TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム
CULTURE

【#2】井の頭池に棲む「ヌシ」の伝説

2021.07.18(Sun)

吉祥寺という町は、東京西部でも有数の繁華街を有し、週末になると多くの人々でごった返す。「住みたい街・住みやすい街ランキング」の類いでは常に上位を占め、住人たちの中にはそのランキングに懐疑的なものもいる(僕もそのひとりだ)。

吉祥寺という地名そのものの歴史は、たかだか350年ほどしかない。だが、町のシンボルともいえる井の頭池周辺には、旧石器時代の狩猟の跡が見つかっているほか、縄文時代の住居も発掘されている。浅草のように町としての歴史の長さを売りにすることはないけれど、吉祥寺は案外ディープな場所なのである。

井の頭のほとりには、建久8年(1197年)に建立された井の頭弁財天が佇んでいる。岸からこの弁財天にかかる赤い小橋を渡り、左手を見ると、そこには少々不気味な石像が建っている。胴体はぐるぐるととぐろを巻いていて、まさに蛇そのもの。その上には人間の頭が乗っかっている。蛇ならではのぬめっとした妖しさがあり、ひっそりとした佇まいがまたその妖しさを際立たせている。

人頭蛇身のこの石像は、宇賀神像という。宇賀神は日本神話に登場する宇迦之御魂神を由来とし、蛇神の化身とされることもある。弁財天と同一視されることもあり、実際、井の頭弁財天の御本尊である弁財天は頭の上に宇賀神を乗せている。この御本尊は12年に一度、巳年の年に御開帳されるが、残念ながら僕はまだ実物を見たことがない。

この宇賀神像を寄進したとされる長者夫婦に関する民話がある。原田重久・著『武蔵野の民話と伝説』によると、長者夫婦は北沢村(現在の世田谷区北沢地区)に住む裕福な夫婦だったらしい。長年子宝に恵まれなかったが、井の頭弁財天にお願いをすれば子を授かると聞いた夫婦が子宝祈願のお参りを続けたところ、やがて可愛らしい女の子を授かった。

娘が美しく成長したころ、親子揃って井の頭弁財天にお礼参りに出かけた。弁財天の手前までやってくると、娘は何を思ったか池の中へ飛び込んでしまった。夫婦は慌てて娘を引き上げようとしたが、池の底にずぶずぶと沈んだまま、帰ってくることはなかった。

その後、井の頭池にはヌシが棲んでいるという噂が広まったらしい。この話には後日談があり、小さな白蛇に生まれ変わったとする話もあれば、水中に沈んでいく娘の身体が白蛇に変容していたという話もある。いずれにせよ、長者夫婦は娘のことを思って宇賀神像を寄進したというのだ。

確かに井の頭池にはたびたびアオダイショウが出現する。僕は吉祥寺に10年以上住んでいるけれど、井の頭池の周辺で蛇を見たことはない。深夜、千鳥足で帰る道すがら、うねうねと動く白蛇を見かけることなどがあれば、子供のように大声をあげてしまうことだろう。ひょっとしたらその蛇は池のヌシかもしれないし、長者夫婦の娘かもしれない。吉祥寺はそんな伝説が息づく町でもあるのだ。

プロフィール

大石始

1975年、東京都生まれ。大学卒業後、レコード店店主や音楽雑誌編集者のキャリアを経て、2008年からライターとして活動中。主にアジアを中心とした世界各地の音楽や祭り文化について執筆している。旅と祭りの編集プロダクション「B.O.N」主宰。『盆踊りの戦後史』(筑摩書房)、『奥東京人に会いに行く』(晶文社)、『ニッポンのマツリズム』(アルテスパプリッシング)、『ニッポン大音頭時代』(河出書房新社)など、これまでに数多くの著書を手掛けてきた。現在、「ぼん商店」でZINE販売中。
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