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【#4】ライ麦で出会う時

2022年12月31日

 世田谷に住んでいた頃、梅ヶ丘駅の近くにある朝J・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を道路の隅に見つけた。隣にはビール缶とタバコが置かれて、それは供物のように見えた。このイメージが何年経っても目の奥に残る。なぜ突然に、梅ヶ丘駅の近くに日本語訳のサリンジャーの本があったのか未だにわからないが、あの夜一人でタバコを吸いながらあの本を読んだ人の事をずっと想像した。きっと、サリンジャーの主人公と同じ、とてもさびしい人だった。もう少し早く私があの辺りを歩いたら、話しかけることができたかもしれない。でも一番の驚きは、本を半分読み残し、そのまま、開いたまま置いて去ってしまったところだった。私も高校生の時に、この小説を一気に読み大きな影響を受けた。この本を読む若い人にも、誰でも、同じような影響を受けるに違いない。そんなに簡単に半分しか読まずに手放すことは出来ないはずだ。あの夜、本を手放した人に一体何があったのかとずっと考えてしまった。読みかけの本を手放すことはあまりいいサインではない。

 このような出来事が自分の中で映画の始まりのように感じられる。何年経ってもあの人のことを思い出す。『ライ麦畑でつかまえて』のストーリーと重なりながら。主人公の目の前に映る世界がカーニバルのように見える。その世界で唯一コミュニケーションが取れる相手は自分の妹だけだ。彼女はまだ大人になってないので世界を見る目がまだ汚れてない。この本で私が一番好きなシーンでもある。歌になっているスコットランドの詩人の民話「ライ麦畑で出逢うとき」の一節“If a Body Meet a Body”は主人公が言い間違え、妹に直された。彼はライ麦畑で遊ぶ子供たちをつかまえて、岩から崖に落ちないように助けたいと妹に言う。主人公の間違いは私がずっと気になっていた。今でも気になる。人間の脳はいつも物事の解釈と勘違いをする。私もよく勘違いする。スコットランド民話のライ麦畑は身体同士で出会って大人が楽しむ祭りのような空間だったが、そのイメージから遠くなる主人公の想像はただの勘違いだった。そしてこの勘違いが彼を助ける。こうしてみると世界が勘違いだらけで出来ているのはそんな悪いことではないと思うようになった。

 2年前の初夢で、私はライ麦畑の中にいた。崖もあったけど綺麗なエメラルドグリーンの海が見えた。ライ麦の色がキラキラしている金色だった。その中で私は人びとに本を配っていた。

プロフィール

イリナ・グリゴレ

1984年、ルーマニア生まれ。2006年に日本に留学し、翌年から獅子舞の調査をはじめる。一時帰国後の2009年に国費留学生として来日。弘前大学大学院修士課程修了後、東京大学大学院博士課程に入学。主な研究テーマは北東北の獅子舞、女性の身体とジェンダーに関する映像人類学的研究。今年7月には初のエッセイ集『優しい地獄』(亜紀書房)を出版。現在はオートエスノグラフィー、日本における移民の研究を始めている。