TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#4】祈りとしての音楽

執筆:園田努

2024年9月6日

 心にマイクがたてられたら。

 霧のような白い粒子に満たされた心の原空間に座り込んで、音がやってくる時を静かに待つ。目を閉じて、耳を澄ませて、深く呼吸をすることで、頭の中で繰り広げられている話し声を少しずつ遠ざけていく。すると、古代、もしくはずっと先の未来から、音の反響が流れ着く。それは透明な波状のゆらめきで、蝶が泉のすぐ上を閃いて、水紋が生まれるような、神秘的な音。それがそのままマイクで拾えたらと、いつも思う。それができたら、それでもう音楽は完成だ。

 音楽を作ることは、心の原空間で鳴っている音を、現実界の物音を切り貼りし、繋ぎ合わせて、仮想的な空間として新たに再現することだ。と、僕は勝手に思っている。

 僕にとっては、心の音が音楽としての完全体であり、それは、音楽という現象のコアのようなものだと思う。とは言っても、本当に心の中で何かが振動している、つまり耳で聴くように知覚できるというわけではない。「心の音」とはひとつの比喩的表現であり、実際は、映像や音や香り、味などの知覚情報に変換できないエネルギーのようなもので、頭の中が静まりかえった時にだけ流れてくるそれは、緩やかな広がりだが、創造的な安らぎを持っている。

 現実界の音楽は、心の音と同じになることはない。再現しようと試みても、気づいたら全くちがうものとして自立してしまう。近づけようとすればするほど離れていく。意識すればするほど、心の音を感じる取ることは難しくなる。その性質は、まるで西洋圏における「神」に似ている。もし聴くことができたら、それは福音である、と言われるような。そういう意味で、音楽というのは宗教的な性質を内に秘めている。

 歴史的に見ても、音楽と宗教の関係は非常に深い。音楽は様々な宗教的儀式と共に発展し、シャーマンたちによって神と接触する手段の一つとして扱われてきた。「呪術起源説」といった、音楽は宗教的行為を起源にもつとする説も存在するくらいだ。

 まだ寒さが少し残る春の日、白いカーテンが小風に揺れながら、柔らかい西陽を覆う静かな部屋でギターを鳴らしたとき、これは「祈り」であると確信した。指先に感じる振動と、それに伴う微かな痛み。無音とは違う意味の、本当の静けさと手を繋ぐ。そうすると現実界は深い微睡に落ちていき、代わりに心の原空間が立ち上がる。

 そこで僕は、祈るようにゆらめきを待っている。

プロフィール

園田努

そのだ・つとむ|1997年神奈川県生まれ。サイケデリックでトリッピーかつ、ニューエイジでメディテーショナルなサウンドが癖になる『maya ongaku』のギタリスト、ヴォーカル、作詞家。8月30日にニューEP「Electoronic Phantoms」を配信。最近公開されたミュージックビデオ「Iyo no Hito」も要チェック!

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