カルチャー
二十歳のとき、何をしていたか?/文田大介
2025年8月11日
photo: Takeshi Abe
text: Neo Iida
2025年9月 941号初出
放課後も夏休みも部室へ。
高校3年の夏の約束で、
友達が相方になった。
小さい頃は落ち着きのない子。
高校受験で東海大相模へ。
今年の『THE SECOND ~漫才トーナメント~』で圧巻の漫才を披露した囲碁将棋。その独創的なネタは文田大介さんの脳みそで生成されている。どんな10代を過ごしたらあんな発想が生まれるんだろう。
「小学校の頃は席に座っていられない子でした。悪気なく家に帰っちゃうし、体育館に移動してる途中みんながどこ行ったのかわからなくなる。いつ直ったのかあんまり覚えてないですけど、中3ぐらいまでは授業中に奇声を発したりしてましたねえ」
文田さんは神奈川県藤沢市の善行団地で育った。団地の中の公園に行くと誰かしらいて、「サッカーやろうぜ」「缶蹴りやろうぜ」というあの空間が好きだったという。文田家は父、母、長男の文田さんの下に3人の弟がいる6人家族。仲は良く、母親が特にパワフルな人だった。
「団地ってご近所同士で『うるさい!』みたいな小競り合いがよくあるんですよ。うちの母ちゃんは喧嘩っ早いタイプで、下のおばあちゃんが布団をパンパン叩くとベランダから『うるせえんだよ!』。もう地獄でした。でも反抗期はなかったんですよね。母ちゃん、基本は愛情深い人ではあるんで。あと僕も子供ができて、男4人育てるって大変だったろうなと。旦那は昭和の人間で家事育児参加しないし、ストレスが常にマックスだったんじゃないかなあ」
中学1年生のとき家族で隣の茅ヶ崎市に引っ越した。念願のマイホームに「団地を出れるぞ!」と喜ぶ父親と対照的に、文田さんは茅ヶ崎の田舎っぷりに愕然とした。
「お墓と老人ホームしかないような僻地で、通学も片道25分は歩かなきゃいけない。本当に嫌でした。だって通学路に『痴漢に注意』っていう看板が20枚ぐらいあるんですよ。痴漢出てんじゃんと思って。嫌なとこ引っ越したなあって感じでした」
中学校では野球部で4番バッター。漠然と甲子園に出たい、と思うようになった。
「それで野球が強い東海大相模(東海大学付属相模高等学校)を受験しました。でも野球部に見学に行ったら、もう推薦や特待生の生徒が春休みから練習に参加していて、僕みたいな一般入試の生徒は出る幕がない。練習3日目くらいでレベルが違い過ぎてやめちゃいました」
部活のアテがなくなり、せめて友達と自由に使える部室が欲しいと考え、休部状態だった囲碁将棋部に目をつけた。
「4年間誰も在籍してないから邪魔な先輩がいない。でも顧問の富野先生は『入らないでくれ。あと1年で廃部になるから』って言うんですよ。大会について行くのが嫌だったみたい。大人の本気を見たというか、嘘くさくなくて逆に信頼できましたけど」
先生を説得し、溜まり場を確保。のちに相方になる根建太一さんとは入学後、同じクラスで出会った。座席が五十音順で「ねだて」の後ろが「ふみた」だったのだ。
「根建は高校入ってすぐの授業参観で、当時ニュースになってたオウム真理教事件をイジって、すごく良くない文章を発表して先生にめちゃくちゃ怒られてたんですよ。 それ見てこいつちょっと違うな、ヤバめだなと思って、グッと距離を詰めました。僕もその頃まだ授業中急に喋っちゃう感じが残ってたし、なんかわかるなって」
根建さんは、文田さんがロッカーに入れていた漫画『月下の棋士』にハマり、囲碁将棋部に顔を出すように。でも甲子園を目指し中学受験で東海大相模に入ったこともあり、野球をやらずに囲碁や将棋をやるとは家族に言いづらかった模様。やがてみんなといるのが楽しくなり、二学期に入部した。
「将棋できるの僕しかいなくて、大会とか恥ずかしかったです。もう一人のカヤヌマはちょっと指せるけど、根建は駒の動きわかってなくてすぐ王将取られちゃう。だから『根建、悪いけど外れてくれ』って美術部のカジくんを誘って団体戦に出てました」
それでも部室にいると楽しくて、夏休みもほぼ毎日集まった。『ダービースタリオン』をやったり、解説用の大きな将棋盤を即席雀卓にしたり、まさに青春だ。そして大学生になると湘南の広いキャンパスへ。文田さんは理学部数学科に進学。確かに文田さん、理系って感じがするけれど……。
「いや、実は僕めちゃくちゃ文系なんですよ。付属で誰でも上がれるから、苦手なほうやろうってすごい変なことしちゃって。だから4年間、勉強つまらなかったです」
AT THE AGE OF 20
