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福祉の“いま”。音楽療法士と社会福祉士編。

2024年3月4日

photo: Naoto Date
text: Neo Iida

「福祉」と聞いて、どんなことを思い浮かべる? 児童福祉、障害者福祉、高齢者福祉などなど分野は色々だけれど、対象となるのは僕や私を含むすべての人たち。“特定の誰か”ではなく、どんな人にも開かれているのが福祉だ。では、実際に現場で働く人たちはどんな仕事をしているんだろう。世田谷区内の福祉施設で働く、みんなを覗いてきたよ。

01
音楽療法で高齢者をケアする。 (音楽療法士/平田ひな)

利用者にタンバリンやリングベルなど、いわゆる“鳴り物”を配る平田さん。歌うだけじゃなく、リズムに合わせて体を動かすのも音楽療法の一貫。

音楽の力で、体と心をほぐしていく。

「ひばり馬事公苑」と書かれた扉を開けると、松田聖子さんの『赤いスイートピー』のイントロが聴こえてきた。しかも力強い歌声! ここはデイサービスには珍しく、音楽療法を行う施設だ。日中はこんなふうに、70代以上の利用者たちが賑々しく“音楽会”を開いている。

「高齢者でも音に合わせて体が動くケースがあるんです。私の祖母も『♪もしもし亀よ』と歌ったら足が動いたと言ってました。それに、認知症の方が童謡のメロディを聴いた途端、歌詞がスラスラ出てきた例もあるそうです。精神的なリラックスにも繋がりますし、音楽の力って不思議だなと思います」

 昨年春から働く平田ひなさんは、音楽療法士の資格を持っている。故郷の鹿児島では奄美大島出身の祖父が歌う島唄を聴き、音楽が身近な環境で育った。音楽家になろうとは思わなかったが、仕事には繋げたい。出会ったのが音楽療法だった。

有資格者の音楽療法士のもと、歌唱指導を受けながらレッツ・シンギング。目的を持って合唱するので、カラオケとはひと味違う。

「近代では約100年前にイギリスで体系化されました。日本では障害のある子どもたちに行うケアでしたが、近年、脳の活性化や心身に安定をもたらすリハビリテーションとして介護の分野でも注目されるように。私も介護での音楽療法を経験しておきたいと思い、調べてこの施設を知ったんです」

 出勤したらお茶を沸かし、消毒をして、送迎に出かける。利用者が揃うと昼なので、お弁当を準備。午後はいよいよ音楽会だ。担当する回は歌う曲や歌詞パネルを用意し、そうではない日は事務作業を行う。夕方はまた送迎へ出向き、終礼。8時半から17時半まで、慌ただしく毎日が過ぎてゆく。

この日はサポート役として動いていた平田さん。利用者さんとのお喋りも楽しいひとときだという。

「皆さんが目を輝かせて歌うのを見ると、私まで嬉しくなります。休憩時間も楽しいんです。様々な経験をされてきた方がご縁で集まる場所なので、お話が聞けるのがありがたくて」

椅子を出して隣に座り、リズムを取りながら一緒に練習。「座りながらでも歌うと体力を使うので、終わると心地よい疲労感があると思います」と平田さん。

 当初は「介護」という言葉の持つイメージに不安もあったが、現場に入るといい意味でギャップがあったという。

「音楽デイということもあってか、自立して歩かれる方が多いですし、トイレ介助も多くありません。介護にも様々な仕事があると知りました。ですから、気になったらまずは見学をしてみてほしいです。結局のところ、介護は対人関係じゃないかなと思います。人と向き合い、思い出話や好きな歌の話を聞く。それがケアに繋がっていくと思っています」

プロフィール

平田ひな

ひらた・ひな|1999年、鹿児島県生まれ。奄美大島出身の祖父の島唄を聴いて育つ。音楽を嗜み、吹奏楽からロックまでオールジャンルを好む。音楽療法の学校を卒業後、2023年に上京し、ひばり馬事公苑に就職。音楽はライブで観る派。

