ライフスタイル

Go with the 風呂〜 Vol.6/田辺温熱保養所

写真・文/大智由実子

2021年7月18日

photo & text: Yumiko Ohchi
back ground artwork & movie edit: my ceramics(FF)
edit: Yu Kokubu

正直言って前回のクアパレスはブッ飛ばし過ぎたかもしれない。月イチ連載になったからといってはしゃぎ過ぎた。だってもういきなり銭湯の概念超えちゃったんだもん。これ以上何もやることなくなったから連載終了にしようかと思ったけど、ここでいったん原点に戻って「お風呂って何?」ってとこから考え直してみようと思う。

今、私たちが「お風呂に入る」って言うとイメージするのが、肩までお湯に浸かるってのが普通だよね。でも実は肩までお湯に浸かるお風呂が一般化したのって、意外と近代になってからだって知ってた?ざっくり言うと、肩までお湯に浸かる銭湯が登場したのは江戸時代で、そこから今の銭湯の原型に近いものが普及したのが明治から大正、さらに各家庭にバスタブ付きのお風呂が一般化したのは戦後の昭和。今じゃ当たり前になっているお風呂が普及したのって結構最近なんだね。「じゃあそれ以前はどんなお風呂に入ってたのよ?」っていうと、実は我々日本人が古来から入っていたお風呂って、蒸し風呂だったんだって。そう、今で言うスチームサウナ。沸かしたお湯の蒸気で蒸され、ふやけた垢をこすり落とし、掛け湯で洗い流す、という入浴法。

そんな古くからある蒸し風呂を体験できる場所が、岐阜県は大垣市にあると聞いて向かった先は田辺温熱保養所というところ。なんだか名前からしてガチそうだ。Googleマップを頼りに住宅街の中で辿り着いた先にあったのは、なにやら有力な地主さんが住んでいそうな生垣で囲われた大きな日本家屋。銭湯でもない、スパでもない、温泉宿でもない…保養所っていったいどんなノリで入っていけばいいの?とドギマギしながら「ごめんくださ〜い」と中に入ると「ようこそ〜」と田辺さんご夫婦が笑顔で迎え入れてくださった。

1946年創業、なんと今年で75周年となる田辺温熱保養所は、杉田玄白や前野良沢に西洋医学を学んだ大垣藩医の江馬蘭斎が考案した蒸気風呂を基に、先代が開発した「薬草樽蒸し」を家伝として継承してきている。現在は3代目となる田辺恵さんが切り盛りしてらして、最近は旦那様もお手伝いされている。

薬草樽蒸しは、「薬草の宝庫」と言われる伊吹山で採れた薬草と自家栽培した季節のハーブを調合して煮出した蒸気を巨大な樽の中に送り込み、薬草の蒸気が充満した樽の中に立ったまま入るという入浴スタイル。樽のある浴室に案内されてドアを開いた途端、ぷ〜んと良い香りが漂う。「薬草」と聞いてイメージする漢方のような苦々しい匂いじゃなく、どこか懐かしい心安らぐ香りだ。そして真ん中にドカンとそびえ立つ樽は想像していたよりも巨大で、まるで古代人の作った木製ロケットのよう。

まずは身体を洗い、ワクワクしながら樽の中へ。ギィ…と小さな扉を開けて茶室のにじり口のように身をかがめて入ると、中は真っ暗で直径1メートルちょっとくらいの空間が広がっている。薬草を煮出した蒸気が充満していて結構熱い。現在はコロナ対策で樽の中は一人までに制限されているけど、以前は3~4人が立って入っていたのだとか。扉を閉めると中は真っ暗になり、明かり取りの小さな窓からわずかに入ってくる光が足元の蒸気を白くおぼろげに照らし、かろうじて床が少し見える。高さ4、5メートルほどある樽の上を見上げると、吸い込まれそうな完全なる漆黒の闇だ。もちろんTVなんかついていないから、無音の静寂。ただただ肌で感じる熱さと、鼻から吸い込む薬草の複雑な匂いに全神経を集中させる。外界からシャットアウトされているからか、なんだか本当にロケットで宇宙空間に放り出されたような不思議な感覚。とはいえ思っていた以上に熱いので、体感覚で(もちろん時計も何もない)3~4分くらいが限界で、樽の外へ出た。シャワーで汗を流し、浴室か脱衣所にある椅子で休憩。これを2~3回繰り返し、身体を芯まで温めたら、服を着て畳の休憩室へ。

休憩室には大きなやかんに入った番茶があり、そこから自分専用のやかんに注ぎ、マイ番茶セットで水分補給ができるんだけど、これが泣けるほど美味しいのなんの。田辺温熱保養所のある大垣市は「水の都」と呼ばれるくらい地下水に恵まれていて、あちこちに湧水がある。余談だけど、大垣に着いて最初に入った喫茶店で何気なく出されたお水のあまりの美味しさに感動しておかわりしまくったくらい。もちろんここ田辺温熱保養所で使用しているお水も全て井戸水だそうで、たくさん汗をかいた身体に綺麗な湧水で煮出した番茶が染み渡る。全身の細胞たちが「ありがとう」と言っているのが聞こえた。

