ライフスタイル

【#1】花咲くロンドン娘たちの学校生活

執筆: 鈴木涼美

2023年5月9日

photo: Takao Iwasawa(portrait)
text: Suzumi Suzuki
edit: Yukako Kazuno

 95年秋に一年十ヶ月ほどのロンドン滞在を終えて成田空港に降り立ったとき、天災やテロを乗り越えてなおキラッキラだった東京は、まさにティーンエイジャーにならんとしている12歳の少女の欲しいもの全てを提供してくれる最強の都市に見えて、たった2年弱でも留守にしていたことを悔やんだ。実際、ブレア政権誕生前夜のロンドンというのは威厳も歴史もプライドもあるけど煌めきと豊かさと若さにいまいち欠ける渋い都市で、スパイスガールズもまだ無名だった。だから若い私にとってロンドンの思い出は全体的に地味で、刺激的な東京ライフの中で長らく忘れ去っているもの、という位置付けだった。でもこれほど東京の競争力が弱体化してみると、90年代に短期間でも欧州で暮らせたことは、まさにたまたま最安値で買った高額品という感じ。同じ体験をするとなると今の私には結構ハードルが高いので、あの経験を擦って何かを学ぼうと、最近は父に借りた古いアルバムを捲っている。

 とはいえ10歳の私にとっての社会とは学校、学校こそ生活の全て。当時の英国のクラブシーンや金融市場について語ることはこれっぽっちもないのだが、たかが小学校とはいえ飛行機で14時間も飛んだ先では当然それなりにそれなりの異世界が広がっていたのだった。それまで一学年に3クラス、全てのクラスが女子30人男子10人の計40人という、これまた気持ち悪いくらい統制された日本の私立の学校に通っていた私が転入したのは、ハムステッドという地域にある小さな女子校。赤煉瓦のお屋敷って感じでこじんまりしてアットホームでいいね、と母が選んだ学校だった。

 転入日を控えた金曜に初めて両親と一緒に学校に見学に行ってみると、私が案内されたのは、それぞれ10人前後の女の子たちがいる3つのクラスの教室。他にも食堂、礼拝堂、舞台、音楽の授業、演劇の授業を全て兼ねる唯一の広い部屋と校庭…と言うかコンクリートのただの裏庭を見せてもらい、最後にショートカットの校長先生のいる部屋に向かった。

「どう? 気に入った? どのクラスにする?」
クラス選べるのか、だったらもっとどの子と仲良くなれそうかとか見ておけばよかった。
「あなたの年齢だと平均的には2つ目のクラスだけど、英語もカタコトだから下のクラスでもいいし、日本語喋れる子が一人いる上のクラスでもいいよ、どのクラスも2~3歳の開きはあるし」
え、学年って選べるの。

 クラスどころか座席まで決まっていた学校から来た私にとってこれは衝撃だった。最近になって日本の学校もギフテッドの対応などについて議論が始められているけど、考えてみればそもそも年齢なんてそんな厳密じゃなくて良い。結局私は真ん中のクラスに入ることにした。それにしても一学年分のクラスが8人って島しょ部みたいだな、と思いつつ。

 私の親はこのざっくりとした校風がずいぶん気に入ったようだったし、私は私で学校にお菓子を持ってきていいと聞いてすっかり週明けの転入が楽しみになっていた。ざっくりした校長の部屋を出て、ざっくりした歴史科の先生に門まで送られたところでこう告げられた。
「あ、そうだ忘れてた、制服だけど都心部だとこことかこことかで揃うから適当に揃えといてね」

 この言葉もまた結構トリッキーであることが判明するのだけどそのお話はまた今度。

プロフィール

鈴木涼美

すずき・すずみ | 1983年、東京都生まれ。作家。慶應大環境情報学部在学中にAVデビュー。キャバクラなどに勤務しながら東大大学院社会情報学修士課程修了。修士論文は後に『「AV女優」の社会学』として書籍化。日本経済新聞社記者を経てフリーの文筆業に。小説から書評やエッセイまで幅広く執筆。著書に『身体を売ったらサヨウナラ』『ニッポンのおじさん』『JJとその時代』『娼婦の本棚』『ギフテッド』など。最新刊『グレイスレス』は、女優たちにメイクをする化粧師の目を通して家族やポルノ業界を描いた中編小説。