カルチャー

子どものままで、いつまでも芸術を愛することができれば、それは幸せなことなのです。

国立新美術館「蔡國強 宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる」を開催中の蔡國強さんにメールインタビュー!

2023年8月17日

text: Ryoma Uchida
cooperation: Ryuichi Hayakawa

 現在、国立新美術館(六本木)にて、同館と〈サンローラン〉の共催のもと開催中の「蔡國強 宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる」。本展は、世界を股にかけて活躍する現代アーティスト・蔡國強(ツァイ・グオチャン/さい・こっきょう)さんによる大規模個展だ。

 「原初火球」とは蔡さんが宇宙物理学と老子の宇宙起源論に基づいて提示したもので、ビッグバンを意味する。宇宙が生まれたとされるこの大爆発の名を、蔡さんは1991年に開催した東京での初個展「原初火球_The Project for Projects」(P3 art and environment)でも使用した。この約30年前の「原初火球」を蔡さんの芸術における原点(=ビッグバン)と捉え、爆発を引き起こしたものは何であり、そして今日まで何が起こったのかを探求する。

 「宇宙」、「見えない世界」との対話を主軸に、作家として歩み始めた中国時代、芸術家としての重要な形成期である日本時代、そして、アメリカや世界を舞台に活躍する現在に至るまでの創作活動と思考をめぐる本展覧会は、作家の芸術家人生をたどる壮大な宇宙への旅路だ。

 POPEYE Webでは、ご本人にメールインタビューを敢行! 展覧会のことから蔡さんの深い思考の数々、そして久々の日本に関することまで、いろんな質問を投げかけてみました。

《未知との遭遇》
撮影: 趙夢佳 提供:蔡スタジオ
《歴史の足跡》のためのドローイング
撮影: 趙夢佳 提供:蔡スタジオ
撮影:蔡文悠 提供:蔡スタジオ

ーー日本での大規模個展としては横浜美術館「帰去来」(2015年)以来となります。再び日本で展覧会を開催した理由を教えてください。

 2015年、当時横浜美術館の館長だった逢坂恵理子さんが私の個展「帰去来(There and Back Again)」をキュレーションしてくださいました。そして本展「宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる」は、国立新美術館の館長となった逢坂さんが再び展示を担当してくださいました。運命とはなんと不思議なものだろう!

 東京での個展としては1994年の世田谷美術館(「混沌 蔡國強)が最後でした。あれから30年の月日が流れ、また東京で個展ができることを嬉しく思います。

 この展覧会が開催されるに至った経緯といえば……。2019年、COVID-19のパンデミックが蔓延する中、私はニュージャージー州の片田舎に取り残され、日本滞在時のノートを読み返して、過去の経験を追体験していました。そして、物質主義や生態環境と宇宙の未来といった20世紀の社会問題や環境問題について熱く考えをめぐらせたんです。まるで自分が宇宙人であるかのようにね。パンデミック中の現実は窮屈でしたが、天空の星々はいつも私の「宇宙遊」を照らしてくれました。

 展覧会を企画したもうひとつの理由は、感謝の気持ちを伝えるためです。日本での最初の数年間は、困難な道のりでしたが、その分、実りの多いものでした。その後の人生にも様々な試練がありましたが、私の人生は「故郷の山から湧き出る水が枯れなかったのは、天の海という遠い地平線を目指し、伴走し、導いてくれた多くの人々がいたからである」という中国でよく使われることわざで表現できます。国立新美術館での「宇宙遊―〈原初火球〉から始まる」展という壮大な旅を通して、私はこの旅に力を与えてくれたすべての人々を回想しました。私の心は、目に見える力と目に見えない力への感謝で満たされています。

ーーコロナ禍の自主隔離期間で、80~90年代の東京滞在時のご自身のノートを読み返されたというお話がありましたが、東京での印象に残る思い出などありましたら教えてください。

 たくさんの物語がありますが……。実はこの日記は単行本として発売する予定ですので、ぜひご期待ください!

