カルチャー

【#3】Island Talk

執筆: 山縣良和

2023年3月29日

photo: Yoshikazu Yamagata / Masaru Tatsuki
text: Yoshikazu Yamagata
edit: Yukako Kazuno

田附勝氏と共に

小値賀島と野崎島。
2020年より活動を共にしている写真家の田附勝氏と共にこの地を訪れ、過去の人々の痕跡を田附さんの視点によって記録してもらいたいと長らく思っていました。まずは写真家の田附勝さんと羽田空港で合流。福岡に着いた後、夕食がまだだったので、長浜の元祖長浜ラーメンへ。

夜の11時45分発の太古という大型フェリーで小値賀へ向かう。 フェリーの中はカプセルホテルのよう。船に揺られながら、ウトウトと浅い眠りの中、朝方4時半ごろにようやく小値賀港へ到着。港の近くの小西旅館に到着して、旅の疲れを取るために少し休憩。

早朝の小西旅館にて一服する田附さん。

まずはお昼頃から小値賀島のリサーチを進めることにしました。島を車で回っていると、僕たちに自然に意識されたのが様々な“石”でした。町の石垣、石で作られた牛の塔、祠、赤浜海岸の赤石や戦没慰霊の大きな石碑。廃墟と化した神社の奥の石にも綺麗な紙垂が掛けられ祀られていました。

ここでなんか起こりそうな、そんな不思議な場所でした。
小値賀島の最も標高の高い場所に聳え立つ戦没者慰霊碑。
対岸には野崎島が。

そして次の日の早朝、「はまゆう」に乗り、隣の野崎島へ。塾長の運転する軽トラの荷台に乗り、アトラクションのような体験をしながら教会の近くまで向かう。軽トラの荷台で、

「ありがとな‼︎」

と田附さん。現地入りするまで知らなかったのだが、田附さんは、遠藤周作の『沈黙』を少年時代に読み漁っていたといい、最も影響を受けた作家の一人とのことです。田附さんにとってもいつか絶対に来てみたかった場所だったそうで、「それ早く言ってくださいよ!」と我々。「言ってなかったっけ?」と笑顔で田附さん。そんな掛け合いで野崎島はスタートしました。

塾長と田附さんの喫煙タイム。

一日目は、かろうじて民家の残痕が残っている野崎集落や野首教会のある野首集落周りを散策。野崎島は電波が届かない所も多く、浮世離れした無人の島であるため、初めて来島したときは本当に日本の最果ての島に来たような感覚になりました。

野崎島の印象として一番印象に残るのはやはり石垣だ。教会の周りの集落跡もほぼ石垣しか残っていません。

野鹿とはよく目が合う。
野崎島に残されたミシン。
野首教会。

二日目は舟森集落へ。野崎集落から山道を歩き、徒歩2時間半ほどの場所にあります。前回来島した際は台風被害の直後で塾長から危険ということで止められ、舟森集落へは伺うことができませんでした。不安が混ざりながらも、田附さんらと舟森集落へ向かいました。山間の道中、巨石が多くあったのが印象的でした。何度か休憩をしながら、お昼前に無事集落へ到着。お昼ご飯用におにぎりやウィンナーを食べてから、集落散策を行いました。

急な斜面にあった舟森集落跡。

急斜面に作られた集落跡は、ほとんど石垣しか残っておらず、そのほかは食器の破片やビール瓶などが点在していました。散策を進めば進むほど、想像以上に広範囲にわたって石垣が並べられていることに気づきます。数十人から100人程度の小さな集落で、何十年、100年以上、果てしない労働時間を要する日常における石垣作りをやっていたであろうと想像すると頭がクラクラしました。

集落跡を前にすると、人が生きた痕跡や“思い”を探してしまいます。ほとんど何も残っていない集落跡で、僕たちは歴史資料館の方にお墓があることを伺っており、人の痕跡を探し始めました。そもそもが急な斜面に作られた集落です。至る所で崩れ落ちた石垣があり、どこが道なのかもわかりません。何度も、道なき道を登ったり降りたりしながら探しました。日が暮れてしまう前に帰らなければ危険な道のりになるため、時間がありません。

全身汗だくになりながら、ほとんど諦めかけていたとき、偶然一つの墓跡を発見しました。その先にはいくつもの墓跡が。こんなにお墓に巡り会えて嬉しかったことは人生で初めてでした。

ふと辺りを見て気づいたのは、墓地にいく道が台風でなのか、倒木により道が塞がっていました。僕らがなかなかたどり着けなかったのも無理がありません。いくつかのお墓の中に“瀬戸久次郎”という名前とその隣にパウロと刻まれていました。そしてそれが僕たちにとって舟森集落で初めて目撃した文字でした。

小さな海峡(瀬戸)近くに住む瀬戸家の久方ぶりに誕生した次男坊だったのか? 石に刻まれた名前だけの情報にもかかわらず、脳裏に当時の人々の生活や情景が広がっていきました。そんな体験は初めての事でした。数十年の時を経て、人々が残した生きた痕跡として、土地や石に刻み込まれた強い意志を前にした僕は感じたことのない感情になったのです。

それは長い禁教の時代に形として残すとこのできず、秘匿性のために黙誦・口誦の形式で、記憶と記憶をなんとか紡ぎ合わせた信仰を守り続けた長い時代を経て、ようやく自らの信念と存在を刻むことが出来る喜びであったであろうこと、しかしながら現在その土地が廃集落となって人々の記憶から忘れさられようとしている姿であったからかもしれません。

田附さんと共に島を訪れると、今まで知っていた島の風景とはまた違う情景や人々の心情が見えてくるのではないか。僕はそれをずっと望んでいたのです。そして僕たちが目にしたものをどう形にして語り継ぐ事ができるのか、まだはっきりとはわかりませんが、今こうして書き綴っています。そして田附さん、ありがとうございました。

帰りの道中、煉瓦造りの教会が見えてホッとする。
暗闇の無人島でバーベキュー。
川の字になって就寝。

プロフィール

山縣良和

やまがた・よしかず | 1980年、鳥取生まれ。〈writtenafterwards(リトゥンアフターワーズ)〉デザイナー・「coconogacco」代表。2005年セントラル・セント・マーチンズ美術大学ファッションデザイン学科ウィメンズウェアコースを卒業。2007年4月自身のブランド〈writtenafterwards〉を設立。2015年、日本人として初めて LVMH Prizeにノミネート。デザイナーとしての活動のかたわら、ファッション表現の実験と学びの場として「coconogacco」を主宰。2019年にはThe Business of Fashion が主催するBOF 500に選出。2021年第39回毎日ファッション大賞 鯨岡阿美子賞を受賞。