沖縄全域に多く見るモダニズム建築を連想するようなアノニマスなコンクリート住宅群。名もなき建築家たちの“リキサク”。

それらのほとんどは、戦後米軍統治下時代に基地建設に従事した民間人が学んだ技術からとも言われている。大きな陰を作る長い雨端や、台風への耐性として考えられた花ブロックやコンクリ瓦など、それらは気候や風土にあった合理的な機能を備えた形をしながら、各地域にそれぞれ独自の美しさを醸している。民藝運動では「用の美」と言われ陶器や漆器、織や民具など独特の文化的産物が数多く評価されてきた。「民藝」とは言い切れないかもしれないが、無造作に組み合わせた琉球石灰岩の石垣や、個性的で幾何学な影を作る花ブロックの壁、色褪せたビビットカラーに塗られた家々の柱でさえ、民藝に通じる島人のクラフトマンシップを感じてしまう。
建築学生時代、地元への帰省時にこれまで見向きもしなかった各集落の家々を巡って感動したことや、本土帰りの電車の窓越しにそっけない建売住宅を見てこの国に個性はあるのかなんてエラそうに思ってはいたけれど、住宅という小さな建築の中でも人の手跡をダイナミックに感じる個性的な建築群のそばで過ごせたことは、それなりの尊敬をもって生活しなければと常々考えさせられている。それは相対的に共存している御嶽(うたき)*の存在も同様に。
鳥居がたち、拝殿がある立派な御嶽から、低い木々が生い茂って香炉のみ置かれた簡素な御嶽まで、宗教建築という枠には収まらないぐらいの幅広さを持った空間は、地域や場所ごとによって様々な形態を持っている。そして今なお原始的な儀礼や祭祀行事が行われているプリミティブな信仰空間であり、島のあちこちに点在して独立している。男子禁制であったり暦に合わせてしか入れないなどルールが厳格な御嶽がほとんどであり、それらを守り大切にする姿には、御嶽を中心として成立する営みがあることを実感する。
戦後77年たった今では老朽化で解体された“モダニズム建築”や開発によって無くなってしまった御嶽もあるけれど、今だに信仰によって成り立つコミュニティがあることや、建築の価値を理解し、改装や補強して建物を保存しようとする動きも少なからずある。台風による塩害やシロアリ被害、当時の海砂混じりの安価な建材のせいもあって、持続することが難しい中で保存された建物を見るととても嬉しくありがたい気持ちになる。
進む開発の中での深い陰に見過ごしてしまうシーンもあるけれど、土着の風土や習俗に寄り添いながら歩いていきたい。ただ穴の空いたブロックのことを花の文様に例えたように、強い日差しの島々にはたくさんの日陰を誰かが作ってくれている。
*御嶽:神が存在、あるいは来訪する聖域であり、地元の人たちが祈りを行う拝所。