ーー​​久々の日本にはどのような印象を受けましたでしょうか。街や人の雰囲気の変化などありましたら教えてください。

 ここ数十年、日本はGDPが伸び悩んでいながらも生活水準は下がっていないと聞いて驚きました。それは社会システムが安定しているからだと思います。例えば、このインタビューの数週間前に東京といわきに戻りましたが、通り沿いのカフェで食事をするたびに、その品揃えの豊富さ、安さ、おいしさに感動しました。あと、自動販売機に様々な産地のコーヒーが用意されているのも驚かされましたね。

ーーコロナ禍を通して、これまでの考え方や創作手順に変化はあったのでしょうか。本展覧会は、蔡さんの長年にわたる活動のなかでどのように位置付けますか。

 COVID-19のパンデミックの間、社会は厳重な封鎖体制に入りました。世界中を飛び回る私のスケジュールも中断を余儀なくされました。“物理的な世界”での私の作品の多くが停止したため、ある意味、このパンデミックは、仮想世界への興味を大きく刺激し、その世界の中での制作探求への気持ちを加速させたと思います。

 今回は、NFT、ブロックチェーン、AR、VRなど、近年のデジタルアートの領域における新しいメディアを探求した成果も含まれています。ギャラリーの一角には、私のAIアートプロジェクト「cAI™」とのコラボレーションによる新作2点も展示されています。この展覧会は、私の日本滞在時代を振り返るだけでなく、新たな出発点を示すものだと言えるでしょう。

ーー展示空間は、壁や柱を取り除いたことで、蔡さんの活動の時間や歴史、作品が一体となる印象を受けました。回顧展に、あえて決められた道筋をつけなかった理由を教えてください。

 実はこれは回顧展ではなく、私の芸術における「見えない世界」や「宇宙」というテーマについて、つまり“私自身の”回顧でもあるのです。

 展示室の壁を取り払ったのは、ここを広場のように人々が自由に歩き回れる場所にしたかったからです。ギャラリーを取り囲む壁に描かれた作品は、入り口から出口まで時系列に並んでいて、その中で、放射状に配置された〈原初火球〉のインスタレーションや、ギャラリー中央のLEDキネティック・ライト・インスタレーション《未知との遭遇》が、まるで広場によくあるランドマークのように、人々の気をそらして、本来の進路から逸れることを促しています。このようなギャラリーの配置によって、過去と現在と未来がカオスに融合されて、みなさんがさまざまな発見に出会えることを願っています。

撮影:蔡文悠 提供:蔡スタジオ

ーー作品では火薬、「火」を扱っていますが、既存のシステムへの対抗や反抗だけにとらわれず、自由で広い視座をもった活動は、まるで流転し変化する「水」のような印象を受けます。そのスタイルは、ご自身のどんな部分からきていると考えますか。

 爆発が「火」の要素と結びつきやすいのは事実で、火薬の爆発はビッグバンや宇宙の星々のエネルギーを表現することができます。それを追求していくことで、独自のスタイルや魅力を成立させることができるとも思っています。

 しかしながら、例えば、天と地を結ぶ直線的な形の梯子を制作した《スカイラダー》(2015)では、人間と宇宙との関係を象徴し、より流動的で柔らかい、もうひとつのエネルギーの形を表現しています。

 この作品には何よりも、私が幼い頃に星空を見上げ、星を拾ったり月に触れたりしたいと空想していたときの気持ちが込められています。また、当時100歳だった祖母のために素晴らしい作品を作りたいという願いも込められています。私の〈外星人のためのプロジェクト〉に込められた純粋に形而上学的な精神、さらには、あなたがおっしゃるように、より「水」に近い愛や家族愛。爆発の背後にあるこれらの感情から、私の人生の痕跡というものが徐々に浮かび上がってくると思います。

ーー火薬というコントロールできない素材から、展示室内を歩く鑑賞者の動線に至るまで、偶然性に委ねる部分がありますが、蔡さんが偶然性に重きをおかれる理由を教えてください。

 私の性格は、何事も徹底して慎重に考えようとする傾向があります。それは、理性的で臆病すぎる姿を絵に反映させた父によく似ています。(編集部注:蔡さんのお父さんは文人画をたしなんでいた。)私は若い頃から、このような性格から抜け出したい、父とは違う自分になりたいと願っていたので、まず自分を破壊するために、このようなコントロールできない素材を見つけました。それはまた抑圧的な社会から課せられた厳しい管理からも私を解放してくれました。

