TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#2】私という出版者のつくり方

執筆: 石躍凌摩

2026年10月18日

あるときピートに訪れた重大な変化とは何だったのか。それを見るために、物語の初めから読んでみたいと思います。

冒頭、ピートはパパに、小説を書くよう言い渡されます。書くことがお前の仕事であると。とはいえ彼はまだ10歳で、「3./月」の章では、「僕が本当になりたいのは飛行士だ。僕は最初のロケットを飛ばせて月へ行きたい」と胸中を語ります。ところが同じ章で、親子は次のような会話をします。

「僕は決して月へ行くことはないだろうね、父さん?」
「どうして?」
「ハ!」
「今の〈ハ!〉はどういう意味だね?」
「父さん、僕、ただ何かしたいだけなんだ、それだけなんだ。だって退屈しちゃうんだもの」
「退屈かね?」
「そりゃ退屈だよ」
「お前は何がしたいのかな?」
「それが自分で判んないから困るんだ。それだから僕はいつも月のことを考えるんだ。僕、ほんとに何かやりたい」
「そりゃお前はやりたいだろうとも」
「でも、僕、何もやることがないんだよ、ほんとにそうなんだよ、僕」
「あるさ。食べるということがね」
僕の父は〈作家のライス〉を山盛りにしたお皿を二つテーブルに運んだ。僕たちは腰をおろして食べ始めた。

『パパ・ユーア クレイジー』p21〜p22

ここだけを読むと、このとき偶然食事の支度をしていた流れで、何もやることがないと嘆く息子に、食べることがあるさ、とアメリカの作家らしいユーモアのあるかわし方をしたように見えます。ところが、このあとしばらく生活をともにしてから、車で旅に出て──その道中も非常に素晴らしいのですが、ここでは割愛するとして──旅から帰ってきた後の「56./枝」という章にて、海辺の家で新年を迎えたその朝に、二人はいつもより豪華な朝食をとりながら次のような会話をします。

「でも、食べるのはいいね。特に朝ごはんはいいよ」
「われわれは食べることと眠ることからは絶対に逃げ出せないんだ。そうじゃないかね?」
「でも、それは愉しみだよ」僕はいった。
「その通りだ」
「生きてることが、だよ、僕のいうのは」
「わかってる」僕の父がいった。

『パパ・ユーア クレイジー』p180〜p181

3章と56章とで随分間があいているのですが、この二つは明らかに対応していると私には思えます。具体的には、生きていても何もやることがないという退屈に苦しむ息子に対して、食べることがあるさ、と3章でいう。そうして、旅から帰った後の食卓においても、パパは重ねて、われわれは食べることからは絶対に逃げ出せないんだという。そんなパパに対して、ピートはいつのまにか「でも、それは愉しみだよ」、「生きてることが、だよ、僕のいうのは」と言い返すようになっている。つまり、退屈で何もやることがないと嘆いていた──地球のすべてに退屈していたから月へ行きたかった──はずのピートが、生活と旅を経た後、生きていること自体が愉しみだと感じられるまでに変化しているのです。

『パパ・ユーア クレイジー』はよく、起承転結のあるような物語ではないけれど、父と子の日常とそこで繰り広げられる会話劇が面白い小説だ、と紹介されることが多いのですが、3章と56章との対応を見るかぎり、これはれっきとしたビルディングスロマン──主人公が様々な経験を経て成長していくという物語の典型──としても読めるのではないでしょうか。もちろん、読み方は人それぞれですが、私にはどうしてもそのようにしか読めないのです。

というのも、前回少しだけ触れたのですが、『パパ・ユーア クレイジー』を手にした2014年当時、私もまたピートのように、生きることの意味について悩んでいました。それは、何かしたい、けれど何もない、何も──といった、生きていることそのものから来る退屈でした。そうして、あれもない、これもない、と潰していった末、ついに死までよぎったのです。どん底でした。ところがその底で不意に、何かをする/しないという以前の、いまこうして生きていること自体が実は物凄いことなのではないか、と気付いたのです。

では、生きるとは何か。そう問うた先に、私が最初に思いついたのが植物でした。人間は植物がなければ、食べることはおろか、息を吸うことさえできません。パパの言い方を借りれば、われわれは植物からは絶対に逃げ出せないんだ、と。考えてみれば当然のことでしたが、当時の私にとっては新鮮な現実でした。

そうして、やりたいことはないけれど、とにかく生きたいと思いました。生きることを、より生きたい、と。そのためには、植物についてもっと知らなければならない。ありふれてあるものだからと見くびらず、もっと見つめなければならない。なぜなら、それこそがアートであり、アートがなければわれわれはとっくの昔に地球の表面から消滅していただろう、とここに書かれてあるから。ならば私もまた、誰もがそうしてきたように──そう思い、『パパ・ユーア クレイジー』を読んだ翌年(2015年)に、これを骨子としてつくったのが、植物図鑑『微花』でした。

微花(撮影・yoru)

プロフィール

石躍凌摩

いしやく・りょうま|1993年、大阪府生まれ。福岡県在住。庭師。2015年、西田有輝と共に植物図鑑『微花』を創刊。以後、2019年までに同名の図鑑を四季七冊刊行。2026年8月、長らく絶版となっていた小説『パパ・ユーア クレイジー』を復刊するため、植物図鑑『微花』あらため、版元「微花」として再始動。

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微花 https://www.instagram.com/kasuka_mag/