TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#1】なぜ、大江健三郎なのか?

執筆:菊間晴子

2024年8月12日

大江健三郎。戦後日本文学の牽引者にして、ノーベル文学賞受賞者。小説の読者ではなくとも、その名前に、あるいはトレードマークの丸メガネをかけたあの風貌に、見覚えがある方は多いのではないでしょうか。大江は昨年3月、88歳でその生涯を閉じました。私は、彼の作品を専門に研究している文学研究者です。

2023年3月に刊行した拙著『犠牲の森で 大江健三郎の死生観』(右)と、私をはじめたくさんの方々が大江論を寄稿した『ユリイカ』2023年7月臨時増刊号(総特集=大江健三郎)(左)。

ただ、「大江健三郎研究者」という肩書きには、正直いまだに慣れません。そもそも大学入学当時の関心領域は音楽・美術だったし、昔から読書は好きだったけれど、文学を研究対象にしようという気はまったくありませんでした。大江にしても、いくつかの短篇やエッセイを読んだことがあるくらいで、まったく良い読者とは言えなかったと思います。

私が大江研究をはじめたのは、大学院に入学した後。当時の指導教員(小林康夫先生)の、ふとした思いつきがきっかけでした。「大江健三郎とか、やってみたらいいんじゃない?」という、ほんとうにさらっとした雰囲気のアドバイスを真に受けて、とりあえずレポート1本くらいは書いてみるか、という気持ちになり、集中して読みはじめたところ、いつのまにか抜け出せなくなり…。気づけば10年以上、研究を続けてきました。この経緯を話すと「元々ファンだったわけじゃないんだ!」と驚かれることが多いのですが、こんな何気ないはじまりにも関わらず、いまや一冊の分厚い研究書まで出して、「大江健三郎文庫」(東京大学文学部内)に勤めているのだから、人生というのはよくわからないものだとつくづく感じます。

大江健三郎は、樹木を愛した人でもありました。多くの作品に、樹木が印象的に描きこまれています。大江研究をはじめてから、道端で出会う木々をよく眺めるようになった気がします。

なぜ私がこんなにも大江健三郎という作家に深入りしてしまったかといえば、その作品の登場人物たち、特に大江自身の分身めいたキャラクターが、自分自身に重なったからかもしれません。ままならない肉体を抱えた、厄介で滑稽な人間の生き様への、愛憎入りまじるまなざし。そして、「魂」という目に見えない次元に対しての、妙に切迫した心の動き…。

しかも、そのような共感をよびおこす一方で、大江作品には、常にこちらの理解を超えた謎が残ります。この作品はしっかり読めた、よく理解できた、と感じても、しばらく経ってから読み返すと、やっぱり何か引っかかるポイントが見つかる。その、汲んでも汲んでも尽きることのない地下水のようなテクストの力に魅せられて、私は日々大江作品に向き合い、研究という長い格闘を続けています。

プロフィール

菊間晴子

きくま・はるこ|1991年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科助教。専門は日本近現代文学、表象文化論。著書に『犠牲の森で 大江健三郎の死生観』(東京大学出版会、2023年、第12回東京大学南原繁記念出版賞)。分担執筆に、村井まや子・熊谷謙介編著『動物×ジェンダー マルチスピーシーズ物語の森へ』(青弓社、2024年、担当:第1部第1章「共苦による連帯とその失敗 大江健三郎「泳ぐ男」における性差と動物表象の関係を手がかりに」)。

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