番茶を飲んで畳の上にゴロンと寝転がる。あーなんだろ、この尋常じゃない解放感。そうだ、夏休みに田舎のおじいちゃんおばあちゃんのお家に遊びに来たような感覚…と言いたいけど、私の祖父母は東京在住だし畳のある和風の家ではない。でもこの懐かしさはどこから来るのだろう?きっと日本人のDNAの奥深くに刻み込まれた記憶なのかもしれない。懐かしさと安心感に包まれ、私が畳の上に大の字になると、全身の細胞たちものびのびと大の字になった。こんなやすらぎは都会の温浴施設のリクライニングなんかじゃ味わえないよ。

しかもここには滞在時間の制限はない。食べ物の持ち込みもOKだ。つまり、お弁当を持ってきて開店から閉店までずっとこのやすらぎ無限ループをむさぼることが出来ちゃうわけだ。うーん、ここに住みたい。

恵さんいわく、ここでは樽蒸しでじっくりと身体を芯から温めて、急激に冷やさずに休憩してゆっくりと身体を冷まして薬草の成分を染み込ませて欲しいそうだ。「だって煮物だって朝に煮立ててから冷まして時間をおくと味がよく染み込むでしょう?」って。なるほど。確かに、野菜も私たち人間も原理は同じはず。ここに水風呂が無い理由もこれで納得。

途中、木製のベットの上に横になり不調のある部分にピンポイントで薬草の蒸気を当てる「薬草床蒸し」の体験もさせてもらった。さっきまで樽蒸しでめちゃくちゃ汗をかいたというのに、ここでもまた大量発汗。表皮近くの汗腺から出てくるというよりかは、身体の奥深くから汗が湧き出てくるような感覚。しかも匂いもなくサラサラの清らかな汗だ。もはや私の身体は綺麗な水の湧き出る井戸となった。

恵さんの「1日ゆっくりしていってね」という優しいお言葉に甘え、樽蒸し〜畳で休憩〜床蒸し〜樽蒸し、とやっていたら突如雷を伴った大雨が降り出した。畳の上に寝転ぶと、ザーザーと打ち付ける激しい雨の音、雨樋から勢いよく流れ落ちる水の音、遠くに聞こえる雷の音、自然の奏でる最高のBGMが子守唄となり、すだれ越しにどしゃぶりの雨を眺めつつ絶対なる安全圏にいる私はすぐに意識を失った。多分1時間ほどだったんだろうけど、あんなに深い眠りに落ちたのは久しぶりで本当に気持ちが良かった。

目が覚めたら雨も止んでいて、もうすぐ閉店の時間だ。本当に開店から閉店まで堪能させてもらった。途中途中に恵さんが「お茶ここに置いておくわねー」とか、床蒸しでも色々と面倒を見てくれたりして、間違えて「お母さん」って呼びそうになった。そんな実家に帰ったような安心感と解放感がここにある。

樽の中で汗と一緒に不要なものが流れ出ていき、畳の上に寝転がって薬草の成分がじんわりと身体の奥深くまで染み込んでいくのが感じられると同時に大いなるやすらぎに包まれ、心が満たされていくのがわかる。ふぅ、田辺温熱保養所ってば、こんな贅沢な遊びを75年間も提供し続けてきたのか〜。

「健康維持のために」と長年通い続ける常連さんもいるし、身体に何かしらの不調があって遠方から通ってきている人もいる。みんな健康を求めてここに来ているように見えるけど、実のところ、ここでしか得られない心のやすらぎを求めてはるばる遠方から来ているのではないだろうか?もしかしたら、心の平安があってこそ私たち人間は健康になれるのでは??

なんて問いに対する答えを頭で考えるより先に、私の細胞たちが「YES」と言った。

※浴室及び館内撮影は許可を得ております。

インフォメーション

田辺温熱保養所

岐阜県 大垣市波須1-515-1
TEL: 0584-81-4528
定休日:毎月5の付く日と26日休業

https://r.goope.jp/dlwnsghek1985

執筆者プロフィール

大智由実子

2012年よりMARGINAL PRESS名義で洋書のディストリビューションを行ってきたが2017年に活動休止し、世界中の様々なサウナを旅する。サウナライターとして花椿webにて『世界サウナ紀行』を執筆する他、サウナ施設の広報も務めるなど、サウナまみれの日々を送る。のちにサウナのみならず銭湯や温泉などお風呂カルチャー全般に視点が広がり、個性強めなお風呂を探究して現在に至る。お風呂以外の趣味は昭和の純喫茶とおんぼろ大衆食堂を巡ること。

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