だった法密上人に助けを求めた。「田畑に雨を降らせてくれ」と。上人は藁で龍神を作ると7日間にわたって雨乞いの祈祷を続けた。すると、7日目に雨が降り注ぎ、農民たちは多いに喜んだという。

話はここで終わらない。雨乞いが成功してから2年後、今後は数十日間雨が降り止まない。なかには上人が雨乞いをしたせいだと恨む者も出てくる始末。困ったもんだと上人は三頭の龍像を掘ると、それを「水止(しし)」と呼んでお経を唱えた。さらには農民たちに龍像を被らせ、舞を舞わせたという。その結果、雨はようやく止み、青空が広がったとされている。

雨を降らせたうえで、わざわざ止めろというわけで、当時の住民たちからの依頼に法密上人も頭を抱えたことだろう。だが、今も昔も人間は身勝手な生き物である。雨乞い/水止舞という儀式そのものに現実味はないものの、「とにかくなんとかしてくれ」という切実な住民感情は分からないでもない。

ここまで書いて、この2021年は法密上人が雨乞いに成功してからちょうど700年目の夏だったことに気づいた。去年今年とコロナ禍で中止になってしまったが、来年こそは開催されることを願う。

プロフィール

大石始

1975年、東京都生まれ。大学卒業後、レコード店店主や音楽雑誌編集者のキャリアを経て、2008年からライターとして活動中。主にアジアを中心とした世界各地の音楽や祭り文化について執筆している。旅と祭りの編集プロダクション「B.O.N」主宰。『盆踊りの戦後史』(筑摩書房)、『奥東京人に会いに行く』(晶文社)、『ニッポンのマツリズム』(アルテスパプリッシング)、『ニッポン大音頭時代』(河出書房新社)など、これまでに数多くの著書を手掛けてきた。現在、「ぼん商店」でZINE販売中。
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