TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム
LIFESTYLE

【#3】 山小屋ができるまで。

2021.06.28(Mon)

初代温泉小屋小屋主の星段吉さん。右隣は同じく尾瀬にある山小屋、弥四郎小屋の小屋主である橘弥四郎さん。

そもそも山小屋は、きのこのように自生しているわけではない。
大自然の中に山小屋を守る、それはすなわち人々の血汗涙の結晶が存在しているといっても過言ではないだろう。
小屋がある尾瀬国立公園はもともと一面湿地帯であり、そのなかでも一番大きいのが尾瀬ヶ原だ。
広大な尾瀬ヶ原の湿原は、秋になると紅葉する。その見た目からクサモミジと呼ばれ、日に当たるとキラキラ黄金色に見える。
その光景はかのジブリ作品のワンシーンのモデルになっているとも言われている。

ああー、確かに風の谷のナウシカの最後のシーンで主人公が上を歩いている
「金色の野原」に見えてきた!
運よく爽やかな向かい風が吹いてきたらあなたはもうナウシカである。
尾瀬沼のほとりに111年前、平野長蔵という人物が初の山小屋を建てた。
私のいた尾瀬温泉小屋はその尾瀬沼から北西に位置しており、あいだの距離は歩いて2時間以上だが、
その小屋の始まりには意外にもその平野氏が関わっていた。
そう教えてくれたのは、尾瀬温泉小屋の四代目小屋主である星さんだ。
彼は温泉小屋の名にかけて温泉を愛し、東北の山と麓の秘湯をくまなく巡る温泉マニアでもある。登山もするが、その理由はそこに山があるから…ではなく、温泉に心地良く入る為だそうだ。小屋の歴史を教えてと頼んだ時、そこまで細かくは知らないよ…とお返事をくれる、そんな肩の力をちょっと抜いた感じも星さんの魅力のひとつである。

では私と星さんの電話インタビュー、星さんが送ってくれた初期の小屋の写真も交え、温泉小屋の歴史をどうぞ。

初期の温泉小屋。ひらがなで「おんせん」表記だった。

 それで、温泉小屋のはじまりには平野さんがどう関わっているんでしょうか?

 長蔵さんが尾瀬ヶ原に温泉が沸いているのを見つけて小屋を作り、それを、縁あって、息子の長英さんが段吉爺さんにやってみないかと譲ってもらったのがきっかけらしいんだ。今の温泉小屋の場所に温い温泉が沸いているのを見つけて、最初の小屋を作って所有していたんだって。

 こんな小屋だったんですね。茅葺きだ…すごい…!

 そう。それで1932年にその小屋を、お客さん泊めてやってみないか?って長英さんに誘われた段吉爺さんが譲り受けた。最初は布団を背負って爺さんと婆さんで初めて山に入ったって話を聞いてるよ。

 温泉小屋初代小屋主の段吉さん。こんな格好で尾瀬を歩いていたんですね。

 最初は小屋に行くのに滝を回る遠い道しかなかったから、大変だったらしいけど新しく爺さんが道を作ったんだ。


その名もひいお爺さんの名前を取って段吉新道。

山の新しい道を作るって…山のあの肌を掘って掘って掘って、足元が滑って踏ん張り直して、掘って…印を付けて…並大抵にはできない事だろうと想像できる。

ちなみに、小屋を譲った長英さんの名前も長英新道という道にそのまま使われている。道を切り拓いた人の名前がそのまま登山道に付いている事もあるので調べるとおもしろい。

初期の尾瀬温泉小屋と、小屋を手伝いに来てくれていた桧枝岐村(ひのえまたむらと読みます)の人達。

その後に星さんのお婆さん、さらにお父さんが継ぎ、現在は星さんがオーナーとなって、小屋はそろそろ90周年を迎えようとしている。

寒い日に川から湯気が上がっているのを平野長蔵さんが発見してから行く年月、未だにあの温泉が登山人の疲れを癒しているとは驚きだ。

中期の写真。軒先に竿で干してある服がなんともアイコニック。温泉小屋の看板もひらがなと変わって味わい深い。足元を見ると、指先が足袋型だ!靴も今とはまた違ったんだなあ。 

私も温泉小屋にいた時、あの温泉に毎日入っていたんだった。 確かに、あの時は肌がつやつやだった…下界に帰って来てから気づく夜。

休み時間に遊びに行った三条の滝も記録に残っていた。滝は変わっていないように見える。

標識はとってもシンプルに、「危い」。標識が読める場所まで歩いたらホントに危なそうだが、今はこのあたりにテラスが設けられて冬以外はそこから滝が見れる。

あー山に帰りたい!

プロフィール

スダハンナ

2001年生まれ。POPEYE Webのコンタクトアドレスに一番最初にメールを送ったことがきっかけで、POPEYE Web編集部に仲間入り。最近はドイツに行きたくてバイトをしてドイツ語を勉強する日々。好きなものは馬と山。

 

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