牧野伊三夫とハルカ・ナカムラ。
我々は、曲がりなりにも画家と音楽家というアーティスティックなコンビなのである、、などと虚勢を張ったところで
「あなた方はいつも銭湯と酒場にしか行ってないのでは?」
と、声が聞こえてくる。
おっしゃる通り酒場部活動に勤しみ、なんら作品なども残さずに飲み続け数年を過ごしてきた。(めんぼくない)
しかもその様子をPOPEYE本誌に取材され、Web連載に及んでも得意気に酒場発表会をしている始末。そんな我々を見かねた神様に、たまには芸術活動で平和に貢献しなさいねと促されたのか、呑兵衛の二人は
「五島列島・長崎にまつわる隠れキリシタンの歴史を体感し、絵と音楽に残す旅」
という、いかにも芸術活動らしい旅に呼び寄せられたことがあった。これはもう日頃の行いの禊である。

もしかしたら酒場も銭湯もないかもしれない。
禊の旅のくせに、まだそんな未練を残しながら「朝4時五島列島到着」という船に一人、深夜の博多港から乗り込んだ。
牧野さんは既に乗船して眠っておられるようだ。さすが、旅慣れている。
星空が残るうす青い朝。
脆弱な音楽家はほとんど眠れず小値賀島に到着。
そこから一日に1便しかないというフェリーで、無人島・野崎島に向かう。
どんな旅になるのだろうとビクビクしていると、快眠から目覚めた牧野さんは朝から元気ハツラツ。
「やあ、はるかくん。これは素晴らしい旅になりそうだね!ワッハッハ」
やはり元・水泳選手はスタミナが違う。

朝靄に現れる野崎島の神々しい姿。
輝く海に囲まれ、美しい野生鹿たちが縦横無尽に駆け巡る無人島の光景に圧倒され、思わず僕はギターを鳴らし、牧野さんはスケッチを始める。(この旅の様子は牧野さんも著作『画家のむだ歩き』に書かれている)
野崎島の野首教会、長崎の二十六聖人記念館、黒崎教会、大浦天主堂、遠藤周作文学館などを巡り、出津救助院ではド・ロ神父が100年以上前に持ち込んだ日本にわずかのハルモニウム・オルガンを弾かせて頂く。
その様子もまた、牧野さんがスケッチしてくれる。

だんだん芸術家らしいコンビになってきたかもしれない。
この旅がきっかけで僕はその後、野首教会に野崎島の廃校ピアノを持ち込んで演奏会をすることになった。
廃校にも泊まり、満天の星空を見た。
世界で最も輝いてそうな朝日を身体中に浴びた。
もちろん牧野さんも同行して絵を描かれた。その様子が映像にも記録されている。
二人はようやく自分たちが何を生業にしているのかを思い出したのである。
しかし、やはり我々には酒場が必要。
「今晩飲んで、明日は仕事」
日も暮れるとソワソワしてくる。
長崎には「思案橋」という橋がある。
「この橋を渡って宵町に繰り出すかどうかを酒飲みが思案するという我々のためにあるような、たいへん趣のある橋なのだよ」と、牧野さん。
二人で思案するフリをしてみたが、目の前の酒場町にソワソワして足早に橋を渡り、いつものように酒場へと繰り出したのである。
