CULTURE

そろそろ欲しい、カスタムナイフ。

2021.04.07(Wed)

photo:Kazuharu Igarashi
text : Keisuke Kagiwada
2018年12月 860号初出

(左)〈タック フクタ〉のドロップポイント・ハンター/福田登夫氏が日本人で初めてアメリカン・ナイフ・メーカーズ・ギルド(ラブレスがナイフ文化を根付かせるべく創設した組織)の一員となるきっかけとなった一本。写真は一点ものゆえ非売品だが、他のカスタムナイフは¥52,000~(福田刃物製作所)。(右)〈R・W・ラブレス〉のインテグラル・ハンター /ラブレスが得意としたインテグラル・ハンターというナイフ。彼自身が傑作と認めたものにだけ施した“ヌードマーク”が刃に刻まれる。鹿角の持ち手はゴツいがフィット感は一級品。写真は福田刃物に残る貴重な一本。)

 1953年の冬、一人の船乗りがナイフを購入すべくアウトドア用品店に足を踏み入れる。あいにくご所望の品は置いてなかったが、そのとき歴史は動いたと言っていい。なんとこの男、「ならば自分で作ってしまえ」というDIY精神でナイフを手作りしてしまったのだから。

 大掛かりな機材などもちろんない。そこで彼が編み出したのが、板材を切って原型を作りヤスリで整形するストック&リムーバル法なる製造法だ(これは現在にまで続く、カスタムナイフ製造のスタンダードをなしている)。かくして作られた、実用的でありながら見目麗しくもあるそのナイフは店に卸すまでになり、またたく間に人気を博する。今じゃコレクターまで存在するそうだ。そう、彼こそがカスタムナイフ界の永遠のレジェンド、故ロバート・ウォルドーフ・ラブレスその人だ。

 そんなラブレスに認められた日本人がいる。“刀鍛冶の街”、岐阜県関市にある福田刃物製作所の2代目、故福田登夫氏だ。’70年代初頭から、自社で〈タック フクタ〉というブランドを立ち上げてナイフ製作を始めた登夫氏は、さらなるクオリティの工場を目指してラブレスにラブレターを送る。「2、3日でいいから仕事場をのぞかせてほしい」と。単身カリフォルニアへ乗り込んだのが、’78年のこと。出会い頭に「手を見せてみろ」とラブレスに言われて差し出すと、納得したように工房へと招き入れられ、弟子入りを許可された。そこでラブレスのクラフツマンシップを目の当たりにした登夫氏が日本に戻って作った〈タック フクタ〉のカスタムナイフは匠の逸品として名を馳せ、息子の一浩氏が3代目を受け継いだ今も、それは続いている。

 ナイフといえば工業製品だと思っている人も多いだろう。しかし機会があるなら一度カスタムナイフを握ってみるといい。一人の職人が手仕事で作り上げたそれは、切れ味、手への馴染み、使い心地、見た目の美しさ、すべてにおいて機械製品とは比べものにならない。「道具としてのナイフ」の極北の姿がここにある。

ストック&リムーバル法でカスタムナイフを作るには、こんなにも多くの道具が必要なのだ。
工房で作業するラブレスと登夫氏。ラブレスはデザイン面において登夫氏から多大なるインスピレーションを受けたらしく、登夫氏を評して後に語っている。いわく、「日本人は視覚に訴えることが上手」。

photo:Kazuharu Igarashi
text : Keisuke Kagiwada
2018年12月 860号初出

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