TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム
CULTURE

【#3】オルタナティヴ編集手帖 – 浦島太郎・フロム・アナザー・プラネット(前編) –

2022.06.06(Mon)

 一週間前から取材でロンドンに来ている。Covid-19のパンデミック以後、海外に出るのは3年ぶり。ずっと放置していたパスポートの有効期限も切れてしまっていて、慌てて再発行の申請をしたくらい。帰国後の検疫の準備などで慌ただしい出発になった。

 ロシアのウクライナ侵攻以後、すっかり長くなった(14時間超)フライトを経てイギリスに到着すると、入国のための検疫やワクチン接種証明などが一切必要ないだけでなく、街に出てもマスクをしている人をまったく見かけない。Covid-19の話題をしている人など皆無で、「そんなんありましたっけ?」ってくらいのムード。忘却の早さがハンパない。とはいえ、感染者がいなくなったわけではなく、状況は日本とさほど変わらないのだが。

 そういう認識の違い、一種の国民性の違いはもう少しよく考えてみたい。つまりは「絶対に感染したくないのであれば、家でじっとしていれば良い(=そうでなければ自由に生活すれば良い)」というわけで、そこには個人が生きるうえでさまざまなリスクを引き受け、自分の判断で行動するという、ここで暮らす人々の基本的な人生観がある。それは日本人からすれば「個人主義」となるのだが、ここではそんな言葉をあえて使う必要がないほど当然のコンセンサスなのだろう。だから「他人に迷惑をかける」ということに対する根本的な意識が違うというか(もちろん、その上での助け合いも大いにある)。「自分の身は自分で守る」という強さ、激しさがある。その止むことない微妙な緊張感は、日本という国で生まれ育った僕にはときに刺激的で、ときに疲れる。

 外国人観光客がほとんどいない街は落ち着いていたけれど、木曜日からエリザベス女王在位70周年を祝う式典「プラチナ・ジュビリー」のための4日間のバンク・ホリデーに入り、各地でイベントやパーティがあってやたら賑やかだ。ホテルの部屋にいると午前中から繰り返し「It’s my life」が聴こえてきて騒がしい。なぜボン・ジョヴィ。まあこの時期は一年中でも気候が最高だから、外に出てリラックスしたくなるよね。

 それにしても、とにかく物価が高いのに閉口する。以前からロンドンの物価は高いけど、件の侵攻開始後、資源価格の高騰によるインフレを最も大きく食らっている国のひとつがイギリスで、日用品から電気・ガスなどの生活インフラ料金の相当な値上げが始まっている。同時に大幅な円安も続いているほか、長期トレンドとしての日本経済の低迷など、いくつもの要因が重なって、何もかもが途轍もなく高く感じる。地下鉄の初乗り(最も短い区間の切符)が4.9ポンドなので約800円。日本なら定食が食える。

 オールドストリート駅近くに取ったホテルの部屋は、「ベッドが充満している」とでも形容する他ない、立って歩く場所がほぼない(もちろん机もない)、信じがたいほど狭い部屋。ベッドメイクなどのサービスも皆無のアパートメントホテルで、これでも日本だったらなかなか良い温泉旅館に泊まれるくらいの宿泊料なのだからヤバい。座るところがないので、ベッドの上で胡座をかいてパソコンのキーを打っている。1920年代ロンドンで窮乏生活を行ったジョージ・オーウェルのルポルタージュの名作『パリ・ロンドン放浪記』で、ロンドンという都市の「最悪の問題」、それは「すわるにも金がかかる、ということである」と書いていたのを思い出す。オーウェル氏の慧眼はここでも素晴らしい。おそらくこうした物価の差は、長期的に見れば今後ますます開いていくのだろう。

 もうひとつ驚いたのは、街で現金が使えるところがほとんどないこと。以前から欧米はクレジットカード文化が普及していたが、今ではもはや店でお札を出すと店員が困惑するレベル。現金を持つ必要がないのは楽で良いけど、すべての行動履歴が記録されているようで何となく気持ち良くない。Big Brother is Watching Youですよオーウェルさん。クレジットカードとスマホを持っていなければ生活できないという街は、果たして進化なのだろうか。何だかちょっとした浦島太郎、いや大好きなジョン・セイルズ監督の映画『ブラザー・フロム・アナザー・プラネット』(あっちはニューヨークだけど)みたいな気分で、10年ぶりのロンドン街を眺めて歩く。

 夜、イーストロンドンのハックニー・ウィックで、この〈POPEYE Web〉のアートディレクターを務めるデザイナーの白石洋太君、通称「せんと君」と会うことになった。せんと君は3年ほど前から渡英して、今はデザイナーなどの仲間たち5人と同エリアのオフィスをシェアして仕事しているらしい。ハックニー・ウィックは若者の多いエリアで、バンクホリデーの夜は水辺のテラスに集まって飲食する人々で盛り上がりまくり。こんなに人が密集している様子を久しぶりに見た。

 せんと君が紹介してくれた、オフィスの隣にあるレストラン「Silo(サイロ)」で食事する。ここは「ゼロ・ウェイスト(廃棄物ゼロ)」をコンセプトにした店で、食品ロスや包装のゴミを出さない、食べ残しのコンポスト化からインテリアのアップサイクルまでとことんこだわっている店とのこと。料理も洗練されていて、味もヴィジュアルも超洒落てる!(検索してみて)。初めてゆっくりせんと君とあれこれ話して楽しい夜。せんと君は東京で会ったときと変わらず、ロンドンのヒップなレストランでも〈ビブラム〉のファイブフィンガーズを履いていた。ナイスな男である。

https://silolondon.com/

〈つづく〉

プロフィール

井出幸亮

いで・こうすけ|編集者。1975年大阪府生まれ。POPEYE Webシニアエディター。古今東西のアーツ&クラフツを扱う雑誌『Subsequence』(cubism inc.)編集長でもある。本誌『POPEYE』(マガジンハウス)、『工芸青花』(新潮社)などさまざまな媒体で編集・執筆活動中。主な編集仕事に『ズームイン! 服』(坂口恭平著/マガジンハウス)、『ミヒャエル・エンデが教えてくれたこと』(新潮社)、『細野観光 1969-2021 細野晴臣デビュー50周年記念展オフィシャルカタログ』(朝日新聞社)など。著書に『アラスカへ行きたい』(新潮社、石塚元太良との共著)がある。

SHARE:

ピックアップ