 「偶然とコントロールの喪失」は、芸術の魅力であるだけでなく、人生と社会の現実的な描写でもあるのです。

ーー人工知能を使った作品も印象的でした。人知を超えた存在や技術の革新との向き合い方についてどのように捉えていますか。

 火薬に魅力を感じるように、実はAIも同じような役割を果たしていると思います。

 未知なるものへの好奇心と、アートに対する遊び心が私の原動力です。新たな挑戦は私を不安にさせ、制御不能にさせますが、同時に驚きと興奮をもたらしてくれます。j

 新しいアイデアやテクノロジーは、文明にも同じことをもたらすと考えます。AIの理論やリスクの最前線を探求することは、目に見えない世界と向き合い、美術史の最前線の可能性に立ち向かうことでもあり、ひいては物理的な世界における、私の芸術的実践に変化をもたらしてくれるのです。

 その未知で制御不能な性質において、AIは火薬と同じ。その火はまだ燃え始めたばかりです。

撮影:蔡文悠 提供:蔡スタジオ

ーーいわき市での活動は長期にわたって継続されています。中国、日本、NYと、ご自身が住んだ土地を大切にされる理由、また、いわき市への特別な思いがありましたら教えてください。

 一昨年、北京・故宮博物院で個展「Odyssey and Homecoming」を開催したとき、私のスタジオでは《項目足跡》(プロジェクトの足跡)と題した地図を作成しました。この地図を見ると、私が常に特定の場所に戻って作品を作っていることがわかると思います。

 この地図は私の芸術的な創作だけでなく、人生ともつながっています。例えば、私は上海で学んだこともあり、何度も上海に戻り、2001年のAPECでの花火(APEC花火プロジェクト)、2002年の上海美術館での個展、「蔡國:農民ダ・ビンチ」(2010年、上海外灘美術館)、「九級浪(The Ninth Wave)」(2014年、上海当代芸術館)、「Odyssey and Homecoming」(2021年、上海浦東美術館)での個展など、複数の作品を制作してきました。地図上では、アメリカのニューヨークや東京、そして日本の様々な場所でのたくさんの活動を見ることができます……。

 私は渡り鳥のようなもので、時期が来れば同じ場所に戻ってきます。新作のためだけでなく、旧友に会うために帰ってくることもあるのです。

 福島のいわきという海岸沿いの町は、私にとって特別な場所で、ほとんど第二の故郷です。1988年、若かった私は、ガールフレンドの呉紅虹(後に妻となる)と共に東京からいわきにやってきました。それ以来、いわきは私にとっての「革命拠点地域」となり、かつて毛沢東が行ったように「地方から都市を包囲」し、私自身の「長征」に乗り出す自信を与えてくれました。

 いわきの住民の多くの方は美術館に足を踏み入れずとも、私の若き日の夢と芸術的ロマンに共鳴してくれました。そして、私の作品を実現させ、さらには世界各地での私の活動を支援しようと、「実行会」というグループを結成してくれたのです。若くたくましかった私たちは、いつしかお互いの髪が白髪になるのを目の当たりにするようになりましたね……。

ーー最後に、POPEYE読者である日本に生きる若者に向けて、30年以上前、同じく日本に住む若者の一人だった蔡さんから、メッセージがありましたらお願いします!

 状況は人それぞれではありますが、私自身の立場から言うとすれば……。子どものままで、いつまでも芸術を愛することができれば、それは幸せなことなのです。美を創造する “天才”であること、やんちゃな遊び心と空想的好奇心を人類文明に流れる知恵の川に溶け込ませること、他者に、そして何よりも自分自身に無限の驚きをもたらすこと! このような言葉はきっと説教的で退屈に聞こえるかもしれません。しかし、芸術家がこれ以上何を望むというのでしょう?

インフォメーション

蔡國強さん

蔡國強 宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる

会場:国立新美術館 企画展示室1E(東京都港区六本木7-22-2)
会期:2023年6月29日(木)~2023年8月21日(月)
時間:10:00~18:00
※毎週金・土曜日は20:00まで、入場は閉館の30分前まで
休み:火曜日
料金:一般1,500円、大学生1,000円

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©︎ Photo by Kenryou Gu, courtesy Cai Studio.