TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#3】教員にはならなかったけれど

執筆:上垣皓太朗(フジテレビアナウンサー)

2025年9月29日

フジテレビアナウンサーになって、1年半が過ぎた。

大学で国語と地理歴史の教員免許を取得したものの、教職には就かなかった私は、ペーパードライバーよろしく、ペーパーティーチャーのひとり。

とはいえ、教職課程のころの気持ちを忘れてはいけないと、ときどき思う。

私が大学に入学したのは、2020年だった。

新型コロナウイルスの感染拡大で、入学式も見送り。私や家族は健康に暮らすことができていたが、ニュースで耳にする、コロナがもたらすさまざまな悲劇には心が休まらなかった。

授業もオンラインに切り替えられたが、ほとんど唯一、対面形式で行われたのが、教職課程に入るなら必須の説明会だった。「教員免許、取っておいて損はないか」といった程度の興味で、参加するだけ参加してから考えようと思った。

会場で聞こえてきたのは、コテコテの大阪弁だった。

「学校でやる特別活動なんて、本来はいかに3密を作り出せるかの勝負なんやね」

当時やり玉にあがっていた状況をさす言葉を通じて、「人が密になること」の本来の意義が力説されていた。(3密、覚えていますか?)

人と人が近い距離でぶつかる教育という営みが、いままさにコロナの影響を大きく受けている、だからこそ教職課程の門を叩いてほしい・・・そんなふうに理解した。

ああ、これを伝えるために、この説明会は対面形式だったのだ。

「教職は、おもろいよ」

その言葉には、揺るぎない確信と、ふしぎな魅力があった。

とりあえず、授業を受けてみよう。

教職課程といえば、国語なら国語と、専門の科目だけを受講するものだと思っていたが、そうではなかった。子どもの発達やカウンセリングなど、さまざまな科目が要件になっている。

「3密をいかに作るかの勝負」こと特別活動論は、忘れられない。その名の通り「特別活動」の時間を、教員がどうおもしろく設計するかを考える。

(みなさんの一番の学校の思い出はなんですか? 文化祭も席替えも、記憶に残る瞬間は、たいてい特別活動です)

特別活動論の授業では、集まった大学生を、いくつかの班にわけて「高校の1クラス」に見立てる。4月はお互い初対面だから、ちょうど高校のクラス替え直後の雰囲気に似ている。全員に課される課題は、ずばり、「夏までの間にどうこの『クラス』が仲良くなれるか?」。

授業のたびにどこかの班が先生役になり、模擬ホームルームを行っていく。

「打ち解けられる自己紹介タイムを作りたい」
「話すのが苦手な人でも、自分を開示しやすくするにはどうすればいい?」

お互いがどうやって仲良くなろうと考えながら、仲良くなっていった。

班の4人全員が「湯船は右足から入る派」だった・・・そんなことがわかって笑い合うだけでも、案外距離が近づくものだ。

とりとめのない時間。それは、コロナ禍のかけがえのない時間だった。

やりとりはすべてオンラインである。しかし、みんなでzoomの扱いに失敗し、みんなでそれを使えるようになっていき、離れたところにいるお互いの声を聞き合い、「ああ、一人じゃないんだな」と感じ合っていた。

あるとき、教職の先輩学生がオンライン交流会を開いてくれて、とても楽しかった。それに触発されて、次の年度にはぼくたちが新入生に開いてあげようという呼びかけが起こった。終わりの見えない外出自粛の時期に、教職界隈でできた人のつながりは、その後、実際に会って仲を深める関係にも発展していった。みんな、人が好きな人だった。

人と人がいかにつながれるか?

直接会ってでも難しいこの問いが、もっともっと難しくなったコロナ禍で、集団でゆるやかに壁を乗り越えようとした記憶は、私の中に刻まれている。それは教育の風景に置き直すなら、たとえば、直接学校に来られない子どもにどう関わって、どうすればみんなでよりよい方向を向けるだろうというような問いにもなるだろう。

大学時代後半になるとキャンパスにも通えるようになった。

教員にはならなかったけれど、私は遠いところにいる人たちに伝える仕事をしている。

大学にいた人より、もっと多種多様な人たちがいる。その中で、人と人がいかにつながれるかを考えるのは難しいが、同時に、わくわくすることでもある。

週末の『めざましどようび』では天気予報をお伝えする。気圧変化で頭痛や肩こりといった特定の症状が出やすい人に向けて、そのアップダウンを伝える。低気圧が近づいて痛みが出るとき、痛んでいるのは一人ではない。「一人ではない」と知ってもらうことにも重要な意味があると思って、言葉を選ぶ。

コロナ禍を抜きにして、大学生としての私はありえないし、私たちはありえなかった。だから、みんなにとっての脅威や危機こそ、だれかとつながれる手段になるのではないかと、感じずにはいられない。そして、あんなに大変だったコロナ禍初期の記憶すら遠ざかるいま、コロナ禍に失われたものや痛みのことを、ちゃんと問いつづけないといけないと思っている。

大学3年の時から、コロナ禍のことを記録する活動にも取り組んだ。

『めざましどようび』では天気や季節をお伝えしています。この日はそば畑からリポート。

プロフィール

上垣皓太朗

うえがき・こうたろう|フジテレビアナウンサー。2001年兵庫県出身。2024年にフジテレビに入社し、現在は「めざましテレビ」「めざましどようび」「かまいまち」などを担当するほか、競馬などの実況でも活躍。趣味は銭湯での長風呂、AMラジオ視聴。特技は地形図を見ながら街を歩くこと。

Official Website
https://www.fujitv.co.jp/ana/profile/k-uegaki.html