カルチャー

【#1】狂言師の〇〇〇、だった頃

2022年6月12日

東京の駒込、駅から徒歩10分弱、
揚げ最中と南蛮焼きという、
和には聞こえない名物菓子を販売する
和菓子屋・中里の先に、
一軒の産婦人科があった。

小さな玄関にひかるレトロな白熱灯、
ガラス・タイルに青い屋根瓦が目をひく
この病院は、患者が産気づくと、
押し入れを整理し始めるという。

この即席の新生児室を、
私はもちろん記憶していない。

昭和62年、石原裕次郎が亡くなり、
『となりのトトロ』が公開された年らしい。

そこから徒歩100歩程のところに
自宅があった。

台所の流しに足をかけて、
窓から狂言師である父親を
見送っていた記憶がある。

幼い頃の石田淡朗さん

(愛犬・狂四朗と)

次の記憶は、不気味に薄暗く、
天井に剥き出しの赤いパイプがはしる、
ニューヨーク・カーネギーホールの楽屋
だろうか。

前年に3歳で初舞台の狂言『靱猿』に出演し
同じ猿役で、アメリカ・ツアーに
参加した時の記憶だ。

ご褒美に、現・野村萬斎先生から、
大きめの黒いポルシェ911の
ミニカーを貰った。

「両舷のサイドドアを広げると、空を飛ぶ」
らしい。

石田淡朗

(ニューヨーク・ジャパンソサイエティーにて)

在学中の4年間を
プレハブ校舎で過ごした小学校は
狂言や能の子役での
出演のために、休みがち。

中学受験をして、中高一貫校に
トップから2番目で入学するも
授業をさぼって、昼間から学生服で
雑食的に手当たり次第、演劇を
観に行っていたことがたたり、
すぐに下から2番目の成績に転落した。

流石にこのまま
高校へ上がるのは良くないと会心して、
国外逃亡を思いつく。

前年に狂言の公演で行ったロンドンの
レスター・スクエアの
Ben and Jerry’sのアイスクリームと、
グローブ座の歴代の役者たちが
棲みついた様な空気感に憧れ、
イギリスへの演劇留学を決心、15歳で
単身渡英した。
(Ben and Jerry’sはアメリカ産で、
グローブ座が完成したのはたった四年前だった)

プロフィール

石田淡朗

いしだ・たんろう|1987年東京都生まれ。狂言師である父・石田幸雄と野村万作に師事し、3歳から能・狂言の舞台に立つ。国立能楽堂、歌舞伎座をはじめとする全国各地の劇場および、ニューヨーク・カーネギーホール、ロンドン・グローブ座などの海外公演にも参加。2003年、15歳で単身演劇修行のため渡英。エジンバラ演劇祭で一人芝居を公演し5つ星の劇評を受ける。その後、ギルドホール音楽演劇学校演技学科を日本人として初めて卒業。在学中に、自身の劇団The Leaf Theatre / The Improsariosを設立。LAの映画制作会社Tessellate役員、『Starfish』を制作。主な映画出演作にコリン・ファース主演『レイルウェイ―運命の旅路』。
2018年より再び人間国宝・野村万作 / 野村萬斎に師事、国内外の狂言公演に参加。学習院大学非常勤講師。能楽協会会員。

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