施設情報

エンジョイ音楽デイサービス ひばり馬事公苑

合唱や合奏による音楽療法を行う、音楽に特化したデイサービス。資格を持つ音楽療法士のもと、童謡から歌謡曲、演歌まで幅広いジャンルの楽曲を取り上げ、楽器や手話を取り入れながら歌う。音楽の力を効果的に実感しながら、脳の活性化、心身機能の回復や向上を図る。


02
働く利用者を支える。(社会福祉士/落合裕一)

いざ作業が始まったら、手を貸したくなってもぐっとこらえて見守り、最後までやり遂げてもらう。

できることは自分で。そっと見守るホスピタリティの形。

「2階はかなり日当たりがよくて、暑いくらいなんです」

 そう言って階段をあがる落合裕一さんは、ここ用賀福祉作業所に勤めて1年半ほど。主な仕事は、障害のある利用者が行う受託作業の手伝いだ。袋詰やステッカー貼りなど細やかな仕事が多いため、負担がないようケアをしている。

「もともとホスピタリティを追求したいという思いがあって、新卒でホテルに勤めました。でもコロナが流行って営業が停まり、考える時間ができて。違う分野のホスピタリティを学んでみるのもいいなと思って、福祉に興味を持ったんです」

 といっても、児童福祉から高齢者介護までジャンルは様々。福祉未経験の落合さんは、専門学校の実習先が用賀福祉作業所だったことで、障害者福祉に身を置くことに決めたという。

「利用者さんはフレンドリーでしたし、職員の方々も気にかけてくださって。実習の時点で、居心地がよくて安心する場所だなと思えたことが大きかったです」

人によって得意なこと、不得意なこと、作業のスピードまで全て異なるのは当たり前。そっと見守りながら完成を待つ。

出社すると1日の準備をし、作業を割り振る。それぞれの得意、不得意な作業を見極め、分担を決めておく。お昼を食べたら午後も作業。利用者も職員も朗らかで風通しよく、時にはクラブ活動もある。定期的に旅行にも行くんだそうだ。

オリジナルグッズの製作中。ナイロンチュールを重ねてふわふわっとしたフラワーボンボンに。色の種類は30種を超えるそう。カラフル!

「先日は山梨の石和温泉に行きました。カラオケもしますけど、何よりいつも会わない時間帯に同じ部屋で過ごすのが皆さん楽しいみたいで。修学旅行の感覚ですね。旅行後の連絡帳に『楽しかったと言ってました』とご家族からメッセージがあると、やってよかったな、伝わったんだな、と思います」

 一方で、しんどいこともあるという。

「作業がうまくできず利用者さんが自分の思い、気持ちを伝えられない。そういう場面では繰り返しお話をしないといけない。そうすると、どうしても気持ちが疲れてくるんです。中長期的な目線と、へこたれない心を持つことが大事ですね」

部屋には日差しがよく差し込み、利用者さんは気さくで、細かい作業中も緩やかな空気が漂う。

 福祉ならではのホスピタリティが何かもわかってきた。

「困っている人に手を差し伸べることは、できる自由を奪うことでもある。そこがホテルと大きく違う点です。福祉では、できることはご自身でやっていただくことが自己肯定感に繋がり、支援になる。とはいっても配慮は大事ですし、僕も辛そうだなと思うとついやり過ぎてしまうんですけどね。見守ることが最大のホスピタリティなのかもしれません」

プロフィール

落合裕一

おちあい・ゆういち|1994年、埼玉県生まれ。大学卒業後、ホスピタリティを学ぶべく都内ホテルに勤務。コロナ禍を機に福祉の道に進み、専門学校を経て用賀福祉作業所に就職。中日ドラゴンズの大ファンで、始球式に参加するのが夢。

施設情報

用賀福祉作業所

1988年に奥沢福祉作業所として開設し、2006年に用賀に移転し名称を変更。2008年からは利用者の障害特性に配慮した作業支援、生活支援を行う就労継続支援B型事業所に。封入やラベル貼りなどの受託作業、近隣の公園の清掃、オリジナルグッズの制作といった活動を通じて地域社会と関わる。