トリップ
ゴールドラッシュをめぐる冒険 in Finland Vol.3
写真・文/石塚元太良
2024年11月12日
フィンランドの原野には不思議な安心感があった。その理由を考えながら、イヴァロ川までの40キロほどの未舗装道路をとぼとぼと歩いていた。
道路脇の植生はほとんどがトウヒの木である。アカマツがちらほらと混成している。どちらも良い薪になる木である。歩く途中に目にした限りでは、小さな野うさぎと、放牧されて耳に印の付けられたトナカイと、それから印のない野生のトナカイがいる。そう彼らはまさにサンタクロースが、世界中の子供たちにプレゼントを届けるためソリを引く動物なのである。
「ラップランド」と呼ばれるここフィンランドの北極圏域は、長くサーミ族という先住民がトナカイの放牧をしながら暮らしていた土地である。僕も何度かトナカイの肉をここラップランドで食べたことがあるが、鹿肉と変わらない美味しさがある。
サーミの人はまさにトナカイと共に、有史以前からこの森で生きてきた人々である。森羅万象に精霊が宿っていると信じた彼らの宗教観には、日本古来のアニミズム信仰にも近しいものがあるだろう。
そのことはこの北極圏の森への安心感につながっているだろうか。いや単純に、20年近く長く旅してきたアラスカの原野と比べると、フィンランドの森には肌で感じる危機感が全くない。それはアラスカで感じるような、大地の広大さに対する恐怖と、野生動物、特に熊などへの不安である。
ガイドブックには熊と狼が生息していると書かれているが、どんなに自然の中を旅してもそれらの猛獣に出会うことはまずないと、フィンランドの人は口々にいう。
20キロほど歩いたところで、一軒小さな小屋に辿り着いた。この未舗装の道路の唯一の分岐点である。
小屋には小さくOPENのサインが出ており、焼きたてのパンやドーナツと淹れたてのコーヒーを提供している。細々したお土産や日常雑貨をも売るいわゆるジェネラルストアの役割をしているようだ。
小屋の中では、たぶん近所に住んでいるであろう常連さんたちが、賑やかに朝食をとっていた。フィンランドの言語は、一言たりともその意味を拾えない。遠い国に来たことを改めて感じてしまう。
その声を聞きながら、ありがたくドーナツとコーヒーを僕もいただいていると、まるで音楽を聴いているような感覚にさえなってくるのだった。
店主の奥さんは、徒歩でイヴァロ川へ向かう僕に興味を持ってくれて、いろいろなことを教えてくれた。現在の川の水位から停泊するべきポイントなど。川そのものを知り尽くし、川と共に生活している口ぶりである。
「私たちも先月、イヴァロ川をラフティングでくだったのよ。5月が一番水量があってスリルがあるわね。水もまだ冷たくて。途中二つ急流のポイントがあってね、初めてならその流れをくだる前に上陸して、流れの様子を陸から確認するべきね。間違ったルートを通ると露出した岩を避けられず打ちつけられてしまうから。」
40キロを若干ヘトヘトになりながらも歩き通し、前日にレンタカーで森の中に隠しておいたフェザークラフト製のシーカヤックを取り出して、フレームを組み立てた。
このカナダ製のカヤックは、アルミ製のフレーム構造の外側に、防水加工されたファイバーグラスの外皮を被せることでできている。組み立ての最終部分で、テコの原理を使ってアルミフレームを外側に伸長させ、外皮の張力と内部の構造の強度のバランスをとることで、とても強い船ができるのだ。
釣りの道具にしろ、水遊びに道具にしろ、インフレータブル(空気を入れて膨らますもの)が世の中を席巻しているが、僕ら人類を含む哺乳類の動物が、長い長い進化の過程で肋骨と皮膚という胴体の構造を確立したことを忘れてはならない。試しに、自身の肋骨を手で撫で回してみてほしい。それは強くてしなやかでありながら内部を守る美しい構造体である。
あとは荷物(野営道具に、撮影機材、10日分の食糧)をカヤック内の前後のスペースに積載して、出艇の準備は万端である。
天気は曇り。弱い風が吹いている。水面は穏やかで、水はまだまだ冷たい。
小さなコックピットに足と尻をおさめて、陸をゆっくりと押し出すと、その小さな舟は川の流れにゆらゆらと流されていく。陸の時間とはおさらばして、この静かな流れに任せ、70キロ先の街まで流されていくばかり。
そして、この川の流れは同時に僕を100年前のゴールドラッシュ時代へのタイムトリップへ連れて行ってくれるはずだった。
プロフィール
石塚元太良
いしづか・げんたろう|1977年、東京生まれ。2004年に日本写真家協会賞新人賞を受賞し、その後2011年文化庁在外芸術家派遣員に選ばれる。初期の作品では、ドキュメンタリーとアートを横断するような手法を用い、その集大成ともいえる写真集『PIPELINE ICELAND/ALASKA』(講談社刊)で2014年度東川写真新人作家賞を受賞。また、2016年にSteidl Book Award Japanでグランプリを受賞し、写真集『GOLD RUSH ALASKA』がドイツのSteidl社から出版される予定。2019年には、ポーラ美術館で開催された「シンコペーション:世紀の巨匠たちと現代アート」展で、セザンヌやマグリットなどの近代絵画と比較するように配置されたインスタレーションで話題を呼んだ。近年は、暗室で露光した印画紙を用いた立体作品や、多層に印画紙を編み込んだモザイク状の作品など、写真が平易な情報のみに終始してしまうSNS時代に写真表現の空間性の再解釈を試みている。
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