TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム
【#3】駄菓子に見る食文化
執筆:畑井洋樹(仙台市歴史民俗資料館)
2025年5月28日
つまらない作品を「駄作」、くだらない洒落(しゃれ)を「駄洒落」というように「駄菓子」も本来は取るに足らない菓子でした。これは駄菓子が貴族や大名など富裕な人々の儀礼や贈答用の上菓子を作る時に不要となった素材で作られたり、手元にある売り物にならないような雑穀などを材料にして作られたりしたことに由来するようです。とにかく安く仕上げられた駄菓子は気にも留められず食べられて消えてしまうものでした。
実は、石橋幸作が駄菓子の研究を始めた昭和初期、すでに駄菓子は「絶滅危惧」に近い状態にありました。
明治時代に洋食が伝わると「洋菓子」が登場し、牛乳やバター、卵を使ったクリームなどこれまでの「和菓子」とは異なる新しい甘味品が広まりました。日清戦争で砂糖の産地であった台湾が日本領となったことや砂糖生産の技術向上もあり、明治時代の後半から砂糖の生産と消費が急増。食品工業も発達してキャラメルやチョコレートなどの甘いお菓子が工場で大量生産され始めます。大正時代から昭和時代の初期には昔ながらの駄菓子の影は薄くなり、町中で駄菓子を売り歩く行商人の姿も見えなくなりつつあったのです。そんな中、石橋幸作の駄菓子研究が始まりますが、それはまるで「絶滅危惧」な駄菓子の生息地を確認するかのようでした。
日本各地の駄菓子を訪ね歩いた石橋幸作の研究で、仙台とその周辺には多種多様な駄菓子が存在していたことが分かりました。彼が作った仙台の駄菓子の「番付表」には92種類もの駄菓子が描かれています。中には季節モノ、寺社の祭礼で売られたモノもあったかもしれませんが、さまざまな色、形、大きさ、名称の駄菓子があったことは事実でしょう。これらの駄菓子を総称する呼び名として「仙台駄菓子」という言葉が生み出されました。
現在では仙台駄菓子は仙台の定番の土産物の一つとなり、昔ながらの素朴な味わいのお菓子として人気を博しています。残念ながら「石橋屋」は2023年5月に閉店しましたが、「熊谷屋」と「日立家」が「仙台駄菓子」の名前を守っています。仙台駅や仙台空港の土産物売り場で販売されているので、旅の土産話のお供にぜひご賞味ください。
次回(最終回)は駄菓子研究が脚光を浴びた頃のことについてお話しします。
プロフィール
畑井洋樹
はたい・ひろき|1972年生まれ。2006年より仙台市歴史民俗資料館に勤務。
2024年に特別展「仙台駄菓子と石橋屋」を担当。
過去に特別展「おやつ~今や昔の甘味事情~」「餅・もち~ハレの食~」などを担当した。
食文化が専門ではないが、いろいろなご縁から展示を企画している。
Official Website
https://www.sendai-c.ed.jp/~bunkazai/~rekimin/
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