私のBEST3DISHES/滝沢カレン(1皿目)
記憶の中で生きる味
2021.11.15(Mon)
text: Karen Takizawa
photo: Naoto Date
illustration: Adrian Hogan
edit: Minori Kitamura
本誌連載「私のBEST 3 DISHES」にて、思い出の3皿を紹介してくれた滝沢カレンさん。
実はページから溢れるほどの超大作を書いてくれたので、ウェブでは特別に全文を公開。
1皿目は『欧風菓子クドウ』のラ・ポワール。

我が家は食べ物には、厳しかった記憶がある。
生まれた時から、畳の部屋と瓦屋根が主役のとても古風な家で育った。
もちろん食卓に並ぶものも背景を壊すまいと和食たちが列を並べていた。
魚に味噌汁、漬物に納豆、生卵とありがたいほどに昔話そのままで。
それが、当たり前で
それが、ご飯を頂くことだと思っていた。
おやつには、噛み所のないかたい干貝柱。時に味のり。
運が良ければ、近所の大福が我もの顔で食卓を占領していた。
「ほら、わたしよ?喜ぶでしょ?」
今にも言葉が聞こえてきそうなほど堂々たるものだった。
まんまと喜ぶ私。
大福ひとつで、お手伝いをすたこら頑張れた。
そんな我が家には、さらにビッグな客がいた。
母の買ってくる洋梨のケーキ、ラポワール。
ラポワールは、箱入り娘顔負けの扱いを受け、ヴェルベッドのようなオレンジのヴェールに包まれて、
中身は食べる者にしか分からない秘密の巾着になっている。
小さな箱にびっしりと礼儀正しく並ぶラポワールたち。
初めて見たとき、食べた時、この世の動きがゆっくりと頭を流れるほどに、「美味しい」以外の感情をやめた。
身体の隅々まで一緒に、「美味しい」を楽しんだ。
和食や和菓子としか縁の繋ぎ目がなかった私が、洋菓子に初めて出合った日だった。
一味惚れをした。
それから一年に2、3回。
私の恋したラポワールは我が家にやってきてくれた。
となると織姫、彦星よりは遠距離ではない。
だから毎日母が帰ってくるたび、「ラポワールは?!」と聞いていた。
いないのをわかっていても、わずかな希望すら信じたかった。
母は、誰かにお祝いやお礼をする時によくラポワールを手土産にしていた。
すると我が家の分まで少し買ってきてくれた。
だから我が家だけの為に買うような、そんじょそこらの品ではない。
そんな貴重なラポワールに、私の身体は慣れることなく、食べるたびに美味しい感覚は頂点まで運んでいってくれた。
冷蔵庫を開けると、そこに残りひとつのラポワールがあった。
食べたい。食べたい。食べたい。
でも、私は残りひとつのラポワールには手を出せなかった。
いや、出したくなかった。
なぜならラポワールを私以上に好きなのは、母だったからだ。
きっと、ラポワールを食べる母の幸せそうな顔が、私は何より好きだったのかもしれない。
ママがいつもより笑うから。
ラポワールは仕事で疲れた母の身体を、
美味しいヴェールで包んでくれているように頼もしかった。
今日一日、母の幸せが増えるなら、大好きなラポワールだって我慢できる。
だから、食後に家族と食べるラポワールは何倍にだって美味しい。
甘いものは身も心も、家族の輪も満たしてくれる。
今でも年に数回、ラポワールの味を思い出す。
母の美味しそうな顔と一緒に。
文・滝沢カレン
芳醇な洋梨の香りを包み込んだ
街の洋菓子店の人気者。

『欧風菓子 クドウ』のラ・ポワール
1972年創業の洋菓子店。バターとアーモンドをふんだんに使った生地には洋梨のリキュールが染み込み贅沢な味わい。ベルギー産ミルクチョコレートを手作業で纏わせた。11~4月頃の季節限定。10個入り¥2,810