上は建学祭のお笑いコンテストで優勝した瞬間の文田さん(左)と根建さん(右)。コンビ名は散々オールスターズ。両脇に庄司さんと品川さんがいる。下は同じ頃、立ち位置も大きさも今と変わらないスーツ姿の二人。ところで当時、文田さんはお笑い好きだったと思うけど、根建さんは? 「あいつは何にも好きじゃなくて、なんなら芸人になったあとも見てないです。昔は『好きな芸人誰?』って聞かれたらよく『文田』って言ってました。誰も知らないから。そのぐらい変なやつです」
7色をまとうマイルールで、
親友と疎遠になる。
工学部の根建さんとは棟が近く、入学当初は「線形代数の試験代わりに受けたりしてました。単位は落としたけど」な交流もあった。が、徐々に疎遠になってしまう。
「根建は僕が恥ずかしかったらしいです。その頃、7色の服を着るって決めてたんですよ。入部したフルコンタクト空手部にあったトンファーとか棍とかの武器を常に携帯して、インラインスケート履いて、教科書も道着にくるんで。自分でもなんでそうなったかわかんないんですけど、漫画の『花の慶次』が面白くて、前田慶次に憧れたっていうのはあったかも。今見たらきっと恥ずかしいですけど、良かったなと思います。他にない人ではあったなと思うから」
かぶき者の文田さんが根建さんと再び距離を縮めたのは、大学2年生の秋に開催された建学祭でのお笑いライブ出演だった。
「囲碁将棋部の頃、新入生が入ってくるのが嫌で、高2の春の部活紹介で、強豪囲碁将棋部って設定で『ずっと筋トレさせる!』とか言い続けたらウケたんです。高3ではコントをやって、なんかお笑いっぽかったなあって。その成功体験があって出たんです。司会の品川庄司の庄司さんが『NSCに入りなよ』って言ってくれて、プロに言われたのも嬉しくて。のちに庄司さんに話したら全然覚えてなかったですけど(笑)」
子供の頃からハマるものがなく、テレビも漫画も人並み。「趣味が永久にない」という文田さんだが、唯一の趣味がお笑い番組を見ること。マニアックではないものの、好きと言えるのがお笑いだった。芸人を目指した二人は、大学4年の頃にインディーズ団体の華の穴百貨店で活動を始める。のちに大宮セブンの仲間になるマヂカルラブリーの野田クリスタルさんと出会ったのもこの頃だ。しかし、一時は離れた根建さんとお笑いをやることになるとは。
「あ、そうだ。高3の夏に親父が静岡に単身赴任してて、友達と3人で泊まりに行ったんですよ。根建も一緒に。その頃僕はおぎやはぎさんが好きで、芸人になりたくて。今は18歳だから親の承諾がいるし、絶対に大学卒業してくれって言われるはず。でも20歳超えたら自由だから、そしたら一緒にお笑いやろうぜって、根建を誘ったんですよ。でも大学で疎遠になっちゃって。それで20歳になった年に『建学祭でお笑いの大会あるから出る?』って、あいつ電話くれた気がします。『出ようぜ』って。多分覚えてたんだと思います。面白いことをやりたい気持ちがあったのかな、根建も」
高3の夏の約束を友達が覚えていて、すっかり忘れた二十歳の頃に返ってきた。それが芸人人生の始まりだなんて素敵だ。
「ネタを作り出してからは、自分が二人いればいいなと思ってました。根建が下手過ぎて、なんで他のコンビみたいなタイミングでツッコめないんだろうって。でも根建が急に変なこと言うとウケるし、そうか、俺がやりたいことを理路整然とやるよりもこういうことだなって。そこを軸にしてから自分たちのテンポができた気がします」
プロフィール
文田大介
ふみた・だいすけ|1980年、神奈川県生まれ。東海大学理学部卒業後、2004年に根建太一と囲碁将棋を結成。『THE MANZAI』2011、2014年のファイナリストに。2025年『THE SECOND』準優勝。『囲碁将棋のこんなん見るやついる?いなーい』(BSよしもと)、『キイテル「神奈川ディス・ラブ」』(FMヨコハマ)出演中。
Instagram
https://www.instagram.com/igo.sho/
YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCAv_–GiVVh6W3p_hP2UAxQ
取材メモ
ラジオなんかでは母校をイジりがちな囲碁将棋だけど、それは身内で、愛あるがゆえ。久しぶりに理学部の校舎に入って、文田さんは懐かしそうだった。この大学を卒業後にNSCに入り、渋谷の劇場に所属して以来給料は右肩上がり。でもずっと“叶わない”状態が続いてきたそう。「達成しても変化がない。『THE MANZAI 2014』で予選トップ通過で盛り上がっても何も変わらなかった。でもこの4~5年は楽しいです。楽しさは変わりつつあるなって気がします」
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