CULTURE

『D.D.JAM』店主、本田嘉貴さんが教えてくれたレアフライング・ディスクの世界。

2021.09.19(Sun)

photo: Yoshio Kato
text: Yuichi Samejima
2013年7月 795号初出

自由の国ならではの誕生秘話と進化の過程を知れば、
きっと今すぐ投げたくなる!

フリスビーを世界に広めた伝説の初ディスク。

アメリカの老舗おもちゃメーカー「ワム・オー」が1957年に発売した初期型フリスビー。本体をきれいな状態で見つけるのも難しく、さらに遊び方がプリントされてある説明書が残っているのはほぼ奇跡。なお、“フリスビー”は同社の登録商標で、他メーカーが発売しているモデルは総称して“フライング・ディスク”と呼ぶ。

日本にフリスビーが上陸したのは’60 年代後半。アメリカ西海岸のユースカルチャーが日本で初めて紹介された頃です。その後’70 年代に代々木公園がフリスビーの聖地になり、ここを拠点にしたプレイヤーが『代々木フリスビーファミリー』というチームを結成。最盛期はメンバーが2‌0‌0人以上で、僕も参加していました。この頃は主にフリースタイルやディスクゴルフといった競技が盛んで、フリスビーを開発したワム・オー社はそれぞれのスタイルに合った画期的なモデルを次々に発表していたんです。それから1‌9‌8‌0年代前半には早くもフリスビーブームは終焉。その十数年後、僕はお店を始めることにしました。フリスビーを仕入れようと調べていたら懐かしいモデルを次々に発見し、古いディスクを集めるようになったんです。

 ’70 年代にプレイヤーとして知ったディスクも今となっては貴重ですが、フリスビーにも歴史を語るうえで欠かせないものがあります。例えば『フリスビー・パイ・カンパニー』の金属製パイ皿。’40 年代にアメリカの大学生が投げて遊んでいたこのパイ皿が、フライング・ディスクの起源とされています。

1940年代にアメリカのイェール大学の学生がパイ皿を投げて遊んでいたことから始まったフリスビー。これは本田さんが所有する、当時のパイ皿だ。その後、正式におもちゃとして金属製ディスクが製作され、改良を重ねた結果、フリスビーが誕生。

 その後、安全性を考慮してプラスチック製が登場しました。これに目をつけたアメリカの玩具メーカー『ワム・オー』が、パイ皿の会社名に由来し登録商標をとって売りだしたのが“フリスビー”です。そのファーストモデルは、遊び道具ゆえに壊れて捨てられるのがセオリーだったから、現存しているのはけっこうな奇跡なんですよ。こういったルーツものも含め、面白いディスクを紹介し、’70 ‌sのフリスビーの盛り上がりを伝えていきたいですね」

アメリカ’70sに発行されたフリスビーの教本。各種目のルールや技のポイントを詳しく紹介。

本田嘉貴さんが教えてくれたレアフライング・ディスクの世界

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フリスビーの中に雑誌が!?

ドイツのファッションマガジン『FREE STYLE MAGAZINE』がファッションとフリスビーの関係を特集した号。書店ではオリジナルのフリスビーの中に雑誌をはめ込んで販売されていた。


ファーストバックの第1号!

中央の盛り上がりにより空気を含み滞空性を向上した、浮遊感のあるスローが楽しめるファーストバック・フリスビー。その初期のディスクがこれ。パッケージ入りのデッドストックは大変貴重。


ディスクゴルフを改革。


夜光塗料を本体に加えて重さを増したことで、飛躍的に遠投距離を伸ばしたフリスビー。このモデルの登場は、遠くからホールを狙うディスクゴルフに大きな変革をもたらした。右は夜に光る様子。


フリースタイルのために進化。

キャッチ&スローを進化させ、指でディスクを回したり、脚をくぐらせたりと自由な演技を楽しむフリースタイル。これに必要とされたディスクの深さや大きさを改善したスーパープロモデル。


フリスビー50周年記念型。

ワム・オー社がフリスビー生誕50周年を記念して2007年に発売したモデル。金ラメ入りの豪華な仕様で、世界でシリアルナンバー入りの1000枚だけが販売された、ファン垂涎の逸品。


世界大会限定ディスク。

どちらもフリスビーの世界大会のために作られたもの。左のフリスビーは大会入賞者にのみ授けられた滅多に出回らない表彰用のモデルで、右は1979年の大会で限定発売された記念ディスク。

教えてくれた人

本田嘉貴

ほんだよしたか|『D.D.Jam』店主。フリスビー全盛期にプレイヤーとして活動。今は日暮里に店を構えフリスビーの魅力を伝える。
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