トリップ
【#1】上京する友達へのプレゼント
2022年8月12日
text: Takashi Miyata
edit: Ryoma Uchida
2022年3月、関西から戻ってくる新幹線の中で不思議な光景を目にした。高校生くらいの少年が地球の歩き方の東京版を読んでいるのである。横には母親が座っている。
東京版は2020年に地球の歩き方が40周年だったこと、東京五輪が開催されるので、地方から東京に来る人に向けてきちんと東京のよいところを観て行ってほしい、という思いで制作した。こちらの思いとは裏腹に、五輪は延期になり、1年後も無観客開催となって、地方から東京に人が押し寄せることはなかったが、自分の住んでいる、通っているエリアをきちんと知ろう、と思った東京都民や首都圏に住む人々が買ってくれたおかげで9万2000部発行するまでにいたった。全体の半分以上は東京都民、3割が関東、残りの2割が全国で売れた。
東京版の主な購買層は30代以上であり、20代もそこそこいるが、10代はほぼいない。「残りの2割×ほぼいない10代」、つまり、ありえない光景が目の前に広がっているわけである。最初は、きっとこの少年も横に座る母親が買ったものを暇つぶしに読んでいるのだろう、くらいに思っていたが、1時間経っても少年は読む手を休めない。気になって仕方がない。もう、新幹線の中でチラチラとその少年をみる。私の隣に座る妻は理由がわかったようで「やめなさい、やめなさい」とどこぞの小料理屋の女将のように囁く。
東京駅まで残り30分を切っても読み続ける少年に、できるだけ爽やかに声をかける。「突然すみません、今あなたが手にしている書籍の関係者なのですが、嬉しくなったのでお声をかけさせてもらいました。なぜそれを熟読しているのですか?」少年は嫌な顔ひとつせずに答える「友達に貰ったんす、プレゼント。4月から東京で暮らすんで。東京はエスカレーター左に並ぶとかルールがあるみたいなんで、これで学べって。」
東京版は海外版のセルフパロディなので、かゆいところに手が届く作りになっている。地球の歩き方は「観光地の見どころやグルメだけでなく、歴史や文化、食、マナーや言葉まで、そのエリアをきちんと知るための情報が網羅」されているのが特長だ。エスカレーターの乗り方はもちろん、満員電車の乗り方や夏の東京を歩く際の注意まで。言われてみれば、はじめて東京に上京する人にとっては東京で生活するための必携の1冊かもしれない。そのエリアに引っ越す人へのプレゼントとして今後地球の歩き方は活用されるのかもしれないし、そうなってほしいなあと思う一幕であった。
通りがかった新幹線パーサーに声をかけ、少年にお礼のジュースとポテチを渡す。東京駅まで残り20分だというのに。新幹線で会った少年、半年前に声をかけたおじさんです、貴重な体験をありがとう。東京、楽しんでますか?
プロフィール
宮田崇(旅行ガイドブック『地球の歩き方』編集長)
地球の歩き方とは、1979年に発刊した老舗の海外旅行ガイドブックで観光地の見どころやグルメだけでなく、歴史や文化、食、マナーや言葉まで、そのエリアをきちんと知るための情報が網羅されている。語学が苦手な日本人でも、この1冊で日本の空港から旅立たせ、再び無事日本の空港へ帰すことを信念に作られているので、旅人に寄り添った作りになっていることも特長のひとつ。
スマホ時代の現在、旅人に必要な情報まで最短でたどり着かせる『検索結果の集合体』と言われることがある。
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