カルチャー

RADICAL Localism Vol.9/アート作品を「深く」観察した先にあるもの

文: ロジャー・マクドナルド

2022年7月16日

photo & text: Roger McDonald
cover design: Aiko Koike
edit: Yukako Kazuno

『DEEP LOOKING 想像力を蘇らせる深い観察のガイド』

 みなさん、ご注目! 私が初めて日本語で書いた本『DEEP LOOKING 想像力を蘇らせる深い観察のガイド』が、つい先月発売になりました。私たちが何気なく行っている「アート作品を観察する」という行為を見つめ直し、深く瞑想するための有力な手段として再発見するとともに、この危機の時代に適応するための重要なテクニックとしても考えてみよう、というもの。ここ数年、私が独自に取り組んできた研究を一冊の本にまとめました。

 それにしても、なぜいま観察について考える必要があるのか? その理由のひとつには、近年の美術館が単なる娯楽施設、単なる文化的消費の場になってしまっていて、私たちが作品観察を通じて対象を深く見る力、対象に深く注意を払う力を養える空間ではなくなってきている、ということがあると思います。

Apollo and the Muses
Apollo and the Muses by John Singer Sargent 1921

 だから私は、美術館をもう一度、私たちの意識を拡張するための市民的な空間として取り戻そう、ということをこの本で伝えたかったのです。「Museum(美術館)」の語源には、ギリシャ語の「ミューズ」という言葉があります。アーティストたちに芸術のミューズが乗り移り、自己を失った状態で素晴らしい作品が生み出されていくように、作品を見る人もまた、自分を見失うほどに作品に没入する場所、それが美術館の本来の姿だったのではないか? そのことを「ディープ・ルッキング(深い観察)」をキーワードにさまざまな角度から考察していったのが本書です。

 哲学者のプラトンは、対話篇『イオン』の中でこう述べています。「詩人とは光であり、翼であり、聖なるものである。インスピレーションを受けて自分を見失うまでは、彼のなかに発明はない(the poet is a light and winged and holy thing, and there is no invention in him until he has been inspired and is out of his senses)」と。私にとっての「ディープ・ルッキング」とはまさに、芸術を直接かつ深く体験することによって、それまで当たり前に思っていた「現実」から自由になり、自分自身をもう一度、深く見つめ直すための手段でもあるのです。

 そして(これはあるいは矛盾しているように聞こえるかもしれませんが)アート作品を観察するという「個」の体験がより深まっていった先には、「無限の関係性」のなかで生きるという、私たちの祖先が持っていたであろう感覚が待っているのではないか、とも考えています。

 とはいえ、真の意味でインスピレーションを受け、「自分を見失う」ことができるのは、生まれながらのアーティストだけだと考えている人は多いのではないでしょうか。自分にはそんな体験をしたことは今まで一度もないし、これから先もきっとないだろう、と。でも、私は決してそうは思いません。なぜなら人は誰しも、さまざまな意識状態に移行する能力を生まれながらに持っているからです。そして、アートをうまく「使う」ことができれば、意識の変性を促す強力な装置に変えることもできるのです。

 そこで『DEEP LOOKING』では、深く観察するための実用的でシンプルなプロトコルを紹介しています。それを実践すれば、アート作品を観察するという行為がいかにして奥深くも楽しい体験なのかを、身をもって感じることができるはずです。

 また最終章では、「ディープ・ルッキング」の持つ可能性をより深く掘り下げ、気候変動や生物多様性の喪失を筆頭とする地球規模の深刻な危機にどう立ち向かっていくかについても、さまざまなアイデアを提唱しています。未来がこれほど不確かで、気候危機の影響が私たちの身に直接降り掛かってきている今この時代にこそ、深く観察することを通じて、私たちはこの苦境に精神的にも適応していくことができるはずだと、私は考えているのです。

 さらに言えば、「ディープ・ルッキング」は、私たちひとりひとりが自分の意識を拡張し、他者や地球上の他の生物と、ひいては、地球のみならず宇宙全体とも再びつながりを感じて生きるための強力な方法であるとも、私は強く確信しています。現代の社会を根深く支配する、消費と搾取に基づく新自由主義的なパラダイムを乗り越えるためには、失われた連帯感をふたたび取り戻す方法を見つけなければなりません。そんなとき、アートは私たちが本来あらゆるものと豊かな関係性を有していたことを思い出させてくれる、確かな道標となるでしょう。

 アートが好きな人はもちろん、気候危機や環境問題に関心がある人、これからの世界を良くしていきたい人にも心からおすすめしたい本です。ぜひ、読んでみてください。本はこちらでぜひ。

プロフィール

ロジャー・マクドナルド

東京都生まれ。幼少期からイギリスで教育を受ける。大学では国際政治学を専攻し、カンタベリー・ケント大学大学院にて神秘宗教学(禅やサイケデリック文化研究)を専攻、博士課程では近代美術史と神秘主義を学ぶ。帰国後、インディペンデント・キュレーターとして活動し、様々な展覧会を企画・開催。2000年から2013年まで国内外の美術大学にて非常勤講師もしている。2010年長野県佐久市に移住後、2014年に「フェンバーガーハウス」をオープン、館長を務める。

Official Website
fenbergerhouse.com