ライフスタイル

【#3】キャンディー

2022年12月24日

 ナット・キング・コールの「キャンディー」という曲をヘッドフォンで聴きながら羽田空港の出発ロビーに座って、左目に時々映る赤ちゃんを抱いているお母さんを観察する。首はまだ座らない3ヶ月前のオモチャみたいな赤ちゃんは、隣に座っているお父さんに渡されて、あまりにも可愛かったので、お父さんはマスクをしていることを忘れてそのまま何回もキスをしている。幸せそうな家族のイメージに何も感じない。私がきっと疲れすぎているからだ。老人ホームでは赤ちゃんを連れてきて、赤ちゃんセラピーをするとどこかで読んだことがある。

 赤ちゃんだった頃の娘たちを連れて長い旅をしたことを思い出すと、周りから「うるさい」とか、冷たい目でしか見られてなかったし、母親の自分にとっても苦悩しかなかった。その時期をよく生き残ったとしか思わない。ほぼ一人、外国で二児を育てる準備もケアもほとんどなかったけど、今にしてみれば大昔のことと感じる。母親だから否定され、社会で認められないことも多いけど、子供たちとずっといればどうでも良くなる。東京のお土産屋さんでものすごく可愛い、わざとショッキングな赤とオレンジのベルギーチョコを買って、娘たちがそれをむしゃむしゃに食べる時の顔を想像し始めた。

 ヘッドフォンから「I call my sugar candy, ’Cause I am sweet on candy」と繰り返しで聴いていた曲の何回目あたりに、私のちょうど前の椅子にナット・キング・コールが若かった時とそっくりな男の人が座って私の目を見た。そのあと、誰かを探している様子、後ろに何回も頭を振り返る。私は無視したが、飛行機に乗って、椅子に座った瞬間に驚いた。私の右に1歳ぐらいの子供を連れている夫婦が座って、左の列に先の男性がいた。隣の子も初めてこんな肌の色と目の色、髪の毛の色と雰囲気が違う人たちが自分のすぐそばにいて大興奮した。「私たちは皆、家族だよ」と目で言っているように。母親は必死で止めようとしたのに私をずっと見て、触ろうとした。私は「自分も子供がいるので、大丈夫」と笑顔で伝えたが母親が遠慮していた様子だ。男の子はサンドイッチを食べる時も私の方へ見て「食べていいよ」と私が言ってから食べたし、すっかり友達になって、しばらくしたら私の上に片足をかけて寝付いた。私も知らない間に寝てしまった。

 やはり子供は肌の色とは関係ないし、怖いものはない。あんなに疲れていたのに穏やかに眠っていた。飛行機が激しく着陸した瞬間、あまりにもびっくりして椅子から飛びそうになった。左のナット・キング・コールそっくりな若い男性と目があって、私を目で落ち着かせようとした。その時、寝起きで一瞬思った、「なんでナット・キング・コールは青森行きの飛行機にいるの?」。ヘッドフォンから同じ「キャンディー」が流れていた。

プロフィール

イリナ・グリゴレ

1984年、ルーマニア生まれ。2006年に日本に留学し、翌年から獅子舞の調査をはじめる。一時帰国後の2009年に国費留学生として来日。弘前大学大学院修士課程修了後、東京大学大学院博士課程に入学。主な研究テーマは北東北の獅子舞、女性の身体とジェンダーに関する映像人類学的研究。今年7月には初のエッセイ集『優しい地獄』(亜紀書房)を出版。現在はオートエスノグラフィー、日本における移民の研究を始めている。